新聞で戦後七十年の特集が続いています。先日は「装いの情景」と題して、洋裁に関する記事でした。
戦後、女性達はこぞって洋裁学校へ通いました。1947年に全国で400校、生徒は45000人、1955年には全国で2700校、生徒は50万人になり洋裁ブームが到来しました。1970~1980年代には、洋裁学校で服作りを学んだ日本人デザイナーが、本場パリで活躍します。そのあと既製服の時代になり、自分で作るより買った方が安い大量生産の服が増え、家庭での洋裁は衰退しました。ところが2008年のリーマン・ショックで消費を見直す動きが広がり、2011年の東日本大震災を経て、手作りへの関心が高まっているとのことです。
私が子供の頃、母は子供達の服すべてを手作りしていました。それが当たり前のようになっていました。私が十代になると洋装店で仕立てをしてもらいました。今考えるととてもぜいたくに思いますが、まだ既製服が普及していなかったのだと思います。新婚旅行に着るスーツも、おそろいで仕立ててもらいました。結婚してからは、自分の好みに合う既製服が求めやすくなり、価格も手頃なものとなり仕立てを注文することもなくなりました。
花嫁修業という言葉が受け入れられていた時代には、年頃の女性達は洋裁はもちろんのこと、編み物や茶道・華道まで、どこの教室も大盛況でした。私もすべて習いました。私が通った洋裁学校は、地元で一番の学校でしたが、時代のピークも過ぎ、先生が体を壊されたこともあり、学校は閉じられていました。個人的なお願いをして、個人授業をして頂きました。ホールのような広い教室はダンススタジオほどもあり、たくさんのミシンが並んでいました。私が通ったのは短い期間でしたが、結婚によりふるさとを離れたので、その時点で終了となりました。そのあと先生はお亡くなりになり、御子息も遠く離れた所で医者になられて、大きな学校は無人状態が続いています。しかしその大きな古い建物は、今も壊されずに姿をとどめています。ふるさとの洋裁学校の前を通るたびに、過ぎ去った時代を懐かしく思い出します。
洋裁学校からスタートし、その後専門学校になり、短大になり、大学へと進化したものもたくさんあります。新聞を読み、洋裁学校についていろいろ考えてしまいました。
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