2014年7月31日木曜日

故郷の風景(1)川

 最高気温が30度という日が数日続いています。子供の頃の夏休みはちょうどそういう暑さでした。地球温暖化が進み、年々夏の最高気温が更新されています。
 久しぶりに子供の頃の夏休みを思い出しています。麦わら帽子をかぶり、タモとバケツを持って、兄や姉達、友達も誘い、大勢で川遊びをしました。いろんな大きさの石を集め、並べて堰を作り水を引き込み、そこへ魚を呼び込もうというのです。川上から大勢でにぎやかにバシャバシャと歩きます。驚いた魚達は一目散に逃げようとします。すると何匹かは私達の作ったいけすへ入っていきます。子供の知恵を結集した遊びです。みんな夢中になって遊びました。食べられる魚だったらどんなによかったでしょう。長い夏休みの遊びとして、みんな川遊びが大好きでした。




 川の歴史も変わり、川の姿は変わりました。立派な堤防ができて、子供達が気楽に川遊びをする川ではなくなりました。そして40度近い気温が続く夏休みに、川遊びをするのは危険です。川遊びする人影もなく、故郷の川は静かに流れています。最近では川遊びをする子供の姿はなく代わりに大きなコイが泳いでいます。








2014年7月30日水曜日

タイムスリップ(2)

 三十年前の書類が入った紙袋の中に、当時私が書いた原稿がありました。雑誌へ投稿した下書きです。不採用となり雑誌には載りませんでしたが、その頃の私の思いや考えが書いてあるので今読むと面白いです。
タイトルは「専業主婦の憂鬱」です。
 結婚してから東京へ引っ越すまで、私はずっとピアノ教師をしてきました。二人の子供の故郷出産で少し休んだ期間もありますが、概ね続けてきました。専業主婦の経験がありません。突然の転勤で東京へ引っ越した私は、初めての専業主婦になり、どことなく落ち着かない思いと戸惑いを感じました。夫を会社へ見送り、子供達を学校へ送り出すと、自分一人の時間です。さて何をするか。専業主婦の仕事はたくさんあります。無限大です。評価もさまざまですが、百点満点を取る人がいる以上、劣等生でも上を目指さねばなりません。その時代々で社会の考え方や取り方は違いますが、私にはプレッシャ-がいつも大きくのしかかっていました。人には得手不得手があるのだから何も完璧な専業主婦を望まなくてもよいものを、私は自分で自分を追い込んでいました。朝から家事をして、これでよいということになりません。家事には終わりがないのです。終わりのない家事は精神的に疲れます。家事の苦手な私は、ついつい自分の好きなこと没頭できることに逃げてしまいます。その一つが書くことでした。何もかも忘れ没頭し、あっという間に時間が過ぎて、子供達が学校から帰ってきます。子供達が帰宅してからは母として主婦として、夫が帰宅すると妻業も重なり、もう自分一人の時間はなくなります。そんな暮らしをほんのしばらくしていましたが、社宅だった為に、私がピアノ教師ということがすぐに広まり、子供に教えてほしいという人が出てきて、ピアノの生徒がどんどん増えていきました。

 専業主婦の大変さを痛感している私は、今度は仕事に逃げました。仕事を持つということは、完璧な専業主婦を目指さなくても認めてもらえます。完璧な専業主婦に自分はなれない、向いていない、なりたくない、専業主婦ってしんどい、嫌いということになったのです。そんな私がず-と仕事を続けてきて、最近仕事から離れ専業主婦になりましたが、やっぱり専業主婦はしんどいと、今はブログに燃えています。ブログに逃げています。家事は最低限しかしていません。といっても得手不得手に関わらず、好き嫌いに関わらず、しなければならないというものもたくさんあります。しなければ家庭経営は成り立ちません。最近は専業主婦に憧れるという女性も増えてきていると耳にしますが、結局は自分に合った道を進めば「それがいい、それでいい」のだと思っています。

2014年7月29日火曜日

タイムスリップ(1)

 たまりにたまった書類の整理をしなければと常々思いながらも一向に手をつけないまま日が過ぎ去り、やっとのことでその作業に入りました。大体は年代別に紙袋に入れてあるので、のぞいただけでこれはいつの時代のものとわかります。今回最初にのぞいたのは、何と三十年前の袋でした。転勤で奈良から東京へ引っ越した時代のものです。私は三十五歳、二人の子供は小学一年と四年でした。二人の子供の書いた手紙が何通かありました。それを読んだ私は胸にこみあげるものがあり、当時を懐かしく思い出しました。
 不器用な私は何事も必死です。家事育児すべてに余裕がなく、毎日必死にやりこなすという状態です。子供達が私に書いてくれた手紙は、私への愛であふれています。その愛に私は応えていただろうかと、今更ながら自責の念にかられています。子育てが「○○しなければ」という義務感に追い立てられ、愛情あふれる母親になっていなかったのではないだろうかと反省しています。第一優先は子供の命を守ること、健康を守るための食事、健康管理、育つ環境を整え、家族仲良く愛情でしっかりと結ばれている家庭経営など、理想を高く持ち、それを実行実現してきた自分だと自負していました。それなのに今私の心の隙間に忍び寄るこの想いは何なのでしょうか。回想のノスタルジ-でしょうか。終活に向けての懐古のセンチメンタルでしょうか。
 私の母は過酷なほどの日々の暮らしの中でも、四人の子供達に愛情をいっぱいそそいでくれました。母のあふれる愛の中でぬくぬくと幸せいっぱいに育ちました。母の愛は慈愛そのものでした。厳しい愛とは無縁のものでした。私はどちらかというと父性愛に近いものだったのかもしれません。父性愛は厳しい愛で子供を育てるのだと思います。その根底には深い愛がありますが表面は厳しさです。私と反対にポアロ(夫)は、母性愛に近いものだったのかもしれません。一般的には、母親の母性愛、女性の母性愛、父親の父性愛、男性の父性愛ととらえられていますが、男性女性に関係なく、その人の持つ性格的なところから表れるのが母性愛・父性愛だと思います。私達夫婦の相性はよかったのだということでしょうか。どちらかに片寄らずちょうどバランスがとれていたのだと思います。
 そしてもう一つ感心したものがありました。下の娘が学校の宿題で、お母さんについて四つの項目に分けて書いてあるものです。

題名は「ピアノが大好きなお母さん」

書くこと思うことは「朝からガンバッテいるお母さんのようす」です。
ごはんをつくっている時の母
  「小さな声で歌をうたいながらつくっている」
 「おべんとうを作る時は、はしりまわっている」
ピアノをおしえている時の母
  「月・火・水・金の日におしえている」
 「小さい子が多い時は、お昼ごはんを食べていない」
 「ときどきならいにくる子におこっている」
休みの日の母  
  「小金井公園などへいっておとうさんとテニスをしている」
 「二時間ぐらいピアノをひいている」
 「ときどき、本をよんでいる」
思ったこと
  「朝からがんばっている母のようになりたい」
 「ピアノのレッスンの日は、ふとんに入るとすぐねてしまう。とてもつかれるようだ」
担任の先生のコメントは「いいよ」はなまるが書いてありました
毎日の暮らしの中で、子供はいろいろ親の姿を見て、いろいろ考えているということを、

改めて感じました。親の私は無我夢中で必死に毎日を過ごしていましたが。

2014年7月28日月曜日

猛暑酷暑の寸暇

 今故郷でプチバカンスを過ごしています。連日40℃近い気温となり猛暑酷暑の日本の夏にうんざりしている私ですが、昨日の夕方から突然気温が下がり気持ちよい風が吹いています。まるで高原にいるような気持ちよい風です。その風に少し秋を感じました。今朝は五時に起きてこの気持ちよい朝のひとときを満喫しています。まだ冷気が残る朝五時です。家族が起きてくる前の自分一人の時間は貴重な時間です。誰にもじゃまされずに静かな時を過ごせます。六時になるとセミが鳴き出します。その鳴き声は時間と共にエスカレートします。そしてどんどん大合唱になっていきます。六時半に出勤する娘を見送ります。そのあと少しするとポアロ(夫)が起きてきます。まだ七月というのに今朝の気温と風は特別です。あまりの涼しさに庭の芝刈りをしようということになり、七時~八時までかかって庭をきれいにしました。小さい庭ですが、時々芝刈りをしなければなりません。逞しい雑草がどんどん根を張ってしまうからです。朝の涼しいうちにひと仕事ができました。
 子供の時の夏休みは、朝早くから牛の食糧となる草刈りを手伝っていました。草いきれの中、父や母が刈った草を兄や姉達とリヤカーに運ぶのです。六人でする仕事は段取りよくさっさと進みます。子供心にも働くことの心地よさを感じました。夏休みの思い出の1シーンです。

 猛暑酷暑にタメ息をついていましたが、今日は都会のマンション暮らしでは味わえないような、自然界がプレゼントしてくれたオアシスを感じるひとときです。

2014年7月26日土曜日

「道」

私は道が大好きだ
道はどこまでもどこまでも続く
あの山の向こうに
私の知らない世界がある
山を越え 谷を越え
知らない町を目指そう

小学五年の時だっただろうか
校舎からまっすぐに伸びる道を
いつもあこがれを持って眺めていた
その道はまっすぐ伸びて山へと続いていた

そして私は行動を起こした
仲良し三人組で旅に出た
目的はただ一つ
まっすぐ伸びる道を歩きたい
どこまでもどこまでも続くと思った道

校舎から眺めていた道をどんどん歩く
まっすぐな道をどんどん歩く
どこで終わるかわからない
日が暮れてきた
辺りが暗くなってきた
少し心細くなった
「もう少しもう少し」と言いながら
しぶる友達二人を引っ張った

そして山にぶつかった
まっすぐな道はここで終わった
大きな達成感を味わった

暗くなった道を急いで引き返した
友達二人は半べそをかいている
町の明かりが見えてきた
父や母 兄や姉が私達を探していた

無事に家へ帰った
みんなを心配させてしまった
主犯は私
本当にごめんなさい

遠い遠い日のできごと

今も道が大好きな私

2014年7月25日金曜日

しばわんこの世界

 何年前のことでしょうか、NHKで放送されていた「しばわんこの和のこころ」が、家族の話題になっていたことがあります。私が子供だった昭和30年代の人々の暮らしや子供達の遊びなど、その時代を取り上げていました。季節々の行事もありました。古くから伝えられてきたしきたりもありました。私とポアロ(夫)は、テレビを見ながら「そうそうこんな暮らしだったね」と懐かしみ、子供達は親が育った時代を「ふ-んそうだったの」と言いながら興味津々でした。私の実家によく似たセットが出てくるので、おじいちゃんやおばあちゃんにかわいがってもらった田舎での幼い日々を思い出し、田舎の暮らしと重ねて懐かしんでいるようにも見えました。
 その放送が人気を得て、本やビデオも発売されました。長女はその本やビデオを買い愛読書にしていました。私達夫婦は、子供時代のいろんな慣習もついつい忘れがちになっていましたが、娘はしっかり意見を出すようになり、私達は驚きました。「しばわんこの和のこころ」は、日本の遠き良き時代となり、現代社会から見ると日本の原点のようです。娘はそこに憧れると言うのです。忘れてはいけないことも多くあり、大切なことは次世代へ伝えていかねばなりません。
 娘は、野良部と称し、小さな庭に和花の種を植えました。今桔梗がきれいに咲いています。美しい紫色です。多年草なので毎年花を咲かせます。


萩も植えました。お月見の頃にはかわいい花が咲くでしょう。「しばわんこの和のこころ」のように、おだんごとススキと萩と一緒にお月見をしようと思います。枝豆がたくさん実をつけ、先日収穫しました。ポアロは「ビ-ルのおつまみだ」と喜んでいます。私も食べました。取れたてのホクホクさがありました。



今さつまいもが元気に育っています。どのぐらいの大きさのものがどのぐらい収穫できるのか楽しみです。小学校の教師をしている娘は、毎日ハ-ドな仕事で大変ですが、休みの日にはメダカの保育園の園長さんになり、ある時は野良部の部長として、やりがいを持っていきいきと動いています。癒やしにもなっているようです。私は農家の娘ですが経験も知識もなく、野良部の部員として部長にいろいろ教えてもらっています。

 秋の収穫が楽しみなサツマイモ




2014年7月24日木曜日

祇園祭山鉾巡行後祭

 今日は朝から山鉾巡行後祭を見に出かけました。一年で最も暑いとされる大暑の中で、一時間半ほど立って見学しました。雲がわりと多くあり、時々気持ちよい風も吹いてきて、セミの合唱を聞きながら見ることができました。



  祇園祭山鉾巡行後祭は49年ぶりとのことで、10の鉾や山の巡行です。今年の話題は、この節目の年に、大船鉾が150年ぶりに復活することです。幕末の「蛤御門の変」の大火で木組や車輪を焼失し、それ以来巡行には不参加だったそうです。祇園祭山鉾巡行は数回見ているのですが、それぞれの鉾や山の歴史は知らなかったので、復活した大船鉾を見ることができて幸いでした。高さは6メ-トルを超え、大きく貫禄がありました。大火で焼失したものもありましたが、ご神体や、織物や刺繍の技術を使ったいろんな懸装品(飾り)が焼失を免れて再興できたそうです。たくさんの人の努力が実を結び、今日の日を迎えられたのだと思うと胸が熱くなりました。大船鉾はくじとらずのオオトリです。曲がり角での辻回しは、見応えがある場面です。観衆から盛大な拍手が起こりました。



小さな山の場合は人間がかついで、グルグルと3回ほど回って、美しくきらびやかな懸装品を見せてくれました。その時は拍手と共に笑いも起こりました。

 




 昨夜は宵山だったのですが、NHKで中継が出てスペシャル番組が放送されました。「祇園祭千年の謎」という番組で、祇園祭山鉾巡行が歩く美術館と呼ばれるほど、世界的にも貴重な織物を見せてくれるという内容でした。なぜ京都へ、なぜ祇園祭に、という謎を解析してくれました。祇園祭を通して、世界との関わりや日本の歴史、京都の歴史を知りました。驚くことがたくさんありました。

ベルギー→オランダ→徳川家→京都の豪商のタピストリー

 山鉾巡行の後に、花傘巡行がありました。祇園祭は八坂神社の行事です。八坂神社の氏子地域には花街もあります。舞妓さんや芸妓さん、子供みこし、子供が馬に乗って10頭ほどの馬の列もあり、華やかでにぎやかで、観衆を楽しませてくれました。






 


2014年7月23日水曜日

ハラスメント

 この言葉をよく耳にするようになって久しい気がしますが、思いがけない分野でも使われていることを知って驚いています。ハラスメントとは、いろいろな場面での「嫌がらせ、いじめ」を言うこととされています。言った本人が何の悪意もなく発言したとしても、言われた人が不快に思い、尊厳を傷つけられたと感じ、不利益や脅威を与えられたりすることです。
いろんな種類があります。
  セクシュアル・ハラスメント
  アカデミック・ハラスメント
  パワ-・ハラスメント
  ジェンダ-・ハラスメント
  キャンパス・ハラスメント
  ドクタ-・ハラスメント
  モラル・ハラスメント
  アルコ-ル・ハラスメント
  スモ-ク・ハラスメント
など他にもまだまだあるかもしれません。
私が驚いたことは、血液型について口外することもハラスメントに当たるのだそうです。日本に住む日本人についてという枠内になりますが、人間業を何十年もしてくると、大まかな分類として誰でも四つの血液型のどこかにおさまると思っていました。100パ-セントとは言いません。大体自分はこれだと、各自が納得していると思ってきました。人間誰でも長所短所があり、見方を変えれば長所が短所だったり、短所が長所だったりするので、100パ-セントの断言断定はできないと思っていました。仲の良い友達とか、親戚とか、家族とか、何人かが集まれば血液型の話題で盛り上がります。5人集まればそれぞれの知人も含めてずい分の人数になりますが、100人ぐらいはすぐいきそうです。その100人の血液型について分類すれば、いつでも大体四つの型にはまります。四つの型に入らない異星人に出会ったことはありません。この話題をすることがなぜハラスメントになるのでしょう。思いつくことは、短所として羅列することが、言われた人の気分を害するのではということです。私が今迄に出会った人達は、自己分析ができていて、そのことが血液型と関係あると思い込み、信じきっているので、自分から「私は何型でこんな性格なのよ」と陽気に笑いながら言います。因みに私はAB型で、変人奇人と家族から言われています。日本人らしくなく、フランス在住の娘は「お母さんはフランス人よりフランス人」とからかいます。大まかな分類で書かれていることはほぼ当たっています。自分でも自分をわかっているので、言われても腹は立ちません。言葉の表現を変えてみたらどれも長所となります。大ざっぱは大らかに、神経質はよく気がつき配慮が行き届く、など、それを考えると面白いです。
 どこかの大学の教授さんが、調査研究の結果として、血液型と性格は何の関係もなくその根拠はないとおっしゃっています。人間業何十年の私にとっては不思議なことです。

この話題がハラスメントにならないように、常日頃から他者への思いやりと配慮をもって言動行動したいと思います。

2014年7月21日月曜日

2014夏本番

 海の日の今日、近畿・東海地方が梅雨明けをしました。ほぼ平年並みとのことです。梅雨明けとなりいよいよ夏本番です。京都市役所の前にある百日紅(さるすべり)の白とピンクの花が満開です。厳しい暑さにもめげず美しい花を咲かせています。




17日の京都祇園祭山鉾巡行は、あいにく急用の為、伊勢の国へ行っていたので、見ることができませんでした。24日の後祭り山鉾巡行に期待しています。
 18日に小・中学校の終業式があり、子供達は夏休みに入り、早速三連休なので家族そろってのお出かけも多いことと思います。40日ほどの夏休みの間、子供達の元気な声や姿が、町にあふれて、いつもより活気があります。子供達の元気をもらって、この夏を乗り越えたいと思っています。

 梅雨明けの前日、地域の防災訓練が行われました。近くの高校のグラウンドで消火訓練があり、そのそばの鴨川で放水訓練もありました。消防団の方々には、暑い中お世話になり、本当にありがとうございました。


2014年7月19日土曜日

「汗」

汗がポタリと落ちた
汗は何色
汗は黄金色

私は働き者
汗を流して働く
文句を言わず
黙々と働く

汗が目に入った
なぜ目が痛い
汗の塩気が
汗が目にしみる

私が子供だった頃
ク-ラ-はどこの家にもなかった
子供も大人も
みんな汗を流した

汗を流して当たり前
遊ぶ子供も汗だらけ
働く大人も汗だらけ

汗はごほうび
一生けん命遊ぶ 子供に
一生けん命働く 大人に
汗はタラタラ流れる

汗がポタリと落ちた
汗は何色

汗は黄金色

2014年7月18日金曜日

 難しい選択

 高齢出産で一児の母になった姪に難問が勃発しました。現在生後五カ月の子供の育児の為に、一年間の育児休暇を取っている彼女ですが、夫に転勤の辞令が出たのです。
 単身赴任を選ぶか、家族共に引っ越しをするのか難しい選択です。妻が専業主婦の場合、子供の受験とか親の介護問題とかがあれば別ですが、そうでなければそんなに悩まず家族で引っ越しをする人が多いと思います。姪は育児休暇の後は、職場復帰の予定でした。単身赴任を選んだ場合、夫は月に二回ほどは週末に帰ってこれると思いますが、普段は彼女一人が育児と仕事の両方を担わねばなりません。本来子育ては父と母の二人三脚でするのが理想ですが、やむを得ない事情で母親一人が大任を果たさねばならない場合もあると思います。仕事を持っている女性が、育児と仕事を両立させる為には、助っ人となる誰かが近くにいてくれねばなりません。姪は子供が一歳になったら保育園へ預けようと思っていました。保育園へ預けても夕方には迎えに行かねばなりません。仕事が毎日その時間に間に合うように終わればいいのですが、パートでなければそれも難しいと思います。彼女が仕事をあきらめて、夫の赴任地へ家族で引っ越した場合、また新しい仕事を見つけ、一から始めなければなりません。今迄積み上げてきた職場での地位・実績を失うことになります。それはとてももったいないことのように思えます。
 私は単身赴任を選んだ経験者として、その是非は悩ましいものです。私の場合は、子供の受験のこと、一戸建て住宅に入居して二年のこと、犬を飼っていること、私がたくさんのピアノの生徒を持っていること、など総合的に考えて単身赴任を選びました。東京への転勤は、地方と違い住宅事情もいろいろ問題があります。単身赴任を選びましたが、子供が育つ過程での父親の役割も大きいと考えた私達は、週末は毎週家族で過ごせるようにしました。会社から月に二回の帰省旅費は出ますが、残りの分は自分達で賄いました。大きな支出でしたが、それよりも家族を大切にしたかったのです。結局単身赴任を十年もしました。振り返ってみれば、あんなことこんなこといろいろありましたが、よく頑張ったと思います。この経験は、私を自立させ、強く逞しい女性へと成長させてくれました。

 今回の姪家族の突然の転勤問題で、女性の仕事、子育て、転勤、単身赴任について、いろいろ考えてしまいました。周りの者は、二人の決断を見守るしかありませんが、何とか良い選択をしてくれることを願っています。

2014年7月17日木曜日

「涙」

涙がこぼれる
それは悲しい時
それは嬉しい時

涙がこぼれる
それは面白い時
笑い過ぎた時

つらい時 苦しい時
涙は出ない
歯をくいしばって 乗りこえよう

怒り狂う時
涙は出ない
心を爆発させよう

自分の心に素直になろう
涙で心が洗われる
涙で心が強くなる

心はいつも正直
涙が出るなら 涙をこぼそう
こらえることはない

心はいつも正直
心が爆発するなら 爆発させよう
こらえることはない

誰の涙も美しい
大人も子供も みな美しい

涙はキラキラ輝く
瞳はキラキラ輝く
涙は明日への希望に続く

涙がこぼれる
それは悲しい時
それは嬉しい時

涙がこぼれる
それは面白い時

笑い過ぎた時

2014年7月15日火曜日

京都スタンプラリ-(3)

 梅雨の合間を縫って二人で自転車で出かけました。祇園祭の鉾建てが行われているので、道路規制がかかっています。メイン通りを避けて裏通りを走り、始めに西本願寺へお参りしました。
 堀川通に面している西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山で、正式名は龍谷山本願寺といいます。鎌倉時代中頃に親鸞によって開かれました。1994年(平成6年)に古都京都の文化財として、世界遺産に登録されました。境内には阿弥陀堂、御影堂、唐門、書院、飛雲閣などがあり、国宝や重要文化財になっています。私達は阿弥陀堂と御影堂へお参りしました。大祭、例祭の時には、全国からたくさんの信徒さん達が参拝されていますが、この日は祇園祭が近いこともあり、日本人は少なく外国の方がたくさんおられました。庭に京都市天然記念物となっている大銀杏がありました。樹齢は約400年とのことです。




 次に東隣の烏丸通に面している東本願寺へお参りしました。真宗大谷派の本山で、阿弥陀堂、世界最大の木造建築と言われている御影堂、御影堂門が歴史ある有名な建物です。門と阿弥陀堂は修復工事中でした。西本願寺と東本願寺、どちらも親鸞が開祖です。二つに分かれた歴史、経緯については不勉強ですので、後日調べて書きたいと思います。




帰り際に、守衛さんが「南の堀でハスの花が満開ですよ!」とおしえて下さったので見てきました。



2014年7月14日月曜日

祇園祭宵々々山

 夕方から祇園祭宵々々山を見に出かけました。宵山、宵々山は見たことがありますが、宵々々山は初めてです。宵山は烏丸通を歩行者天国にして、たくさんの夜店が出るのですが、今日はそれは行われていませんでした。しかし鉾が建っている通りは車両通行止めで、四条通だけは車線規制をしていました。



 四条烏丸周辺には、長刀鉾、函谷鉾、月鉾、菊水鉾、鶏鉾が建っています。コンチキチンの祭囃子がとてもにぎやかです。たくさんの観光客で、前に進むのも思うように進めません。みんな写真を撮ったり、祇園祭にしか売られていないお守りやその他いろんなグッズを見たり、あるいは特別料金を払って鉾見学したりと、みなさんそれぞれ楽しんでいます。鉾を持つ町内では、飲み物や食べ物も売っています。


 何度も足を運んで鉾建てを見学し、写真も撮ってくれたポアロ(夫)は、感慨深そうに見ています。横になっていた鉾が垂直に立つと、こんなにも高いものかと、改めて鉾の大きさに感動しました。 




 宵々々山にもたくさんの外国人の姿があります。浴衣を着ている人もいて、親日家ということがよくわかります。宵々々山にもこんなにたくさんの観光客が押し寄せるとは驚きでした。梅雨明けまであと少しですが、何とか大雨が降ることなく、祇園祭山鉾巡行が無事にできることを願っていま
す。








2014年7月12日土曜日

祇園祭の準備

 京都祇園祭が近づいてきました。17日の山鉾巡行に向けて、着々と準備が進められています。老舗旅館では、祇園祭の設え(しつらえ)が行われています。玄関の両脇に提灯(ちょうちん)の櫓が立てられ、普段は暖簾(のれん)がかかっているのですが、祭礼のための門幕が張られています。京都での祇園祭の偉大さが伝わってきます。京都市民としては、その仲間に入れてもらえるという誇りを感じます。





 10日から鉾建てが始まりました。数多くある鉾の中でも、長刀鉾(なぎなたほこ)や函谷鉾(かんこほこ)・菊水鉾・月鉾が有名です。長刀鉾は「くじとらず」の名の通り、山鉾巡行の先頭を受け持つ鉾です。現在稚児が乗る唯一の鉾です。


四条通に立ちあがった長刀鉾


 早くも飾り付けされた函谷鉾


一番大きい月鉾の素晴らしい「縄がらみ」

 鉾建てには観光客も集まります。報道陣もたくさん集まり、毎年の夏の風物詩として、ニュ-スで取り上げています。伝統的な工法で、鉾が組み立てられていくのを見るのも面白いです。くぎを1本も使わずに部材を縄で固定する「縄がらみ」という技法ということです。昨日、菊水鉾の鉾建てに遭遇しましたので組立ての様子を見ることができました。


30m近くある菊水鉾の真木の飾り付け


真木の先端は菊の紋章


 2m近くある車輪


 地面に用意されたあなを中心に真木と横にされた本体を回転し引き上げます


 垂直になったところで拍手!!



翌日の朝から土台、車輪をつけて「縄がらみ」夕方には曳き初めとのこと


2014年7月11日金曜日

自然の流れ

台風8号の影響で、各地に被害が出ています。最強の台風ということで、災害が起こらないようにと、日本あげての対策が報道されていますが、それでも自然災害は起こってしまいます。


御池通りのケヤキ並木で今年初めてのセミの声


台風一過、梅雨が明けたのか?


 そんな中、昨日買い物に出かけた時のことです。セミの鳴き声を聞きました。毎年のことながら、セミの鳴き声は梅雨明けのサインです。自然界に生きる生き物達は、誰かに教えてもらったわけでもなく、勉強したわけでもなく、自然の流れの中でその移り変わりを、敏感にキャッチしているようです。梅雨明けのおおよその見当は、子供達の終業式の頃だと思っていますが、今年は少し早くなるのかもしれません。子供達の待ちに待った夏休みはもうすぐです。