もうすぐクリスマスです。クリスマスの思い出はたくさんありますが、最初にして最大の思い出は、我が家にサンタクロースがやってきたことです。今から六十年前のこと、クリスマスイブの夜、真っ赤な服を着て帽子をかぶった白ヒゲのある小柄のサンタクロースが、突然家へやってきました。私は祖父の膝の上にだっこしてもらっていました。サンタクロースが何者かもわからず、突然変なかっこうをしたよそ者が家の中へ入ってきたことに驚き、大声を出して泣きました。兄や二人の姉、父、祖父、祖母はニコニコ笑っています。サンタクロースは、子供達にプレゼントをくれました。私はプレゼントもなんのその、驚きのあまりずっと大声で泣き続けました。その記憶がクリスマスの思い出としてずっと残っています。
大きくなって振り返った時、あのサンタクロースは母だったのだと理解しました。母は、小学校六年生の時に母が亡くなり、二十歳の時には父も亡くなりました。結婚して家庭を築き、子供に恵まれ、三十代の母は、自分の理想とする家庭像を実現していたように思います。六十年前といえば、家庭でクリスマスパーティーをする家は、まだ少なかったのではないでしょうか。母はケーキを作り、クッキーを焼き、チキン料理も用意しました。そしてプレゼントは、数々のお菓子と母特製のセーター、マフラー、手袋でした。食事が終わると家族みんなで歌を歌いながらの合奏です。「ジングルベル」「きよしこの夜」です。最後に祖母が独唱します。十八番(おはこ)の披露です。流行歌「籠の鳥」です。普段めったに歌わない祖母が、この時はすまし顔ですました声を張り上げて歌うのです。今、思い出せばクリスマスパーティーに「籠の鳥」です。おかしくて吹き出してしまいます。そんな変なクリスマスパーティーは、私が小学校五年生ぐらいまで続きました。
そのあとは、華道の師匠をしていた母が、生徒さん達を集めての門下のクリスマスパーティーへと変化していきました。そのクリスマスパーティーは年々盛大になり、兄が大学生、社会人になり、その友人達も加わり、ダンスパーティーを主としたものになりました。医者の卵達もたくさん来ていて、いろんなロマンスが生まれ、デートへと発展していくカップルもありました。現在の婚活の場を提供していたようにも思います。
母は孫が八人できて孫が幼稚園の間は、またサンタクロースに扮して、孫達を喜ばせていました。
私達が二人の子供へ贈るクリスマスプレゼントは、普段の生活の中で、何気なくどんなものを欲しがっているかを聞き出しておいて、用意しました。子供達が寝ている枕元へプレゼントを置く時は、目を覚ますのではないか、ばれたらどうしようとドキドキしたものです。成長とともに、サンタクロースは父母だったと、自然にわかっていくものです。幼い子供達と親との懐かしいゲームのようなクリスマスでした。
外国では、クリスマスが最大の家族行事のようです。クリスチャンでもない日本人にとっては、一つのイベントになっているクリスマスです。楽しく和やかにクリスマスを過ごし、思い出の一つになればそれで充分だと思います。美しいクリスマスソングを聞いて、静かに過ごしたいと思います。