2016年2月16日火曜日

読書の楽しみ(3)「飯高オーヅ会」

 西村雄一郎著「殉愛(原節子と小津安二郎)」をあと少しで読破します。先日三重県松阪市飯高町にある小津安二郎資料室へ行ってきました。小津安二郎が代用教員として務めた小学校の跡地に建てられた、かつての役場の一室が資料室となっています。時代は移り、その役場は市町村合併により、老人福祉センターになりました。駐車場の隅に記念碑が建立されており、小津安二郎が、教え子からもらった暑中見舞いへの返事が彫られていました。




 小津安二郎が代用教員を務めたのはたった一年でしたが、若き教師は子供達と密度の濃い学校生活を送りました。子供達と裸のつきあいをして、川や山へと教え子達をつれ出し、マンドリンを弾いて聴かせたり、映画の話を面白おかしく話して喜ばせたり、子供達に「オーヅ先生」と呼ばれ慕われました。その教え子達が発起人となり、平成五年に「飯高オーヅ会」が発足したのです。 


来訪者の色紙

 資料室には、小津安二郎ゆかりの品がたくさん展示されています。小学校の模型があり、当時の小学校の様子がわかります。





小津作品に出演された女優さんも訪問されています


写真や直筆の手紙、書もたくさんあります。遺族から寄贈された生活用品も多くあり、愛用のカバンや白いシャツも展示されています。卒業写真には、十九歳の小津安二郎と二十五人の子供達がうつっています。


 小津安二郎は、小学校の隣の家に下宿していたのですが、その家は今も現存しています。


小学校のすぐ裏が下宿でした

学校の近くにある櫛田川や花岡神社や、標高1029mの局ヶ岳(つぼねがだけ)は、子供達とともに慣れ親しんだ場所です。局ヶ岳は、伊勢三山のひとつで、尖った山の形状から「伊勢の槍ヶ岳」とも呼ばれているそうです。「オーヅ先生は、下駄で登った」と、かつての教え子達は証言しています。花岡神社の入口正面には、大銀杏の木があり、草創は八百年以上前と伝わっているとのことです。


 小津安二郎資料室には、年配の女性がおられて、親切に丁寧に案内・説明してくださいました。かつての教え子で発起人の一人である、「飯高オーヅ会」の初代会長をされた方の娘さんでした。御存命のかつての教え子は、もう誰もいらっしゃらないとのことです。

かつての教え子達が「オーヅ先生」とのいっぱいの思い出を記しています。
*オーヅ先生は、いつも着物に羽織、袴に下駄履きやったなあー。
*オーヅ先生は、ニキビ顔で体格のええやさしい先生やったなあ。
*オーヅ先生は、体操の時間は厳しかったなあ。
*オーヅ先生からローマ字を教えてもろて仕事に役にたったんサ!
*マンドリンを下宿で聞かせてもろた。
*花岡神社ではオーヅ先生とようすもうをとった。
*オーヅ先生のお話は面白て面白て身を乗り出して聞いたワ!

資料室に、二時間も長居してしまい、小津安二郎の飯高での一年間の軌跡に浸りました。

和歌山街道沿いの建物


飯高町は、松阪と和歌山を結ぶ和歌山街道のほぼ中間にあります。三重県と奈良県の県境は、高見山・高見峠です。三重県側が飯高町で、峠を越えると吉野です。江戸時代、紀州藩主の参勤交代の道として、また伊勢神宮への参詣道として、多くの人々が行き交いました。江戸時代には本陣が置かれ、国道166号ができる昭和の時代までは、旅館や商店が建ち並ぶ、この地域のメインストリートでした。小津安二郎が暮らした頃も、何軒もの旅館があり、芝居小屋もあり、宿場として賑わっていたのです。かつての賑わいを思わせてくれる写真もあり、古い建物もいくつか残っているようです。

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