十年ほど前から気になっている人が、町内におられます。いつもスーツを着て日傘をさし、まるで印象派の画家が描いた貴婦人のような出で立ちです。知人と同じマンションに住んでおられるので、フランスから来られた方だということは知っていたのですが、なかなかお声をかける機会がなく月日が過ぎていました。先日私達が満開となった桜を見に行った帰り道にバッタリお会いしたので、ポアロが声をかけました。まずはお天気のあいさつから始まり、話はどんどん広がっていきます。私も加わり一時間以上も、三人で立ち話をしてしまいました。彼女が話されることは、驚くことばかりでした。
彼女は十四歳の時にパリで親鸞歎異抄に出会い、親鸞さまに会いたいと思い続け、いつか日本へ行き親鸞さまに会うのだと固い決意を持ちました。パリ・セーヌ川の真ん中にある島ラ・シテの歴史ある家の出身ですが、十代の時に家の主が変わるという時代の嵐に巻き込まれました。一人っ子だった彼女は、それ以来一人でアルバイトをしながら生きてきました。ご両親のことはつらくてまだ聞いていませんが、現在は天涯孤独のようです。食べることもままならずの暮らしでしたが、アルバイトをしながらパリ大学法学部を卒業しました。日本へ行って親鸞さまに会いたいという気持ちは、恋心のようにまで膨らみ、日本でのフランス語教師の職を得て、フランスを出ます。見送りに来てくれる人は誰もいなかったそうです。お金のない彼女は、シベリア鉄道に乗り、船で日本海をわたり、横浜へ入港します。そして親鸞さまのおられる京都へと辿り着きます。本願寺に着いて「親鸞さまはおられますか」と彼女は尋ねます。「親鸞聖人は七百年前に亡くなられています」と聞いて、そこから仏教への道が始まりました。フランスを出てから早五十年、一度もフランスへ帰っていないとのことです。「私は外国人ではありません。日本人です」との言葉には驚きました。
一時間以上の会話の中で、私はいくつかのキーワードをつかみました。「人のこころ、人との出会い、ご縁、五十年の間には日本人のこころも変わった、たてまえと本音、日本の福祉という名で行われている高齢者問題、女性高齢お一人様問題、一本道」などです。彼女は日本の法学者と出会い結婚しました。子供はいません。彼女も長年大学で教鞭をとってきました。しかしご主人は五年前に七十五歳で亡くなられました。「夫がいた時は、多くの教え子達も来てくれて賑やかでした。一人淋しく暮らす、こんな人生が待っていたとは。本当に人生は不思議なものです」と、話された時には、胸を打たれ言葉が出ませんでした。
共通の話題も出ました。パリで初めて日本の生け花展が開かれた時に、いけ花と仏教の関わりについて、日本人の方から説明を聞いて、そのいけ花が大好きになったそうです。私の母や姉が長年歩んできた道、そして私もほそぼそと続けているいけ花と同じだったのです。
少し明るい話題をと、フランスに十五年暮らしている娘のことを話しました。「パートナーはフランス人です。今度娘達が帰ってきた時には、連絡させて頂きます。ぜひご一緒におしゃべりしましょう」と伝えました。初対面の私達に、包み隠さずいろんなお話をして下さった彼女に恐縮しました。「楽しい時間をありがとうございました。近くに住んでいるので、これをご縁におつきあいよろしくお願いします」と言い、名刺交換をし、手を振ってお別れしました。彼女の芯の強さに脱帽です。「私は日本人です。ここ京都に骨をうずめます」と言う彼女はフランス人とは思えません。美しい日本語を軽やかに話される方です。現代のフランス人も日本人も、五十年前とはずいぶん変わっているのだろうと考えさせられました。私達より少し年上だと思われる彼女に、何かお手伝いできることがあれば喜んでしてさしあげたいと思いました。今回の興奮はしばらく続きそうです。