2015年5月31日日曜日

二都物語

 以前忙しく三都物語の日々を過ごしていた私達は、現在は二都物語の暮らしです。ポアロ(夫)は、京都での仕事が少しあり、まだ完全なリタイア暮らしではありません。月に数日は私のふるさとで過ごします。
 「ふるさとは遠きにありて思うもの」と、いつの頃からか記憶していますが、ふるさとを離れ遠くからふるさとを想う気持ちは、ふるさとを美化し理想化してしまうのかもしれません。ふるさとへの想いは永遠であり、ふるさとは私のあこがれです。

 実家の横に小さな家を建てたので、なじみのある木々をいつも見ることができます。その木々たちは、たくさんの人とともに時を過ごし、たくさんの人を見送ってきました。そしてこれからも見守り続けていくことと思います。その木々たちを、いつも私は感慨深く見上げてしまいます。

家の窓から小川越しに藪が見えます

タイサンボクが毎年5月に大きな花をつけます

毎年5月にはタケノコが顔を見せます

竹やぶの近くには柿、枇杷、栗など父が植えた果実類

  家の守り神と伝えられてきた大クスは、樹齢三百年ほどです。人間の命よりも長い長い命を持つ木々には、精霊が宿っていると私は思っています。その木々たちに対して、私は敬いの気持ちを持って、いつも見上げています。はるか彼方へ続いていく、まさに自然界の悠久の命です。

20m以上ある大クス

毎年カラスの子が巣立ちます(右端を飛んでいます)



2015年5月30日土曜日

この木なんの木(中間報告)

今年4月10日のブログに登場しました(「この木なんの木?」:下の写真)不思議な木がどうなったのかと買い物のついでに見に行ってきました。

3月6日撮影 
 当時、葉っぱは全くなし、地面もきれいに整地されていました。ここ玉城町は丘陵地帯なので果樹園が多いので梨か柿かと予想しました。
 5月末、そろそろ葉が出て花が咲いた頃と思い、同じ場所に行ってみました。



 写真のように立派なみずみずしい葉っぱが茂っていました。一見したところ花や実は見当たりません。


3月の写真が信じられないほど見事な茂りようです。


近づいてよく見ると黄色い厚みのある花が少しだけ咲いています。梨は桜のような白い花だったと思いますが柿の花は記憶にありません。


さらに近ずくといくつか実が出来ています。このかわいい形は柿の赤ちゃんのようです。通りかかりの人に聞いてみるとこの周辺は「次郎柿」の産地だということです、秋にもう一度行って柿を味わいたいと思います。



周辺は田植えも終わり、麦が色づき、収穫を待っています。






2015年5月29日金曜日

老いのあれこれ(2)

 我が家のまんたん(義母)が、有料老人ホームへ入所して一年九ヶ月が過ぎました。認知症と診断され、記憶に障害があるものの以前たびたび起こっていた混乱はありません。入所されている方達は、車イスや歩行補助車を使われている人が多いのですが、その中でまんたんはスタスタと歩いています。見た目にはとっても元気な高齢者です。長年一人暮らしをしてきたまんたんに認知症の症状が表れて、近所の人達に迷惑をかけるようになり、急遽私達と行動を共にするようになりました。私達が仕事の関係で三都物語をしている中で、まんたんは今自分がどこにいるのかわからなくなり、混乱を起こすようになったのです。「穏やかな環境のもとで静かに暮らすのが一番」との医師のアドバイスを受け、ホームへ入所することになりました。
 ホームではいろんな催しがあります。体操、音楽療法、工作、いけ花、お菓子作り、移動販売車お菓子横丁、外部からのボランティア訪問(コンサート、手品、寸劇など)、お買い物の外出、日帰りバス旅行、お花見など、まんたんはそれらすべてに参加しています。それでも元気過ぎて退屈だと言います。長年の趣味だった俳句や日記を書くことを勧めても「そうする」との返事だけで、やる気、意欲、気力はありません。私達は三週間に一度くらいの割でホームを訪れています。先日のまんたんは「ここにいる人達はまあまあ私と同じくらいのお年の人だし、話も合っておしゃべりするのが楽しい」と、明るく嬉しそうに言っていました。その言葉で私は気づきました。「老いの道もみんなで歩けば怖くない」ということを。
 昨日のブログに登場した知人女性も、他の高齢独居女性も、老いとともに自分の世話をすることが、気力・体力とも落ちてきます。命に関わる最も大事な食べることが、面倒になってくるのです。一日三度の食事が粗末になり、毎度毎度そうめんとか、菓子パンとかになり栄養失調になっていきます。その点を考えれば、ホームでは栄養を考えた高齢者にふさわしい食事です。みなさんと和気あいあいで食事するのは、素晴らしいことです。一人で家で淋しく暮らすより、同世代の人とおしゃべりして明るく楽しく過ごす方が、心身によいと思います。自分一人のプライベートの個室と、共有スペースも広くあり、閉じ込められているという閉塞感はないように思います。何よりも「自分は一人ぼっち」という孤独感や「社会からのけものにされている」という疎外感も感じないのではないでしょうか。ホーム側から見れば、入所されている方達は、大切なお客様です。スタッフの見守りの中で、安心・安全な暮らしがあります。医療機関との連携もスムーズです。少しでも不安なことがあれば、すぐ対応してくれます。ホームの諸費用はピンからキリです。億を超えるものもあるようです。長生きしたいと願う人には、ホームを終の棲家にすることをお勧めします。心身の健康寿命が百歳を突破するほど、日本は世界一の長寿国です。長生きするという夢は叶えられると思います。

 私の理想は、過ごせられる限りを自宅で暮らし、一人暮らしが不可能になったらホームへ入ることです。その覚悟と準備を今からすることだと思います。人間として生まれ、育ち、大人になり、縁あって結婚し、子供に恵まれ、子が育ち、二人に戻り、いつかどちらか一人になります。現代社会は非婚の人も増え、結婚しても子供を持たないという選択をするカップルも増えています。人生いろいろ、生き方も様々です。大切なことは自分自身の最期までを、自分自身が責任を持って生き抜くことだと思います。肉体は衰えても、精神的な自立・自律を失わないでずっと持ち続けたいと思います。すべての人が100パーセントで最期を迎えます。死に方上手は生き方上手だと誰かが言っています。子供達に「親が私の人生を犠牲にしている」と言わせないために。

2015年5月28日木曜日

老いのあれこれ(1)

 先日知り合いの女性が突然亡くなられました。八十三歳でした。母が長年いけ花の教室を開いていたのですが、たくさんいる生徒さんの中で時々教授代理をして下さる方でした。七年前に御主人が旅立たれたあと、一人暮らしをされていました。去年の夏に、一人息子さんが敷地内に家を建て、家族三人で引っ越してこられたばかりです。お孫さんはまだ五歳です。外から見れば幸せいっぱいのシニアの暮らしです。「経済的基盤がしっかりしており、息子家族がそばにいてくれる」絵に描いたような幸せの構図です。
 いけ花の指導は十年ほど前にやめられましたが、楽しみとして華道の仲間のサークル活動は続けておられました。体は人並みの老化による程度で、大病はされていません。やんわりした暮らしぶりが、近所でも評判でした。六十代半ばまではカブに乗って、買い物などの外出をされていました。そのあとシニアカーでの外出となりました。「足が丈夫でないからついつい歩かず乗り物を利用してしまう」と、ご自分でおっしゃっていました。今年の四月に急に胸が苦しくなり、救急車を呼び病院へ運ばれて入院となりました。入院は一ヶ月に及びましたが、手術をするということはありませんでした。連休が終わる頃に退院され、シニアカーに乗って病院へも行かれ、友人・知人らには電話で元気にお話しされていたようです。それは亡くなられる前日のことでした。そしてその夜「話があるから仕事から帰ったら来てほしい」と息子さんに電話をかけてあったので、夜遅く親子水入らずの話し合いの時間をもたれたとのことです。話の中身は「老人ホームへの入所について」です。息子のお嫁さんが「お母さんにホームへ入ってもらうしかない」と訴え、お母さんに息子さんがその旨を伝え「いいホームを探すから」と、退院時に話してあっての数日後のことです。最期にお母さんが息子さんに話されたことは何だったのでしょうか。「老人ホームへの入所について」の話し合いの結果のことは聞いていませんが、その五時間後には千の風になっておられたのです。シニアの幸せの構図に、突然ピリオドが打たれました。退院されて一週間後に旅立たれたのです。敷地内に息子さんが家を建て、家族三人で引っ越してこられてわずか八ヶ月です。

 生から死への一歩は容易なようです。故人と親しくしていた姉が、お別れをするためにお会いしたお顔は、本当に眠っておられる様子だったと話してくれました。眠ったままで世界が変わることは、人間にとって素晴らしいことだと思います。「家族葬で送ります。香典は辞退します」と、おっしゃる息子さんの顔は、晴れ晴れした表情で笑顔もあったようです。肩の荷を降ろされたのでしょうか。一人息子さんを溺愛され、夫よりも息子第一で人生を過ごされてこられた知人女性の最期の時を知り、複雑な想いになりました。

2015年5月25日月曜日

嬉しいプレゼント

 先日、思いもかけないプレゼントが届きました。かわいいカエルの対の置き物です。二匹のカエルがしている動作が、私とポアロ(夫)にそっくりです。あまりの面白さに噴き出してしまいました。


 カメラを手にして被写体を一生けんめい撮るMr.カエルです。大好きなソフトクリームを右手に1ケ、左手にアイスクリームを3色持って、大満足のMrs.カエルです。Mrs.カエルのこのポーズは、今迄の私に何度もあったようで、思い当たるふしがあります。客観的に見てもとても面白く、Mr.カエルとMrs.カエルは私達によく似ています。名前を付けました。ポアロカエルとまるこカエルです。




 贈り主の観察力、洞察力に感服しています。かわいいプレゼントありがとうございます。私達の分身として大切に飾ります。

2015年5月24日日曜日

ご近所のこと(10) 「下御霊神社還幸祭」

 今日は私たちが住んでいる京都市中京区(御所南の寺町に面しています)の氏神さんである「下御霊神社」の還幸祭でした。観光的な大きな祭りではありませんが、地元では盛り上がっています。昨夜は宵祭りで子供みこしや夜店が開かれました。

夜店の準備中

神輿は舞楽堂に待機

町内のとうふやさんの献灯

町衆も玄関口に飾りつけ

子供みこしが始まりました(寺町通りを練ります)

12灯という山車です

寺町通200m位の長さの夜店が出ます

 あけて24日(日)は鳳輦という本来天皇が乗るという輿を中心とした行列と、神輿の行列が別ルートで町内東西1km、南北500mの町内を1日かけて練ります。神輿は時々見ますが鳳輦の行列は初めて見ます。午前中に鳳輦の列が家の前を通りました。


これが鳳輦です

車を止めて丸太町を横切ります

狭い道は鉾を倒して移動

河原町通では鉾立をします(9mくらい)

鉾の飾り部分だけ引き回します

  1時間ずれて今度は神輿の列がきました。大通りは危険なので台車に載せますが。町内に入ると気合を入れて肩に担ぎます。所どころの休憩所でお茶とおにぎりの接待を受けます。


京都では昔の学区が町会の名前になっています



昼過ぎにたまたま2つの列が二条大橋上ですれ違いそうなのでまた出かけました。


鳳輦の列が神社に戻ります(二条大橋上)

子供たちは少し疲れた様子

すれ違いの挨拶をする神官と神輿の担ぎ手






2015年5月23日土曜日

ご近所のこと(9)「老舗筆屋・墨屋・紙屋」

 二条通に面して、すぐ近所に老舗の筆屋さんがあります。小さなお店ですが、店の入口には、読めないほど年季の入った古い大きな木製の看板が掲げられています。どんな人が買いに来るのかと、いつも店の前を通るたびに不思議に思っています。何代にもわたり、お店が続いているということは、常連のお客さんがそれなりに多くいるからのことだと思います。

二条に面した「香雪軒」

超極太の筆やめずらしい竹筆があります

京都・筆でまず頭に浮かぶのは、清水寺の恒例行事になっている「今年の一文字」で、貫主が書かれる筆です。次に思い出すのは、人の背丈ほどある大きな筆で、袴をはいて、上衣にタスキ掛けをして、広く大きな紙の上を走り回って書くという伝統的なものです。どこかの高校の書道部が、これに取り組み優秀な成績をおさめているというニュースを、以前テレビで見たことがあります。書道が、昔から日本の伝統文化として、脈々と受け継がれてきたということは、素晴らしいことです。しかし一般の人が、大人も子供も買い求める筆は、どこででも手に入れることができるものだと思います。近所の老舗の筆屋さんへ、入りたいと思いながらも、敷居が高くてまだ入っていません。 
 さらに近くの寺町には書道の老舗専門店が二軒あり、墨と筆、紙を扱っています。

ご存知奈良の古梅園の京都支店

書道一式、教室もあります

すぐ近くに「龍枝堂」


別に紙屋さんが二軒あり、ここではいろんな種類の紙を扱っています。寺町通は観光客も多く、ふらっとお店に入る人もたくさんいるので、老舗とはいえ私達も気軽にふらっとお店に入り見せてもらっています。

寺町の紙司「柿本」

和紙のいろいろ

折り紙は外国の方に人気があります

お土産にぴったりです

二条に面した「賛交」 書道教室もあります
ショーウインドウには和紙の細工物

たくさんの種類の書道用和紙が並んでいます

筆や千代紙もあります

2015年5月22日金曜日

初めての場所(伊丹スカイパーク)

 先日兵庫県伊丹市にある伊丹スカイパークへ行ってきました。以前からポアロ(夫)が行きたいと言っていた所です。京都から50キロのところにあります。大阪国際空港の西側にある大規模公園です。9ヘクタールもあります。2008年7月に全面オープンしました。滑走路の間近にあり、飛行機の離着陸がダイナミックに見ることができます。芝生エリア、展望台、遊具、川もあり、小さな子供をつれた家族も、若い人からシニアまでみんなが楽しめる場所です。

公園は滑走路に沿って1200mもあります

北から南を見たところ、大阪の超高層ビルが林立

  大阪国際空港は、大阪空港、伊丹空港の通称でも呼ばれます。大阪府豊中市、池田市、兵庫県伊丹市にまたがっています。昨年の一月に開港七十五周年を迎えました。関西空港ができるまでは、国内線、国際線すべてを担っていました。○十年前、私達は大阪空港から新婚旅行に飛び立ちました。懐かしい、思い出の空港です。

管制塔とターミナルです
  
3時ごろは4分ピッチで離陸します

カメラいっぱいのボーイングの大きな機体、すぐに車輪を格納します

すぐに左へ舵を切ります

3分程で小さくなって旋回し紀伊半島方面へ

ターボブロップ式のボンバルディア機

子供たちは飛行機よりも水遊び

 離陸する飛行機が、大きなエンジン音を響かせて飛び立ちます。その轟音は体の芯まで響きます。不快ではなく快感です。あっという間に空に上がり、まるで紙飛行機のようにふわりと大空へ飛んでいきます。着陸する飛行機が、車輪を出して滑らかに滑走路へ入ってきます。まるでラッシュのように、4分間隔で離陸する飛行機や着陸する飛行機です。離陸態勢に入っている飛行機の上へ着陸するかのように、滑走路へ入ってくる着陸便です。私達は、始めは離陸する飛行機が頭の上を飛んで行く場所で見ていました。しばらくしてから空港が全て見渡せられる場所へ移動しました。3時前から5時頃まで、夢中で飛び交うたくさんの飛行機を見ていたのですが、飛行機が大好きな私達は飽きることはありません。着陸する飛行機は、雲の中から次から次へと現れます。ライトが見えてきたと思ったら、あっという間に滑走路へ降りてきます。

後ろは着陸機、前は離陸機 2本の滑走路があります

ANAの大型機のランディング

日航の大型機のランディング


エンジンカバー中央が開いて逆噴射でブレーキがかかります
   

ここでも子供は遊びに夢中


 私は飛行機が大好きです。空高く飛んでいる飛行機を見つけたら、いつでも見つめてしまいます。飛行機雲を見つけたら、その先にいる飛行機を探します。実家の庭からは、飛び交う飛行機がよく見えました。高い高度の国際線、少し低めの国内線。夏の夕涼みをする父が、縁台に寝転んで上を見て、団扇を動かせながら見入っていた姿を思い出します。  
飛行機が大好きなのは、飛び立つ飛行機に未来へのロマンを感じるからだと思っています。未来への夢やあこがれを乗せて、大空へ飛んでいく飛行機です。大空を自由に飛ぶ鳥のように、大空を飛びたいという欲望があるのかもしれません。「もし男性女性の区別のない社会に生まれていたら、パイロットになったかもしれない」と思うと、飛行機を見ながらゾクゾクしてしまいます。
 飛行機が大好きというのは同じでも、ポアロは私と違う観点から、飛行機に魅力を感じているようです。空飛ぶ大きな物体である飛行機の形、構造、デザイン、飛行機の名前、飛行機の歴史などです。私は、大きい飛行機だから、小さい飛行機だから、何人乗りなのか、どこへ飛んでいくのだろうか、などは考えますが、飛行機を見に来ている人達の心の内は様々だと思います。カメラマニアの人や、飛行機に見入る一人で来ている男性など、たくさんのいろんな人が集まっていました。 


 飛び交うたくさんの飛行機を二時間ほど見ていたら、世界のどこへでも簡単に行けそうな気持ちになりました。飛行機を見て、胸を熱くさせ感動する、ロマンチックな自分に苦笑いしてしまいました。空飛ぶたくさんの飛行機が、無事に目的地に着陸することを願いました。


行ってらっしゃーい!