2017年12月14日木曜日

今日は何の日(京都山科義士まつり)

 毎年十二月十四日には「山科義士まつり」が開催されます。私達は初めて見に出かけました。赤穂藩筆頭家老大石内蔵助が1701年(元禄14年)6月から1702年(元禄15年)10月に江戸に向かうまでの期間、山科に移り住んだ史実に因んで行われているそうです。
毘沙門堂を十時に出発し、大石神社へ二時半に到着するまで約6キロを、義士隊の行列がまちを練り歩きます。討ち入り装束に身を固めた義士隊です。私達は街の中心地、商店街で義士隊行列を見ることにしました。信号が止められ、まず最初はゆかりの女性たちに扮した人たちの行列です。続いて、大石内蔵助を先頭にして義士隊行列が進んでいきます。









浪士たちは、討ち入り装束で、はっきり読める字で、播州赤穂浪士と、それぞれの名前が書かれています。記憶に残っている人の名前を見つけては、あの人だあの人だと、まるで浪士たちが再現したかのような錯覚を覚えました。1703年(元禄15年)12月14日、あの日から314年の歳月を経て、見ている者の胸によみがえってきます。現場にいたわけではないのにです。義士四十七士の後には、女性達が続きます。隊列は短く、わりと早く見終わりました。
私が子供だった頃は、テレビがまだ普及されておらず、映画全盛時代でした。師走に入ると映画「忠臣蔵」で街が賑わいました。ストーリーはわかっていても、子供から大人まで盛り上がりました。映画「忠臣蔵」を見るのが、師走の恒例行事となっていました。映画会社が競って「忠臣蔵」を製作し、観客はいろいろ比べて批評したようです。赤穂浪士四十七士はヒーローでした。終着地の大石神社へは数年前に行っています。ブログにも書きましたが、普段は静かなひっそりとした佇まいです。十二月十四日は晴れ舞台へと変わります。以前兵庫県赤穂市にある赤穂城の大石神社へも行きましたが、今日は赤穂城でも、また東京の泉岳寺でも、赤穂浪士たちを偲んで多くの人が集まっていることと思います

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