今から五十五年前の私の暮らしについて、思い出しながら書いてみようと思います。
「昔、昔、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」昔話「ももたろう」の始まりの部分です。
小さい時の記憶としてハッキリ覚えているのは、家族で山へ柴刈りに行ったことです。リヤカーで家族六人と犬の「はり」とで、年に数回、山へ柴刈りに行きました。幼い私は、行きも帰りもリヤカーに乗せてもらい、楽しい楽しいピクニック気分でした。山では、家族全員で柴を集め、リヤカーいっぱいになるまで頑張りました。お昼は、おいしいおにぎりです。山には、たくさんのうさぎがいるので、コロコロの小さなフンが、あちこちにありました。
山で刈った柴は、毎日、米や野菜などを煮炊きするかまどや、お風呂をわかす燃料になりました。煙突を使うので、父はよく煙突掃除をしていました。(チムチムニーチムチムニーチムチムチェルーおいらは煙突そうじやさん です)
お風呂は、ごえもん風呂なので、お湯につかっている時に、追い焚きをしてもらうと、風呂釜がチクチクと熱くなるので「やりがさす」と、言っていました。
水はもちろん井戸水です。炊事、洗濯、風呂、すべて井戸水でまかないました。畑でとれたトマトを水かめに入れておくと、今の冷蔵庫と同じくらい冷たくなって、いつもよく冷えたトマトを食べていました。
食料もほとんど自家製です。米、麦、野菜、果物、みそ、しょうゆ、つけもの、卵、牛乳、などです。
鶏舎では、たくさんのニワトリを飼い、卵は店で売ってもらいます。
乳牛は二頭いて、搾乳して販売店へ届けます。
野菜類も自宅で食べきれないので、八百屋の店頭へ並べてもらいます。
年末には、おもちをつき、旧正月には、かきもち、あられを作ります。
お茶も作っているので、春は、摘み取りから製茶工場までの運搬も大変です。
夏が来る前には、麦を製麺所へ持ち込み、ひやむぎやそうめんを作ってもらいます。
畑でとれた小豆を煮て、あんを作りおはぎもできます。おぜんざいもできます。
大豆からきなこも作ります。
梅から梅酒も作ります。
菜の花からなたね油も作ります。
パンも母がパンがまで焼いてくれました。
買うものは、肉・魚だけです。
子供たちの着る服も手作りでした。
暖房は、炭を使った炬燵と湯たんぽです。
田舎の古い大きな家は、すき間風が、スースー入ります。
冬は寒いかわりに、夏は、気持ちよい風が、通りぬけます。
今、思えば、その頃の私の家の暮らしは、自然の恵みをたくさん頂き、自給自足に近いものでした。現在の日本で、こういうことができたなら、原発も必要でなくなります。
しかし、社会の変化(第一次産業から、第二次、第三次産業へ重心が動いたこと)と共に、私が、子供の頃に経験した暮らしを、実現することは、難しくなりました。
実現できる生活の知恵を、五十五年前の暮らしから、拾い上げねばならない時に、来ていると思います。
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