2012年10月29日月曜日

私の出会った城下町 丹波篠山


 先日丹波篠山へ行ってきました。篠山市は篠山藩の城下町で、兵庫県中東部に位置し、四方を山々に囲まれた自然環境豊かな地域です。特産物の丹波栗と丹波黒大豆は全国的にも有名で、おせち料理にかかせないものです。京都への交通の要として栄えてきた歴史があり、町並みや祭りなどに京文化の影響を色濃く残しているとガイドブックにありました。

 篠山城は1609年(慶長14年)徳川家康の命により築城された近世城郭で平山城です。城主は松平三家八代と青山家六代で、その居城として明治を迎えました。明治維新の改革でほとんどその姿をなくしましたが、大書院だけが残っていたものの1944年(昭和19年)に失火により焼失し、2000年(平成12年)に復元されました。遺構としては立派な石垣や堀があります。篠山城址へは、少し登っただけなのに、篠山の町を見下ろし、町を囲む山々がとてもきれいに見えました。
 
 
 
 

 毎年お盆の頃にデカンショ祭りがあります。デカンショ節は、子供の頃に周りの大人達が歌っているのをよく耳にしましたが、明治中期から広く全国的に愛唱されるようになり、その発祥地がここ丹波篠山です。デカンショの語源は、哲学者デカルト、カント、ショーベンハーウェルの名前の頭文字からだそうです。このことは初めて知ったので驚きました。明治維新後は学問を奨励し、篠山に鳳鳴塾という学校を作り、その中の優秀な者は東京(今の青山あたり)に寄宿舎を作り遊学させました。東京の青山という地名は、青山氏からとられています。そこに集まった若者たちが、故郷の篠山を懐かしんで歌ったのがデカンショ節の始まりのようです。学生歌とされています。国道372号線は、京都府亀岡市から兵庫県姫路市に至る一般国道ですが、その一部篠山あたりはデカンショ街道という愛称で呼ばれています。大きな立て看板もいくつかありました。
 
 

 お城へ登ったあと、商店街を歩きました。いくつもの店が並び、秋まっただの中、栗、黒豆、松茸、新米が山積みされ売られていました。収穫されたばかりのような黒枝豆を買いました。観光バスからたくさんの人が、ガイドさんと共に現れ、あちこちに観光客があふれていました。
 
 
 
 
 
 気持ちよい秋晴れの中、城下町篠山を散策し、遠く離れた江戸との結びつきや、全国に広まっていったデカンショ節のことを知り、少し物知りになりました。

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