2017年12月7日木曜日

徒然に想うこと(変化)

 ずい分前に老人力という言葉が誕生して世の中に定着しましたが、最近この言葉について考えることが多くなりました。人間として長く生きてくると、自分の変化に気づきます。自我が芽生えてくるとともに悩みも増え、未来に希望や夢が満ち溢れている成長期、青年期を通過し、心や体が一人前の大人になったと認められる成年期に入ります。社会人となり、家庭を持ち人の親となって大きな責任も担います。そして働きざかりの年頃、壮年期を走り続けます。
 親としては喜びだけでなく、親業の大変さも経験します。子供の成長とともに、自分も成長します。子供を社会へ送り出し、一人の人間として成熟期を迎えます。ここら辺りからじわじわと上昇気流から下降気流へと変化します。心身ともにではありません。体についてです。外見上は下降気流です。視力、聴力、体力、記憶力、根気などは低下し、年齢を感じます。ここからが別れ道です。体は下降気流ですが、心は最期まで上昇気流だと思います。歳とともにその思いが強まっています。それこそが老人力だと思います。忍耐力が強くなっています。少しのことではくたばりません。精神力が若い時に比べて、どんどん強くなっています。自分でも驚くほどです。悲しみ苦しみ怒り、あんなに傷つきやすかった自分ですが、今はそれもありません。他者のセリフを冷静に受け止められます。今、この人はそういう風に思っているのだ、そうなんだと受け止めることができます。腹を立てずに笑うことができます。視点を変えて考えることができます。若い時からこんな自分であれば、傷つくこともなく、悲しみ苦しみ怒りを笑いに変えて吹き飛ばしてこられたのにとつくづく思います。これが老人力だと実感します。
 人生は持久走です。持久力は大切です。大事です。いろんなことに敏感だった若い時代は、遥か遠くに遠ざかりました。鈍感力も老人力です。感受性も強く太くなったように思います。外見は間違いなく高齢者ですが、幅の広い、奥行きも広い、そして人間性は底深く、包容力があり、寛容な人に近づいている今の私です。四十代で旅立った姉や五十代で旅立った義父や従姉妹、友は、老人力を味わうことができませんでした。これからの未知の世界が楽しみです。

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