2018年5月10日木曜日

お出かけ(京都応仁の乱 跡地めぐり)


 京都には歴史に残る遺跡、戦跡がたくさんあります。ゴールデンウイーク四日目は、自転車で応仁の乱の跡地めぐりに出かけました。ガイドブックを手にしたポアロの案内です。まず始めに応仁の乱勃発の地である、御霊神社へ向かいました。自宅から30分ほどです。本殿の参拝を済ませてから、境内の中を歩き歴史の碑を探しました。わりと最近建てられたと思われる大きな石碑を見つけました。細川護熙元総理が書かれたものでした。ここが応仁の乱発端の地と書かれています。






学校の社会科の授業でさらっと習った記憶はありますが、詳しくは覚えていません。応仁の乱は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって続いた内乱です。家督争いから、勢力争い、そして後継争いも加わり、ほぼ全国的に争いが拡大しました。主要な戦場となった京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃しました。細川勝元率いる東軍と、山名宗全率いる西軍がにらみ合いを続けました。東軍は堀川通りの東側に陣をおき、西軍は堀川通りの西側に陣をおきました。千利休から始まった茶道千家(表千家、裏千家)が並ぶ通りの近く、小川百々橋辺りが激戦地になった場所とのことです。




和睦により西軍が解体されて、応仁の乱は収束しました。以前訪れた兵庫県にある天空の城と呼ばれる竹田城は、山名宗全の城でした。また南禅寺塔頭に山名宗全のお墓がありました。あちこちで山名宗全の名前を目にしています。立派な武将というイメージをもってしまいます。堀川今出川通りの少し北側に山名宗全の邸宅跡の石碑が建っていました。ポアロはスマホを見ながら跡地を探します。小さな石碑を見つけるのに苦労しているようです。





全行程は二時間近くかかりました。今回の応仁の乱跡地めぐりは終わりました。京都老舗四文字和菓子店で柏餅を買って帰途につきました。歴史を知ること、跡地をめぐることは、知るを楽しむという楽しいものでした。

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