2015年12月31日木曜日

行く年来る年(2015-2016)

 いよいよ今日で2015年も終わります。長いようで短い一年だとつくづく感じています。人生には大波小波荒波いろいろありますが、私にとってはまあまあの一年でした。ブログを書くことによって楽しみを見つけ、読んで下さる人がいることに喜びを頂いて日々過ごしています。美しい年輪を刻むことを願いながら、新しい年も知るを楽しむ旅を続けていこうと思います。

 今回の長崎への旅ですてきな言葉に出会ったので紹介します。
「しあわせのはひふへほ
 はんぶんでいい
 ひとなみでいい
 ふつうでいい
 へいぼんでいい
 ほどほどでいい」



 皆様に今年一年の感謝と、新しい年がよい年でありますことをお祈りします。

2015年12月30日水曜日

師走の旅(長崎へ-2)

 二日目は長崎の南エリアを散策しました。この地区は港に近く明治時代には外国人の居留地となっていました。旧英国領事館の前を通り、旧香港上海銀行長崎支店記念館を訪れました。明治37年(1904)の築で大型洋館です。かつて大浦海岸通りには大型の洋館がずらりと並んでいたそうです。

旧英国領事館





 次に大浦天主堂を訪れました。私は五十年前に高校の修学旅行で来ています。教会をバックに階段で記念撮影をしたことを懐かしく思い出しました。教会の中へ入りました。日本最古のゴシック建築様式の教会で、国宝になっています。250年以上潜伏していたカクレキリシタンが信徒告白をした、信徒発見の舞台です。敷地内には、旧神学校や大司教館があり、明治期の西欧建築にふれることができました。

国宝 大浦天主堂

神学校

 次にグラバー園へ向かいました。ここへも五十年前に修学旅行で来ています。昔は無かったエスカレーター、動く歩道で上へ上がり、順に見学しながらメインの旧グラバー住宅を目指しました。グラバー園には長崎市内から移築した洋館であるオルト邸、リンガー邸、三菱ドックハウス、スチイル記念学校などがあります。グラバー園の中心となっているグラバー住宅は、1863年に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築です。今年7月に世界遺産に登録されました。




トーマス・ブレーク・グラバー(1838~1911)は、スコットランド出身で、1859年の安政の開港と同時に来日し、造船、採炭、貿易業を通して日本の近代化に貢献しました。幕末の激動の時代には、薩摩藩士らの英国留学を支援し、若い志士たちへ多大な援助をしました。維新以降は、経済人として近代技術の導入に大きな貢献をしました。日本人女性ツルと結婚し、その息子はわが国初のトロール漁業の導入をし、日本の水産振興に貢献しました。

リンガー邸




 私達はグラバー園に3時間も滞在し、ゆっくり見学ができました。園内にはいろんな花が植えられており、心を和ませてくれます。春にはチューリップ、6月にはアジサイが満開となることも写真を見て知りました。グラバー園からはどこからでも長崎港や向かいの稲佐山が見え大満足でした。

2015年12月29日火曜日

師走の旅(長崎へ 1)

 今年も残り少なくなった先週末から、家族で長崎へ行ってきました。3泊4日の旅で昨夜遅くに帰ってきました。12月も下旬となっているのに、暖冬で、よいお天気に恵まれ、あちこち歩き回りましたが、汗ばむほどでした。京都から新幹線で博多へ、そして、九州新幹線、さらに、鳥栖から在来線特急に乗り、昼過ぎに長崎に着きました。特急「かもめ」で、昼食に駅弁を食べたので、駅に着くと荷物をコインロッカーに預け、早速、街の散策に出かけました。

九州新幹線は4人席でゆったりしています

特急かもめは革張りのシートです


世界遺産登録でにぎわっています


まず、路面電車に乗って、北エリアへ移動しました。長崎の路面電車は、100周年を迎えるそうです。

乗車賃は120円です

はじめに、原爆資料館をたずねました。毎年8月9日に、原爆について報道されますが、現地を訪れると、その被害の甚大さと人々の苦しみ悲しみがひしひしと伝わってきます。今年は戦後70年という節目の年であり、被爆された方々も高齢となり、この資料館は、平和の尊さ・命の尊さを後世に伝えていくという責務を担っています。


原爆資料館の隣に国立長崎原爆追悼平和祈念館があります。死没された方々を追悼し、永遠の平和を祈念する施設です。静かな、そして、光の中、追悼空間を進むと、日本の繁栄は、眠っておられる方々の犠牲の上にあることを痛感します。

池の下が祈りの空間になっています

その後、浦上天主堂をたずねました。原爆によって全壊し、再建されました。教会の中は厳かな雰囲気でした。



 次に、平和公園へ行きました。私は50年前に高校の修学旅行で一度来ています。毎年、この公園で平和祈念式典が行われています。平和祈念像が訴えているのは、平和の大切さと原爆の恐ろしさです。昔はなかったエスカレーターが取り付けられて、平和公園は美しく整備されていました。時の流れを感じました。外国の方々の姿もありました。



 平和公園の南側に、原爆落下中心地碑があります。
旅の1日目は、平和エリアをたずね、追悼と平和祈念を心に深くきざみました。










2015年12月23日水曜日

12月の楽しみ―イルミネーション

 毎年のことですが12月になると寒くなり夕闇が早く訪れ、年末の気ぜわしさともの悲しい季節がやってきます。それに打ち勝つ力をくれるのが街を彩るイルミネーションです。節電や景気の後退で少なくなった時期もありましたがLEDの発達でいろんな色がデザインされるようになりました。京都ではいくつかの名所があります。
 いち早く目につくのが京都駅です。吹き抜けの大空間にクリスマスツリーが輝きます。





今年初めて見たのが烏丸三条近くの新風館です。古いNTTの電話交換所をショッピングに改装した中庭のあるおしゃれな場所です。 






 並木に見事なイルミネーションを輝かせるのはLEDのメーカーでもあるロームの本社ビル界隈です。昨年も紹介しましたが、息をのむほどふんだんにLEDを使っているので見事です。今年は車から撮りましたので少しぶれていますが、楽しみください。場所は西大路五条西入です。





最後は自宅近くの京都ホテル、河原町商店街のイルミネーションです。今年は外国の人たちも多くショッピングを楽しんでいるようです。






2015年12月22日火曜日

楽しみの15日

 偶数月の15日は年金支払い日です。自分が年金受給者になっていろんなことに気づきました。2ヶ月に一回訪れるこの日は、シニア層の人達の表情が変わります。明るくいきいきした表情に見受けられます。そして町の中も活気づきます。銀行、郵便局にもシニアのお客さんが増えます。現役をリタイアするまでは、毎月の給料日が待ち遠しいものでした。しかし引退後は2ヶ月に一度の楽しみに変わりました。2ヶ月に1回というのは、1年でたったの6回です。現役時代の半減です。楽しみは多いほうがよいと思いますが、こればかりはどうにもなりません。当事者になるまでシニアの人達の動向にも鈍感でしたが、今の私はアンテナが広がったように思います。
 12月15日は特別な日です。1年の最後の年金受給日です。クリスマスがあります。お正月はもうすぐです。おじいさん、おばあさんは、孫の喜ぶ顔が見たくてクリスマスプレゼントを準備します。そしてお正月に会う孫にお年玉を用意します。健気なおじいさんおばあさん達です。

 余談ですが私達の結婚記念日は4月15日です。若い時は知りませんでしたが、これからは毎年年金受け取り日と重なります。記念日を忘れることはないと思います。最近聞いた話ですが、ポアロ(夫)の友人の車のナンバーが、自分の誕生日の数字と同じだったので、ひょっとして生年月日が同じかもしれないと思い友人に尋ねたそうです。友人の答えは「1回目の結婚記念日を忘れて妻に怒られ、それ以来車のナンバーは結婚記念日になった」とのことでした。人いろいろで笑わせてもらいました。とにかく15日は楽しみの日です。

2015年12月21日月曜日

遠い昔 平安京

 十一月に奈良平城宮跡を訪れ、1300年前の昔に思いを馳せた私ですが、今住んでいる京都について考えると、これまた1200年前の平安京に惹かれ始めました。ということで先日平安京復元模型のある京都市平安京創生館(京都市中京区丸太町通七本松西入)へ出かけました。京都市中央図書館や生涯学習センターと同じ建物です。


  延暦13年(794)に遷都された平安京は、東西4.5km、南北5.2kmの方形の都市でした。平安京復元模型は、1/1000の縮尺で、7.8m×6.6mのものです。平安京とその近辺は平安時代前期、平安京域中心部は平安時代中期、鴨東域は平安時代後期の状態を復元し、平安京400年間を一つの平面上にあらわしているとのことです。広大な平安京に圧倒されます。平城京を見たばかりなので、全体の造りはよく似ていることがわかります。







他に鳥羽離宮復元模型・・・白河天皇(1053~1129)が創建した譲位後の御所です。鳥羽上皇(1103~1156)の代にほぼ完成し、14世紀頃まで代々院御所として使用されました。縮尺1/1000 2m×5m


豊楽殿(ぶらくでん)復元模型・・・豊楽殿は豊楽院の中心的建物で、大嘗会など国家的饗宴のための施設です。規模は発掘調査によって東西46m南北23mであることが確定しました。縮尺1/20 3.4m×1.8m


豊楽殿 尾(しび)復元模型・・・豊楽殿の大棟両端に付けられていた 尾の復元模型です。実物大
法勝寺復元模型・・・院政期に現在の左京区岡崎の地に建立された六つの寺院(六勝寺)
のうち、白河天皇が承暦元年(1077)に造営した寺院。伽藍
の中心にそびえる八角九重塔は高さ約81mです。縮尺1/100
3.3m×5,6m


源氏物語車争図屏風複製、国宝北野天神縁起絵巻複製なども展示されています。平安京
に暮らす人々の生活や文化について、瓦や生活道具などの出土品や復元品をもとに解説
されています

土層剥ぎ取りパネルがあり、平安時代より以前の遺物を含まない自然に
堆積した層までを一望できます。土層断面パネルを見ると、一番下に自然の堆積層があ
り、その上に平安時代の土層があり、その上に室町時代、桃山~江戸時代、江戸時代、
幕末の焼瓦(蛤御門の変)、明治時代と続き、明治5年(1872)小学校を造るとき
整地した層として運動場の砂があります。京都1200年を物語る土の重なりです。
の土層断面パネルは常設展示されています。
 京都市平安京創生館は、朝廷の諸節会・神事に用いられる酒・酢などを醸造していた
造酒司(みきのつかさ)という役所のあった場所にあります。1978年の発掘調査
で、醸造用の米などを保管する高床式倉庫と考えられる掘立柱建物跡の柱穴が発見され
ました。遺構は地中に保存され、柱穴の輪郭の形は建物の入り口前に示されています。
 平安貴族の普段着(女性用・男性用)を自由に着て記念撮影ができるコーナーもあ
り、係の人から「どうぞ着てみて下さい」と声をかけられましたが、恥ずかしくて遠慮
しました。
 映像コーナーもあり、平安京の歴史や文化をわかりやすく解説してくれました。映像
を観ているだけで、ずいぶん知るを楽しむことができました。
 これからの楽しみとして、平安京を散策したいと思います。史跡巡りをして1200

年前の遠い昔に思いを馳せようと思います。写真とともに報告します。

2015年12月18日金曜日

京都紅葉2015(5)銀杏燃ゆ

 以前京都の街路樹について報告しましたがやはり銀杏(イチョウ)が一番多いようです。公害に強いのとケヤキのように横に広がらないという理由のようです。しかも実をつける雌株は道路が汚れるのとその匂いが嫌がられるということです。そのイチョウが今週に入って一気に黄葉に燃え上がっています。下を歩くと周囲がぱっと明るくなったようです。
 
河原町通り東側

河原町通西側


落葉の様子を見ているとイチョウの葉っぱは少し肉厚のためか、風が無くてもハラハラと真下に落ちていきます。朝起きると歩道は一面の黄色い絨毯、銀杏の落ち葉は踏むと滑りやすく雨が降るといわゆる「ぬれ落ち葉」となり取れなくなりますので。早い目に掃き集める必要があります。

寺町通老舗の黒壁にぴったり

歩道が明るくなったみたいです


葉っぱが下を向いて今にも散りそうです

寺町通は並木の密度が高くぎっしりと

  京都では古くから「門掃き」(カドハキ)という習わしがあります。夏はさらに水撒きをします。家の前の道を掃き清める習慣です。そのとき、お隣の前はどうするかというと、隣の前一尺(30cm)程度を掃くにとどめ、深入りを避けて、お互いを尊重するということで、人間関係をスムーズに進めているのだそうです。

老舗道具屋さんの前はすでに門掃きされています

こちらの漬物屋さんは2度目の門掃きか?

料理屋さんも開店前に門掃き

  京都市もこの季節は6人ぐらいのチームのお掃除隊が人力で歩道上の落ち葉をかき集めていきます。そのスピードは素晴らしく早く歩くスピードと同じくらいなので通りかかった皆さんは目を見張っています。葉っぱがみんな落ちると本格的な師走へと進みます。