2015年5月29日金曜日

老いのあれこれ(2)

 我が家のまんたん(義母)が、有料老人ホームへ入所して一年九ヶ月が過ぎました。認知症と診断され、記憶に障害があるものの以前たびたび起こっていた混乱はありません。入所されている方達は、車イスや歩行補助車を使われている人が多いのですが、その中でまんたんはスタスタと歩いています。見た目にはとっても元気な高齢者です。長年一人暮らしをしてきたまんたんに認知症の症状が表れて、近所の人達に迷惑をかけるようになり、急遽私達と行動を共にするようになりました。私達が仕事の関係で三都物語をしている中で、まんたんは今自分がどこにいるのかわからなくなり、混乱を起こすようになったのです。「穏やかな環境のもとで静かに暮らすのが一番」との医師のアドバイスを受け、ホームへ入所することになりました。
 ホームではいろんな催しがあります。体操、音楽療法、工作、いけ花、お菓子作り、移動販売車お菓子横丁、外部からのボランティア訪問(コンサート、手品、寸劇など)、お買い物の外出、日帰りバス旅行、お花見など、まんたんはそれらすべてに参加しています。それでも元気過ぎて退屈だと言います。長年の趣味だった俳句や日記を書くことを勧めても「そうする」との返事だけで、やる気、意欲、気力はありません。私達は三週間に一度くらいの割でホームを訪れています。先日のまんたんは「ここにいる人達はまあまあ私と同じくらいのお年の人だし、話も合っておしゃべりするのが楽しい」と、明るく嬉しそうに言っていました。その言葉で私は気づきました。「老いの道もみんなで歩けば怖くない」ということを。
 昨日のブログに登場した知人女性も、他の高齢独居女性も、老いとともに自分の世話をすることが、気力・体力とも落ちてきます。命に関わる最も大事な食べることが、面倒になってくるのです。一日三度の食事が粗末になり、毎度毎度そうめんとか、菓子パンとかになり栄養失調になっていきます。その点を考えれば、ホームでは栄養を考えた高齢者にふさわしい食事です。みなさんと和気あいあいで食事するのは、素晴らしいことです。一人で家で淋しく暮らすより、同世代の人とおしゃべりして明るく楽しく過ごす方が、心身によいと思います。自分一人のプライベートの個室と、共有スペースも広くあり、閉じ込められているという閉塞感はないように思います。何よりも「自分は一人ぼっち」という孤独感や「社会からのけものにされている」という疎外感も感じないのではないでしょうか。ホーム側から見れば、入所されている方達は、大切なお客様です。スタッフの見守りの中で、安心・安全な暮らしがあります。医療機関との連携もスムーズです。少しでも不安なことがあれば、すぐ対応してくれます。ホームの諸費用はピンからキリです。億を超えるものもあるようです。長生きしたいと願う人には、ホームを終の棲家にすることをお勧めします。心身の健康寿命が百歳を突破するほど、日本は世界一の長寿国です。長生きするという夢は叶えられると思います。

 私の理想は、過ごせられる限りを自宅で暮らし、一人暮らしが不可能になったらホームへ入ることです。その覚悟と準備を今からすることだと思います。人間として生まれ、育ち、大人になり、縁あって結婚し、子供に恵まれ、子が育ち、二人に戻り、いつかどちらか一人になります。現代社会は非婚の人も増え、結婚しても子供を持たないという選択をするカップルも増えています。人生いろいろ、生き方も様々です。大切なことは自分自身の最期までを、自分自身が責任を持って生き抜くことだと思います。肉体は衰えても、精神的な自立・自律を失わないでずっと持ち続けたいと思います。すべての人が100パーセントで最期を迎えます。死に方上手は生き方上手だと誰かが言っています。子供達に「親が私の人生を犠牲にしている」と言わせないために。

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