2015年12月3日木曜日

伊藤仁斎・東涯

 先月のブログ「ふるさとの歴史」で紹介した古い歴史を持つ神山一乗寺(こうやまいちじょうじ)の案内状をよく見ると、江戸時代の儒学者伊藤仁斎の長男である伊藤東涯が1730年に当寺へ立ち寄り歌を残したとありました。
 伊藤仁斎といえば江戸時代の高名な儒学者で、京都に旧宅があったことを思い出し訪ねることにしました。その場所は御所の西側、堀川下立売ということで自転車で出かけました。堀川通という大通に面した瀟洒なお宅で門にかかった黒松が印象的です。

書庫は仁斎が在世の時から、住宅は明治時代のものだそうです





 ご子孫が住んでおられるようで公開はされていません。伊藤仁斎は教科書にも載っている有名な儒学者で「日常生活の中からあるべき倫理と人間像を探求して提示した」といわれています。京都に「古義堂」を開き、全国から塾生が3000人以上集まったといわれています。その息子である東涯も二代目として古義学の興隆の基礎を築いたといわれています。新井白石などとも親交が深かったそうです。その東涯が弟子とともに神山一条寺を訪れ歌を詠み、その地元出身の弟子がのちに参道にある石(磨涯碑)に刻んだそうです。西坂の参道中腹にあるそうなので次回は確認しようと思います。
 故郷と京都を結ぶ不思議なご縁を感じています。

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