2012年10月17日水曜日

山科へ


 京都にある有名なお寺や神社はほとんど行ったのですが、山科区にある勧修寺と大石神社はまだだったことに気づき、日本の一番よい気候のこの時期にと思い出かけました。



 始めに大石内蔵助良雄公を祀っている大石神社へ行きました。京都から醍醐道を東に進んだ稲荷山のすそにあり、山科の町を見下ろす高台に建っていました。1701年(元禄14年)三月、江戸城内松の廊下で起きた刃傷事件(赤穂藩主浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に対しておこした刃傷)から赤穂義士討ち入りに至りましたが、大石は山科の地に隠棲し事件の善後策を講じたそうです。この大石神社は昭和10年に創建されました。2300坪の広さで、神池があり、さくら、もみじも多く、四季それぞれ美しく山上の緑と調和し、風情のある社頭であるとパンフレットにのっていました。神社の入口には、花子というミニホースがいます。愛嬌ある馬で、そばへ行くとすぐ寄ってきて、服をひっぱります。私もブラウスに花子のよだれがたくさんつきました。花子は12~13才だったと思います。
 
 

 次に勧修寺へ行きました。今までずっと「かんしゅうじ」と読んでいたのですが、それは地域の名で、お寺は「かじゅうじ」と読むのだそうです。本当に驚きました。勧修寺は、皇室とゆかりのある門跡寺院で、真言宗山階派大本山です。醍醐天皇が900年に創建したもので古い歴史を持っています。山門へ至る参道の両側には白壁の築地塀が続いています。ここは新しく修繕されたのかきれいでしたが、山門からは歴史を感じさせる格式風格があります。庭は勧修寺氷池園という池泉庭園で、池は氷室の池といい蓮で有名だそうです。建物はどれも古い歴史を持っていて、このまま後世にまで建ち続けられるのかと、少し不安を感じるものでした。全体の印象としては、ひなびた古い格式あるお寺という感じで、訪ねる人も少なそうです。春の桜と秋のもみじの頃には、もっと多くの人が来るのでしょう。水戸光圀公に寄進された灯篭を覆うように生えているひのき科のハイビャクシンは、樹齢750年とのことです。恐れ入りました。
 
 
 
 
 
 
 
 

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