2016年2月24日水曜日

読書の楽しみ(4)「殉愛(原節子と小津安二郎)」を読んで

 西村雄一郎著「殉愛(原節子と小津安二郎)」を読み終えました。知らなかったいろんなことを知り、本を読み進める過程は、驚きの連続でした。親世代のお二人には直接お会いしていませんが、二人の人間性に強くひかれています。人間性というのは、生き様です。いくつもの小津作品には、家族、人間、絆、愛、生と死、戦争と平和が、テーマとしてあります。登場人物の台詞や背景や映像の作り方の中に、監督の思いが込められています。テレビで放送された懐かしい小津作品を見たことがありますが、目で映像を追っているだけの私は、小津監督の深い思いのことは知りませんでした。今回この本を読んで、映画鑑賞の奥深さを知りました。
 小津監督は、1937年(昭和12年)中国戦線に配属され、戦争の非情さを目撃し、地獄を体験されています。自分の映画作りを通して、平和への願いと反戦を、自分なりに表現されたのです。社会の一番小さい単位である家庭という枠の中にある家族も、もろく壊れやすいものと捉えておられます。だからこそ人と人との絆を大切にしなければなりません。「人を思いやる心と感謝の気持ちを忘れないで」は、小津監督からのメッセージのように思います。
 小津監督が日記に書かれていたことも、この本に登場します。その中に胸打つ文がありました。「人とちぎるなら 浅くちぎりて 末までとげよ」1935年(昭和10年)8月1日の日記です。小津安二郎も原節子も生涯独身を貫きました。原節子は、小津安二郎亡きあと、映画界から遠ざかり、公的な席には一切出席しなくなり、五十年以上も姿を見せることはありませんでした。小津作品のヒロインとしての原節子の台詞には、小津監督の思い願いが、素直に表現されているそうです。
 最後の作品の中に、小津監督が言い続けた信念の言葉が台詞にあります。「品性の悪い人だけはごめんだわ。品行はなおせても、品性はなおらないもの」この言葉にも感動しました。また最後の作品のモチーフは、「生と死とは紙一重、生と死とは隣り合わせ、死は日常のすぐそばにある」ことだとこの本の著者は書いています。小津監督の大好きな言葉「せんぐりせんぐり」が台詞に登場します。「死んでも死んでも、後から後から、せんぐりせんぐり生まれてくるヮ」輪廻転生です。自然の摂理(人間の知恵をこえた神の意志)を言いつくした台詞として有名だそうです。
小津監督が考えていた究極の愛の形は、真摯で崇高な愛だと著者は書いています。人間の理想像のような、一途で潔癖で純粋な人がいるのでしょうか。小津安二郎と原節子は、そんな愛を全うしたということを知りました。
蓼科にある別荘は、小津安二郎が1956年に借り受けて「無藝荘」と命名したそうです。没後十年目の1973年に建立された有縁地碑には「会い度い 会い度い もう一度 中学生になりたいなあ」と刻まれているそうです。鎌倉の円覚寺にある墓碑には「無」と刻まれているそうです。

 本を読んで三重県松阪市の青春館、飯高オーヅ会資料室へ行ってきた私ですが、今度は蓼科と鎌倉を訪れたいと思っています。小津安二郎の子供時代、青年時代、そして晩年の足跡を辿ろうと思います。

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