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連合軍は、日本の封建的なあり方を改廃するために、憲法の改正を要請し、「家制度」によらない新しい家族のあり方を示しました。これにより「家」に関する規定が廃止され、家督相続者にもとめられていた親扶養義務規定も修正されました。しかしこうした法律の変化が、すぐに人々の家族のあり方を変えたかというとそうではありません。民法の改正後も実態としては、多くの高齢者は、子ども、とくに長男家族と同居する形は続いていました。実態としての家族のあり方に、大きな影響を与えたのは、1960年代に起こった高度経済成長です。
今の日本は、長命社会になり、高齢者介護の問題は、特定の一部の人の問題ではなく、国民共通の普遍的な問題となってきています。1970年代後半から80年代末までの10年以上にわたり、「日本型福祉社会」政策がとられてきましたが、個人の自助努力を基礎とし、家族による相互扶助を基軸に据えた福祉政策は、経済が高度に発展し、長命社会に突入した日本では破綻せざるをえません。
高齢者の介護は、負担する家族に、肉体的、精神的、経済的重圧となり、心で想う介護が、全うできず、家族の崩壊や離職をはじめ様々な家庭的悲劇の原因となっており、社会
全体で担う「介護の社会化」が必要となってきたのです。家庭内介護が八方ふさがりとなり、心中や殺人といった事件が後をたちませんが、介護の社会化により家庭、家族という狭い枠に押し込めないで、社会の中の一員というつながりで高齢社会を乗り切っていかねばならないと考えます。
私は5年前にホームヘルパー2級を取り、高齢者に関する勉強、実践をしました。それと同時にお話を聴くボランティアを始め、施設、有料老人ホームで高齢の方々に接しています。自分が要介護になった時、誰に介護をしてもらいたいかという高齢者の意識もずいぶん変化してきました。以前は子どもに世話になりたいと思う高齢者が多かったのですが、核家族化が進み夫婦二人暮らしの場合は、配偶者を頼りにしている人が多いです。このことが老老介護となり、共倒れを引き起こしたりしています。
子どもに世話になりたいと思っても、核家族化が進み、同居率は低下し、女性の社会進出も進み、家庭内介護は難しくなってきました。そういう時代背景があり、高齢者介護が、私的介護から公的介護へと、社会化せざるをえなかったのです。高齢者自身も、新たな家族のあり方を、模索し始めています。介護保険制度ができて、在宅介護もできるようになってきました。
私の両親も、子どもが独立したあと、二十年夫婦二人暮らしをしてきましたが,母が心筋梗塞で突然亡くなり、父は一人になりました。介護が必要になってきた段階で、三人の子どもの支えと、デイサービス、在宅介護支援の利用で施設への入所はせず、最後は病院で亡くなりました。母が亡くなったあと、父は、一人で十年を生きました。父は、いろんな状況、環境に恵まれていた方だと思っています。
おわり
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