2017年4月28日金曜日

桜のあとに

今年の4月前半は桜が長く楽しむことができました。花が散ると今度は一気に新芽が出てあっという間に緑一色となりました。

 しかしここ京都の二条通りは数年前の歩道改修と同時にハナミズキが街路樹として植えられました。桜が散るのと入れ替わりに先週から咲き始めました。ハナミズキは桜と違って花の色は白、ピンクそして紅色とあるので統一感はありませんが町が華やかになった感じです。










2017年4月27日木曜日

「頭の中のメモ帳」

自慢じゃないが
私は頭の中に
たくさんのメモ帳を持っていた
どんな小さなことでも
メモ帳に記録できた

そのメモ帳はいずこへ
どこへ隠れたのだろう

頭の中のメモ帳に
記録した気でいたら
全然出てこない

私は慌てる
そんなはずはない
メモ帳に書いたはずだ

買い物に行く前
何を買うか
しっかり書いたはず

お店の中で
あれ何だったっけ
これとあれと
それにもう一つ
出てこない

頭の中のメモ帳は
パワーが落ちた
信頼度が落ちた

老人力とおだてられ
いい気になっていたら
今度は認知症予備軍

ぼけはぼけでも
花とは違う

さあ大変
これは老化
何でも老化

医者の口癖
「老化ですね」

老化といって
諦めよう

頭の中のメモ帳は
引退の時

紙のメモ帳に
何でも書こう

買い物リスト
今日の出来事
明日の予定

パソコン頼りの
若い人
老化がもっともっと早く来るよ
用心
用心
要注意



2017年4月26日水曜日

知るを楽しむ

 私が遊びに行っていると言っている語学教室の講師達はいろんな国から来ておられます。アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージ―ランド、フランスです。   先日の英会話の講師は、イギリスといってもフランスにとても近いジャージーアイランドから今年の始めにやって来たそうです。イギリス海峡のチャンネル諸島の最南端です。


  彼は世界を旅するのが好きで、今までに行った国のことをいろいろ話してくれます。彼が生まれたジャージーアイランドについて、私も質問しました。以前旅行で訪れた岡山県の蒜山高原では、ジャージー牛がたくさん飼われていました。ジャージー牛乳を飲んだり、ジャージー牛乳のソフトクリームを食べました。おいしくて家族みんなで感激したことを覚えています。ジャージーという地名を聞いて、ひょっとしてと思った私は、少し調べてから彼に尋ねました。ジャージー牛はジャージーアイランドが原産の牛で、乳牛として飼育されます。バターなど乳製品がたくさん生産されます。ジャ-ジー牛は、薄茶色で体格は少し小さめで、人懐っこく温厚な性格だそうです。
 また小さい子供からシニアまで、たくさんの人に愛用されている服ジャージは、ジャージーアイランドで作られたメリヤス生地から誕生した服だそうです。メリヤス編みで伸縮性に富んでいます。ホームウエアーからスポーツ服まで、多くの人に着られています。誰でも一着は持っているというところまで普及した、おなじみのジャージです。ジャージがジャージーアイランドと関わりがあったということは、私は知りませんでした。
 ジャージーアイランドは、外交、防衛はイギリスが担いますが、エリザベス女王の属領として、制度や税もイギリス本土とは違っているそうです。日本語では公式には「ジャージー代官管轄区」と訳されるそうです。フランスのサンマロへ船で一時間で行けるとのことです。とてもきれいな島で、四方を囲む海は素晴らしい眺めだそうです。島を訪れた人達は、癒され大きなリラクゼーションとなるようです。「ぜひジャージーアイランドへ行ってみてください。おすすめします」とのことでした。


 

2017年4月25日火曜日

私の好きな場所(レトロ空間)

 私の好きなものの一つにショッピングがあります。以前ブログに取り上げた大型ショッピングモールも大好きですが、時代の流れに取り残されたような古びたショッピングセンターにもひかれます。京都市中京区の中心にあった築四十七年の古い店は、ホテルに変わりました。私の馴染みの店でしたが、時代の流れだと諦めていました。
 最近隣の山科区に同じ時代に建てられた店を二軒発見しました。嬉しくて早速出かけました。日本の高度経済成長の時代にオープンした大型店舗です。町の賑やかな中心地にあります。店の中に入ると、いつ閉店に追い込まれるかと思うほどの店内です。一階の食料フロアは、近所の人達の毎日の食を支えているのでまあまあのお客さんですが、二階、三階の衣料品や他の商品を売っているフロアは、数人の店員さんとわずかのお客さんでがらんとしています。最新のショッピングセンターと比べると天井が低く、照明も暗く感じます。高度経済成長の時代に青春時代があり、日本が活気づいていた時代とともに成長した私にとって、店の運命が敏感に感じ取れ、自分のことのように悲しくなります。築五十年ほどたっているスーパーは、いつ姿を消してもおかしくありませんが、現役の間はしょっちゅう買い物に立ち寄りたいと思っています。

2017年4月24日月曜日

ふるさとの田園風景

 今ふるさとは田植えの真っ只中です。私が子供の頃、田植えは梅雨の中で行なわれていました。伊勢湾台風襲来で、育った稲が大きな被害を受けて以降、早く刈り入れようとのことで、大型連休の頃に田植えが行われるようになりました。最近はそれも少し早くなってきたように思います。大型連休に入る前から始まっています。 
田植え前の代掻き作業
  農家にとって田植えは一大行事です。家族総出で地域をあげて行われました。実家は農家だったので、子供心に一大行事はとても嬉しいものでした。隣の村から元気のいい女性達が十人ほどの一団で来られます。田植えを任された人達です。リーダー格の女性が一切を取り仕切られます。昼食時には賑やかなおしゃべりに花が咲きます。台所は親戚の女性二人が切り盛りされます。お料理は普段と違いごちそうです。十時と三時のお茶の時間もあります。私はその賑やかさやごちそうなど、田植えという特別の日が好きではしゃぎました。

水路からきれいな水を引き込みます
 田植えに向けての準備は、田起こしから始まります。牛の出番です。それが済むと田んぼに水がはられます。その時には田んぼ一つ一つの畔が崩れないように、しっかり固められます。そしてクライマックスの田植えとなります。牛の力も借りて、すべて人の手で段取りよく行われます。時代は流れ、農業も近代化され機械化され、人の手だけでということはなくなりました。田も区画整理され、機械が入りやすく広くなりました。田起こしから田植え、稲刈りまで、機械がしてくれます。田植えをする機械は、早いスピードで進んでいきます。機械を操作するのはたった一人の人間です。農家も高齢化により担う人が減りつつあります。

みるみるうちに田植えが進んでいきます

広い田でも人は数人しかいません

田植えの後の田んぼにはカラスがたくさん
 知人の中には、夫婦二人で近所の田をいくつも任されて頑張っておられる方がいます。会社経営として、農業法人がやっている所もあります。

 ふるさとの田園風景は、姿は同じでもその過程はずいぶん変わりました。子供の頃を懐かしく思い出すふるさとの風景です。田植えが終わると、カエルの大合唱が始まります。賑やかな賑やかな大合唱です。

隣の畑では麦が育っています。空にはヒバリのさえずり



2017年4月21日金曜日

気になる人(2)

 先日ブログに書いた「気になる人」に触発されて、今仏教の本を読んでいます。実家も婚家も浄土宗です。父は檀家総代をしていました。父の愛読書の中には仏教関係の本も多くあり、私がもらった本も、宗教・哲学のものが多くあります。選り取り見取りといった感じですが、今までゆっくりとそれらの本を読んでいませんでした。「気になる人」は、五十年前にフランスから来られた方です。パリで親鸞歎異抄に出会い、日本へ行って親鸞さまに会いたいという一途な思いで、大学を出てから来日され、仏教の道に入られたのです。日本人の私でさえ、浄土宗檀家の家に生まれた私でさえ、仏教の勉強をしたことがありません。幼い頃より菩提寺と親しく、葬儀・法事の時には読経も聞き、住職の法話も聞いています。いつも南無阿弥陀仏を唱えています。そんな暮らしの中で、なんとなくわかっているような感じで生きてきました。外国の方が引き付けられた仏教について、遅ればせながらの学びです。外国の方に後れをとってしまいました。今度彼女とお話しする時には、仏教についても話ができるようにしたいと思っています。



 以前から気になっていた方に、ご近所さんとして気軽に声をかけさせてもらい、一時間以上も立ち話をしたフランス人女性は、著名人でした。名刺交換もし、長年大学で教鞭をとられていたとお聞きしたので、ネットで検索するといろんな情報を知ることができました。昭和五十七年と五十八年に、本を出版されたこともわかりました。早速図書館で借りて一気に読みました。




四十五年前に書かれた短編ですが、哲学的、仏教的な彼女の心情があふれています。私の心の中で、気になる人がもっともっと膨れ上がり、以前にも増して気になる人となってきました。彼女との出会いは、自己成長につながるかもと期待しています。

2017年4月20日木曜日

小さな庭は春爛漫

桜の花は先日来の雨風ですっかり若葉に変わりました。でも小さな庭は春真っ盛りです。我が家の小さな芝生だけの庭の主役は毎年変わります。本来は芝が主役なのですが昨年までの数年はタンポポが我がもの顔で咲き誇っていました。根が深いのでなかなか排除するのは難しくしかも無数の綿毛が飛び出すと収拾がつきません。ところが今年は一変様子が変わりました。芝生地の3分の一くらいを占めているのはカラスノエンドウです。昨年から何本かは紫の花を咲かしていましたが。今年は主役に躍り出ました。緑の葉も美しく今週から咲きだした紫の花も好ましい姿なのでしばらく楽しみます。



タンポポは少し遠慮をして隅の方でかわいい黄色を見せています。



地面にへばりついて紫の小さな花を咲かしているのは「地獄の釜の蓋」という別名を持つキランソウ。


他の種類(ネジバナ)の植木鉢から4月になって急に首を延ばして紫のかわいい花を咲かしているのがマツバウンランです。実は10年ほど前、しばらく家を留守にした時、芝生一面にこの30cmほどの茎が伸びうす紫の花が一面に咲いていたのにはびっくりしました。風に揺れて美しい光景でした。数年前からは芝生から撤退して空いた植木鉢に生き残りをかけているようです。


スミレもアロエの植木鉢の足元を借りて咲きだしました。冬まで入れ替わり立ち替わり咲いてくれます。



庭の隅にはヒメツルソバが健在です。寒さに負けず冬越しで元気です。


 建物の北側に回るとシャガが満開です。日陰の王者です。花も美しく清楚な感じです


1か月後にはまた違う野草が出現すると思います。今年はどんな花が出現するか楽しみです。 




2017年4月19日水曜日

「春の嵐」

桜の花が散る頃
春の嵐がやって来る
雷 暴風 大雨
それは別れ
悲しい別れ

美しく咲いた桜の花が
雨にうたれ
風に飛ばされ
無残な姿に変わる

三十年前の悲しい別れがよみがえる
四十四歳で旅立った姉
花吹雪に見送られ
春の嵐の中での夜伽
温かかった姉の手が
春の嵐の中で冷えていく
姉の魂が
春の嵐とともに天に昇る

桜の花にはまた会える
来年も
再来年も
花は咲く

姉の命は消えたけれど
子供へ
孫へと
命の流れは続いていく

春の嵐はつかの間

春の嵐はつかの間

2017年4月18日火曜日

お前百までわしゃいつまでも

 世界中の既婚男性の願いは一つ「お前百までわしゃ九十九まで」と、昔から言われていますが、そうでない発言を初めて耳にしました。発言の主は、画家熊谷守一(くまがいもりかず1880~1977)です。先日ポアロが友人たちと、没後四十年熊谷守一展を見に出かけました。神戸の香雪美術館で開かれています。


ポアロが持って帰ったパンフレットを見ると、画家熊谷守一のユニークな人間像を知ることができました。富裕層の出身でありながら、持ち前の芸術家気質を貫き、貧乏生活を送り、画壇の仙人と呼ばれたそうです。六十歳までは、不遇の人生でした。友人の援助を受けながら、絵筆を握り続け、六十歳から画風を少し変えて少しずつ認められていきました。七十歳頃には絵も売れるようになり、九十七歳で没するまで、生涯現役で絵を描き続けました。猫を描いた作品が多いそうですが、どの猫も見る者の心を和ませてくれる絵です。ほんわかといった雰囲気です。今回私は没後四十年熊谷守一展には行きませんでしたが、東京都豊島区に熊谷守一美術館があるとのことなので、東京へ行った時に寄ろうと思います。パンフレットを見てファンになりました。

2017年4月17日月曜日

七つの選択肢

 先日テレビを見ていて今まで知らなかった情報を得ることができました。東京都大田区の六郷に、日本で一つと言われる七差路があります。蒲田駅から南東へ1㎞程のところ、名前は七辻です。




大正時代に行われた耕地整理によりできたとのことです。そこに信号はありません。不思議と交通事故は少ないそうです。譲り合いの精神で、人々は七差路を通ります。NHKの番組で「72時間」そのスポットを撮影し続けるものです。たくさんの人が行き交う七差路です。「72時間」三日間休みなしでカメラは回ります。早朝から深夜まで、そこに生きる人々の人生が描き出されます。ドラマではありません。ドラマのような人生のドラマです。喜びも悲しみも苦しみも悔恨も描き出されます。地縁という言葉がありますが、人間は地縁をもらってその地で生きて行きます。登場した人達の多くの方から聞かれた言葉に「人生に七つの選択肢があったら迷うなあ」というものでした。岐路に立たされた時、人は迷い、深く考え、周りの人の意見も参考にして、自分が決断します。そうして進んだ道でも、時には後悔することもあるでしょう。自分の前に広がる道が、二つ三つならまだしも、七つもあればくじで決めることになるかもしれません。登場した人達の言葉を聞いて、もっともなことだと思いました。日本に一つしかないという七差路へいつか行ってみたいと思います。考えさせられる番組でした。
 「お江戸日本橋」に出てくる六郷です。東海道を京都へ向かって歩くと、江戸を出発して大きな川、多摩川を渡ります。その橋が六郷橋です。「六郷渡れば川崎の・・・・・」子供の時にテレビから聞こえてきた「お江戸日本橋」です。学校で歌った記憶もあるようなないような感じですが、始めの部分「お江戸日本橋七つ立ち 初のぼり 行列そろえてあれわいさのさ」は覚えています。非常に懐かしい気分になりました。

 

2017年4月14日金曜日

気になる人

 十年ほど前から気になっている人が、町内におられます。いつもスーツを着て日傘をさし、まるで印象派の画家が描いた貴婦人のような出で立ちです。知人と同じマンションに住んでおられるので、フランスから来られた方だということは知っていたのですが、なかなかお声をかける機会がなく月日が過ぎていました。先日私達が満開となった桜を見に行った帰り道にバッタリお会いしたので、ポアロが声をかけました。まずはお天気のあいさつから始まり、話はどんどん広がっていきます。私も加わり一時間以上も、三人で立ち話をしてしまいました。彼女が話されることは、驚くことばかりでした。
 彼女は十四歳の時にパリで親鸞歎異抄に出会い、親鸞さまに会いたいと思い続け、いつか日本へ行き親鸞さまに会うのだと固い決意を持ちました。パリ・セーヌ川の真ん中にある島ラ・シテの歴史ある家の出身ですが、十代の時に家の主が変わるという時代の嵐に巻き込まれました。一人っ子だった彼女は、それ以来一人でアルバイトをしながら生きてきました。ご両親のことはつらくてまだ聞いていませんが、現在は天涯孤独のようです。食べることもままならずの暮らしでしたが、アルバイトをしながらパリ大学法学部を卒業しました。日本へ行って親鸞さまに会いたいという気持ちは、恋心のようにまで膨らみ、日本でのフランス語教師の職を得て、フランスを出ます。見送りに来てくれる人は誰もいなかったそうです。お金のない彼女は、シベリア鉄道に乗り、船で日本海をわたり、横浜へ入港します。そして親鸞さまのおられる京都へと辿り着きます。本願寺に着いて「親鸞さまはおられますか」と彼女は尋ねます。「親鸞聖人は七百年前に亡くなられています」と聞いて、そこから仏教への道が始まりました。フランスを出てから早五十年、一度もフランスへ帰っていないとのことです。「私は外国人ではありません。日本人です」との言葉には驚きました。
一時間以上の会話の中で、私はいくつかのキーワードをつかみました。「人のこころ、人との出会い、ご縁、五十年の間には日本人のこころも変わった、たてまえと本音、日本の福祉という名で行われている高齢者問題、女性高齢お一人様問題、一本道」などです。彼女は日本の法学者と出会い結婚しました。子供はいません。彼女も長年大学で教鞭をとってきました。しかしご主人は五年前に七十五歳で亡くなられました。「夫がいた時は、多くの教え子達も来てくれて賑やかでした。一人淋しく暮らす、こんな人生が待っていたとは。本当に人生は不思議なものです」と、話された時には、胸を打たれ言葉が出ませんでした。
共通の話題も出ました。パリで初めて日本の生け花展が開かれた時に、いけ花と仏教の関わりについて、日本人の方から説明を聞いて、そのいけ花が大好きになったそうです。私の母や姉が長年歩んできた道、そして私もほそぼそと続けているいけ花と同じだったのです。
少し明るい話題をと、フランスに十五年暮らしている娘のことを話しました。「パートナーはフランス人です。今度娘達が帰ってきた時には、連絡させて頂きます。ぜひご一緒におしゃべりしましょう」と伝えました。初対面の私達に、包み隠さずいろんなお話をして下さった彼女に恐縮しました。「楽しい時間をありがとうございました。近くに住んでいるので、これをご縁におつきあいよろしくお願いします」と言い、名刺交換をし、手を振ってお別れしました。彼女の芯の強さに脱帽です。「私は日本人です。ここ京都に骨をうずめます」と言う彼女はフランス人とは思えません。美しい日本語を軽やかに話される方です。現代のフランス人も日本人も、五十年前とはずいぶん変わっているのだろうと考えさせられました。私達より少し年上だと思われる彼女に、何かお手伝いできることがあれば喜んでしてさしあげたいと思いました。今回の興奮はしばらく続きそうです。

2017年4月13日木曜日

京都の桜(2017)

 今年の桜の満開はふるさとでも京都でも見ることができました。といっても天候不順が続いたので満開以後の青空は今日が初めてです。京都では2日まえの12日がソメイヨシノの満開だったような気がします。自宅から二条通りをまっすぐ東へ南禅寺を目指してウォーキングで花見に出かけました。疎水は岡崎の花見のポイントです。ちょうどこの時期は船が出ています。




 平安神宮の周辺を回ってまた東に向かいました。神宮横の駐車場は観光バスで一杯になっています。








疎水インクラインをまたいで南禅寺に行きました。南禅寺はサクラよりも紅葉の名所なので桜の木は少なめです。そこで最近有名になった東山別荘群の中を通る道に出ました。ここはしだれ桜が植えられています。しだれ桜はソメイヨシノよりも少し遅くて今日が見頃です。この周辺のしだれ桜は紅しだれが多く華やかな紅色でみなさん感嘆の声を上げておられます。







帰り道に岡崎の白川を渡る橋の上に来ると渓谷に紅葉の新緑を見ることができました。ちょうど桜から青葉の季節に変わるタイミングです。帰り道は丸太町通りです。ちょうど昨年から始まった2階建てバスのオープンカーが来ました。桜の下を走るのは気持ちがよさそうです。





鴨川に差し掛かると桜と同時に柳の新芽が美しく風に揺れていました。1週間後には新緑の季節に移り替わることでしょう。


2017年4月12日水曜日

花筏(はないかだ)

 桜の季節は例年天候不順でお花見のタイミングは難しいものです。今年は特に青空の下での桜を見ないまま散ってしまいそうです。伊勢方面では先週末強風が吹き、さらに雨も降りお花見もできない状況が続いています。桜は1週間遅れで開花したものの寒さのせいで長持ちしています。桜は満開のタイミングよりも散り初めの風情が美しいと思います。お弁当に桜の花びらが飛んでくるというのは何とも日本の春という情景だと思います。
川では黒い水鳥が水に浮かんだ花びらの間を泳いでいます。花筏というには少しすくないですが楽しそうにクルクルとまわっています。
 
川面に映る桜がきれいです

花びらを食べるような仕草をしています

鵜と鷺が川魚の遡上を狙っています
 上空では以前報告したヒメアマツバメが数十羽、忙しそうに虫を追って飛び回っています。川で発生した虫が風にあおられて上空に上っているところを狙っているそうです。桜が散るまでに一度青空を見たいものです。



ヒメアマツバメは日本ではまだめづらしいそうです

2017年4月11日火曜日

尊厳死

 先日知人の従兄弟の奥さんが脳死と診断されました。就寝中に異変が起こり、すぐ救急車で病院へ運ばれましたが、回復できませんでした。知人はその前日にも会って、いつも通りの会話を交わしています。就寝前までは、何の異変もなかったのです。六十二歳でした。
この話を聞いて、すぐに尊厳死のことが頭によみがえりました。今から二十五年ほど前のことです。きっかけは忘れてしまいましたが、世の中で尊厳死が話題になり、テレビには専門家が登場し、尊厳死についていろいろ話していました。新聞でも大々的に取り上げられていました。その時に少しかじった程度の知識ですが、日本には尊厳死協会があることと、尊厳死の宣言書を書いて、その旨を家族に伝えておくことというものでした。当時私は人生の朱夏の真っ只中であり、仕事と難しい年頃の子育てにあわただしく毎日を過ごしていました。それらの情報を得て、とてもいいことだから自分も見習おうと頭では思っていましたが、実行せずに二十五年も過ぎてしまいました。知人の話を聞いて早速行動に移ろうと思い、ポアロに話したところ、彼はすでに用意してあると言うのです。そして見せてくれました。驚きです。単身赴任が八年も続き、東京暮らしをしていた頃に書いたとのことです。私はその文章を書き写し、年月日、住所、氏名、そして捺印しました。すぐに出来上がりました。あとは家族(娘)に伝えるだけです。脳死状態になって自分の意志を伝えることが不可能になった時、あるいは病の最期に向けてのステージで選択を迫られる時など、自分はこうしたいという意志を書き残しておくことはとても重要だと思います。自分の命についての覚悟と責任を、自分が負いたいと思うからです。家族が悩み苦しむことを避けたいと思うからです。本人の意志が第一優先です。本人の意志が尊重され、第一決定権になるべきだと思います。

「尊厳死の宣言書」

*私の病気が、現在の医学では、不治の状態であり、すでに死期が迫っていると判断された場合には、いたずらに死期を延ばすための延命措置は一切お断り致します。
*ただし、この場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施してください。そのため、例えば麻薬などの副作用で、死ぬ時期が早まったとしてもいっこうに構いません。
*私が数か月以上に渡って、いわゆる植物状態に陥ったときは、一切の生命維持装置を取り止めてください。


*五木寛之「人生の四季」
   青春・・・青年期
   朱夏・・・人生の真っ盛りの時期
   白秋・・・中年期を過ぎて人生は秋

   玄冬・・・高齢期・老年期