死後の世界はあると思いますか。その世界から戻ってきた人はいないので、真実はどうなのかはわかりません。私はあると確信しています。
死後の世界で心安らかに、安穏な日々を過ごすことができれば、その人も残された家族も幸せといえるでしょう。天災は別として、死後の世界で心安らかに安穏な日々を過ごすことができない人が、仮に、もしいるとなると大変です。その人は現世を思い、復讐を企んでいるかもしれません。生と死を隔てる壁はないと思います。いかに生きるかが大切です。その生き方が、健康的な死後の世界を構築するということを忘れてはいけません。
数年前に大ヒットした「千の風になって」に出てくる歌詞について、疑問を抱いた人もいると思います。「私はお墓にいません。お墓に眠ってなんかいません」通常お墓にはお骨が納められ、故人はお墓に眠っているとされてきました。目に見える形でお骨はお墓に納められています。「千の風になって」に出てくる「千の風になってあなたのそばに」というのは、お骨ではなく魂のことと考えます。私の死後の世界は、お骨はお墓で眠り、魂は自由に世界をかけめぐり、愛する者たちの幸せを願い「千の風になって」の歌詞のとおりになると確信しています。
現代のお墓事情はめまぐるしく変化しています。若い人の中には「お墓なんかいらない」と言う人もいます。散骨を望む人もいます。宗教も数多くあり、自分の最期の儀式をどういうふうにするかは個人の自由です。他人がとやかくいうものではありません。知人は、夫が亡くなり三年半が過ぎた今も、お骨を家に置いています。新家なのでお墓は新しくつくらねばなりません。知人の気持ちはずっと揺れ動いています。一人娘が嫁ぎ、お墓に入るのは自分達二人だけだと思っているからです。そしてその一人娘は「お墓はいらない」と言うので、知人は、ますます迷路の中にいるようです。人間は故人になる前に、自分の意思・希望のメッセ-ジを残す必要があると思います。
私はラッキ-なことに、夫の父親が眠っているお墓は、私の実家のお墓のすぐそばにあります。私が死後の世界を考える時、私のお骨は、父や母のそばで眠るという安心感があります。本当に心安らかに安穏な日々を、父や母、祖父や祖母、縁ある人達と共に眠れるのです。そういう意味でも、お墓があり、自分はここで深い眠りにつくということが生前からわかっていることは、死後の世界に不安を持たないですむように思います。
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