2018年5月11日金曜日

お出かけ(京都養源院)


 ゴールデンウイークのプチトリップ五日目は、京都東山区にある養源院へ自転車で出かけました。鴨川の岸辺を南下して、七条通りで上へ上がりました。自宅から30分ほどで到着しました。養源院は、三十三間堂の隣、東側にあります。京都に住んでずいぶん経っていますが、養源院を訪ねるのは初めてです。ゴールデンウイークなので、たくさんの人が来られています。

大きな門は秀忠が造った方広寺の南大門、
右が三十三間堂、左が養源院です




豊臣秀吉の側室淀殿が、父浅井長政の供養のために秀吉に願って創建しました。文禄3年(1594年)の創建です。その後火災により焼失しましたが、淀殿の妹である二代将軍徳川秀忠正室江殿の願いにより再興されました。以後徳川氏の菩提所ともなりました。二十人ほどのグループごとに、お寺の方の説明を受けながら参観します。関ケ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで、鳥居元忠率いる千人ほどが城を死守し最後に切腹しました。鳥居元忠は、徳川家康の乳兄弟で、そこで別れの杯を交わしたのだそうです。自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたのが、血天井です。説明では「ここに鳥居元忠の姿が、ここに武将の手のあとがあります」とのことですが、四百年以上の時を経てかすかにそうかなと思えるほどのものでした。廊下の板の間を天井にして、武将たちの霊を弔うことには、江殿の意志が大きく働いたとのことです。


本堂の襖や杉戸の絵は、琳派の俵屋宗達の筆によるものです。杉戸の絵は、いつか社会科で目にしたものでした。白象や唐獅子です。大きなガラス戸で守られていました。




参観は40分ほどで終わりました。徳川秀忠と江の娘和子は、後水尾天皇の后となり、養源院は皇室との深いつながりをもちました。紋章、菊花紋章を頂きました。徳川家の葵の紋章、浅井家の紋章と並んでいます。養源院を訪れて、女性の大きな力に感動しました。権力者、天下人のそばにいる女性は、影の権力者のようです。時代を動かす力を持っているようにも思います。先人の女性たちに力をもらいました。養源院を出てから、近くの国立京都博物館にあるカフェでランチとなりました。



ずいぶん前のことですが、幼い二人の娘を連れて、当時住んでいた奈良から七条まで毎週音楽のレッスンに通ったことが思い出されます。当時京阪電車は地上を走っていました。今は地下を通っています。時の流れに思いを馳せてしまいました。

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