2016年11月17日木曜日

今は死語(家父長)

 1945年昭和20年の終戦とともに消え去った言葉に「家父長制度」があります。今は死語になっていますが、家制度が続いてきた中で家父長は絶対的な権力を持ち、それとともに家族に対する全責任を負っていました。戦後生まれの私ですが、身近な人から聞く話は信じられないような本当の話です。家の中では、父親が一番で長男が二番です。食事の時には如実に表れます。父親と長男は、一段高い席に座ります。次男以下その他大勢は一段下に座り、末席には妻が座ります。使用人は一緒ではありません。父親が食事を始めると、長男が食べ始め、それを確認してから次男以下その他大勢が食べ始めるのです。食べるものにも差があります。父親、長男は尾頭付きの魚です。ここまで書いただけで、あまりの差別に腹が立ってきます。身分というものが、社会の中に、家庭の中にもあったのです。生まれながらにして次男以下の者が受けた差別は、それが当たり前となり人の一生について回ります。身近な人は、私より八歳上で戦中生まれの次男です。父親が絶対的な存在であり、それに次ぐ兄には頭が上がりません。その姿勢は一生続いています。「三つ子の魂百まで」の通りです。
 ちなみに、英語では兄も弟もbrotherといい年齢が上か下かは重視しないそうです。

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