2016年11月18日金曜日

今は死語(冷や飯食い)

 現代社会において冷や飯食いは存在しますか。電子レンジでチンするだけで即温まります。しかし炊き立てではありません。一人暮らしの一人者は別として、家族の中で誰が冷や飯食いを担っているのでしょうか。家父長制度があった時代には、長男以外が冷や飯食いと呼ばれました。我が家では、私が冷や飯食いです。いつもの習慣で足らないということにならないようにほんの少し余裕をもって炊くのですが、少しは残ります。冷凍庫には残ったご飯がたまっていきます。時々炒飯やジャンバラヤ、ドライカレー、雑炊などに使いますが、冷凍庫には保存食のようにご飯が入っています。そういうことから炊く量を減らして、私が冷や飯食いになりました。私の実家は農家だったので、お米になるまでの労働の大変さをよく知っています。米粒一つも捨てることはできません。お米をとぐ時も、お釜を洗う時も、そのことはいつも頭をよぎります。そして感謝の気持ちが湧いてきます。台所に立ってお米に接する時、今は死語になっている冷や飯食いについていろいろ考えてしまいます。

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