2016年2月12日金曜日

読書の楽しみ(2)

 今、西村雄一郎著「殉愛(原節子と小津安二郎)」を夢中で読んでいる途中ですが、先日三重県松阪市にある小津安二郎青春館へ行ってきました。



 日本の映画史上に名を残す名監督小津安二郎のルーツは、「伊勢商人」だと著者は書いています。小津安二郎は、東京深川で生まれましたが、先祖は松阪市の豪商です。江戸店を持つ松阪商人です。子供は郷里で育てたいという父親の方針で、安二郎は九歳の時に母と兄弟と共に松阪へ移住して、十九歳までの思春期を過ごしました。松阪での暮らしは十年でしたが、彼の生涯を決定づけることになる松阪十年でした。小津安二郎青春館は、彼の生誕百年を記念して、十四年前につくられました。市が開設し、運営に当たっています。青春館は、小津一家が暮らした住居跡にあります。賑やかな町の中にあった住居は、1951年(昭和26年)の昭和の松阪大火で焼失しましたが、庭には木登りをして遊んだ夏みかんの木が、大木となり歴史を伝えています。小津安二郎は、1903年(明治36年)に生まれています。松阪での暮らしは、1913年(大正2年)から1923年(大正12年)で、最後の1年は、代用教員を務め、十九歳で蒲田松竹撮影所に入ります。戦前に39本、戦後に15本、計54本の映画を残し、1963年12月還暦を迎えた誕生日に亡くなりました。

 青春館には、「小津家の文化」コーナー、「明治時代・東京での暮らし、家族の絆」コーナー、そして小津安二郎監督作品パネルなど、いろんなものが展示されています。彼が書いた絵や書もあります。親友に出した手紙には、映画を作りたいという夢が綴られています。青春館のパンフレットには、「名監督小津安二郎を生んだ土壌は何であったのか。安二郎の感性を育てたであろう彼を取り囲んだ親族が持っていた文化に、紡ぎ出された名作の源流を探る」とあります。本を読んで小津安二郎の人間像に魅力を感じています。もっともっと知りたいという思いで、胸を熱くしています。

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