海外で長期間にわたり仕事をされてきた方 数名
大企業の最高ポストにつかれている方 数名
大学教授をされている方 数名
高校教員をされてきた方、一流企業で若手社員の指導・育成担当教官をされてきた方、などですが、不思議と自営の方はおられません。昭和46年~47年に工学部を出た人達ですが、日本の高度経済成長の時期で、日本が活気に包まれ、ベビーブーマーが社会へ飛び立った頃です。就職し結婚し子供を育て働き続け、気がついたら四十年が過ぎたのです。そして定年を迎え、それでもまだ働き続けます。現在では七十歳くらいまで仕事を続けたいと、思う人が多いようです。もちろん現役の時とまったく同じ形態の労働ではありません。週に三日~四日ぐらい仕事をするというパターンです。
同好の士の一人の方から、今回の集まりに欠席するというメールが届きました。その中にとても気になることばがありました。
「何十年大手企業で働いてきて、定年を迎えるまでまだ八年ほどあるという頃に、自分の担当部署がなくなり、そのあと市の福祉関係の場で仕事をしています。私はこじんまりと生きてきました」という内容です。「こじんまりと生きてきた」とは、どんな生き方だったのでしょうか。私は考え込んでしまいました。「こじんまりに生きる」とは。
人間はいろんな欲望、願望を持っていると思います。欲望は限りなく広がっていきます。大志を抱き「出世したい、功績を残したい、お金持ちになりたい」など、欲望、願望はいろいろありますが、その欲望、願望を成就させるために頑張るのだと思います。欲望、願望が頑張るパワーになります。
私達夫婦は、結婚した時から自分たちの住まいを手に入れたいという夢がありました。そしてその夢の実現のために頑張りました。三十歳でマンションを購入し、将来は一戸建てに住みたいという思いで、立て続けに土地も購入しました。もちろんローンです。転勤になった時、いずれはその地に戻るであろうと思い、人に貸してローン返済にあてました。ところがその地に戻ることはなくなり、次の転勤先で私達の描く一戸建て住宅に出会ったため、マンションと土地は売却しました。仕事を頑張り、子育てにも奮闘し、愛犬二匹との生活も楽しみ、子供たちは巣立ち、愛犬たちは旅立ち、夫婦二人きりになりました。大きな広い家は、淋しいものになったのです。同時にまた転勤となり、都市に小さなマンションを購入しました。思い出いっぱいの住宅は手放すことになりましたが、実家から土地の提供もあり、田舎に自分たちで図面を引き夢の住宅を完成させました。今は、都会暮らしと田舎暮らしをしています。私がこんな話をすると、誰もが「よくそんなことするね、よくそんなことしたね」と、あきれ顔で言います。自分たち二人の手でこんなことをしてきた、できたということは、いろんな面で恵まれていたのだと感謝していますが、「こじんまりに生きる」とは、対象的な生き方のように思います。
「こじんまりに生きてきた」人の、静かな泰然自若な生き方に、精神的な深みがあるようで魅かれます。ひょっとして、禅の道を歩んでこられたのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿