2016年11月19日土曜日

今は死語(良妻賢母)

 良妻賢母とは、辞書には「夫に対してはよい妻であり、子供に対してはよい母親であるような女性」とあります。これに対して良夫賢父という言葉はありません。男性が外、女性が中、といった役割分担があった時代、女性の生き方を示し、女性の理想像を作り上げていたのかもしれません。よい妻、よい母親、よい夫、よい父親、とは何をさしているのでしょう。その定義は難しいと思います。生活の糧となるものを稼いでくればよい夫、よい父親なのでしょうか。確かにそれも大切なその一つですが、全てではありません。現代社会においては、男性女性の間の壁もなくなり、基本的には対等の関係です。しかし性差は永遠に不滅です。腕力に関しては男性が勝り、自分の体を通して新しい命を育て送り出すことは女性にしかできません。しかし新しい命の誕生は、女性だけ、男性だけでは実現できません。それ以外のすべてのことは、男性、女性にこだわることはありません。夫唱婦随でも婦唱夫随でも個人の自由です。半世紀をはるかに超えて女性として生きてきた私は、振り返れば良妻賢母という呪縛にがんじがらめになっていたような気がします。人には得手不得手があるのに、良妻賢母=完璧な女性ととらえ、良妻賢母であり続けねばならないという強迫観念にかられ、理想像をずっと追い求め、自分はダメ人間というコンプレックスを、自分が自分に押し付けていました。これは時代の流れだったのでしょうか。それとも生まれ育った家の古さからだったのでしょうか。今はありのままの自分を認め、開き直り「これでいいのだ」と肩の力がとれました。自分の経験から、男子教育・女子教育と分けることなく、人間教育こそ最も大切なことだと思っています。一人一人の個性を認め尊重し、支え合い助け合う社会は、家庭からです。良妻賢母・良夫賢父は、技術ではなく、中身の人間性のことと理解し、あくまでも理想論と捉えましょう。人生山あり谷あり、欠点だらけの人間同士、愛情を中心にして支え合い助け合い、責任と義務を忘れず楽しく過ごしたいと思います。


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