たまりにたまった書類の整理をしなければと常々思いながらも一向に手をつけないまま日が過ぎ去り、やっとのことでその作業に入りました。大体は年代別に紙袋に入れてあるので、のぞいただけでこれはいつの時代のものとわかります。今回最初にのぞいたのは、何と三十年前の袋でした。転勤で奈良から東京へ引っ越した時代のものです。私は三十五歳、二人の子供は小学一年と四年でした。二人の子供の書いた手紙が何通かありました。それを読んだ私は胸にこみあげるものがあり、当時を懐かしく思い出しました。
不器用な私は何事も必死です。家事育児すべてに余裕がなく、毎日必死にやりこなすという状態です。子供達が私に書いてくれた手紙は、私への愛であふれています。その愛に私は応えていただろうかと、今更ながら自責の念にかられています。子育てが「○○しなければ」という義務感に追い立てられ、愛情あふれる母親になっていなかったのではないだろうかと反省しています。第一優先は子供の命を守ること、健康を守るための食事、健康管理、育つ環境を整え、家族仲良く愛情でしっかりと結ばれている家庭経営など、理想を高く持ち、それを実行実現してきた自分だと自負していました。それなのに今私の心の隙間に忍び寄るこの想いは何なのでしょうか。回想のノスタルジ-でしょうか。終活に向けての懐古のセンチメンタルでしょうか。
私の母は過酷なほどの日々の暮らしの中でも、四人の子供達に愛情をいっぱいそそいでくれました。母のあふれる愛の中でぬくぬくと幸せいっぱいに育ちました。母の愛は慈愛そのものでした。厳しい愛とは無縁のものでした。私はどちらかというと父性愛に近いものだったのかもしれません。父性愛は厳しい愛で子供を育てるのだと思います。その根底には深い愛がありますが表面は厳しさです。私と反対にポアロ(夫)は、母性愛に近いものだったのかもしれません。一般的には、母親の母性愛、女性の母性愛、父親の父性愛、男性の父性愛ととらえられていますが、男性女性に関係なく、その人の持つ性格的なところから表れるのが母性愛・父性愛だと思います。私達夫婦の相性はよかったのだということでしょうか。どちらかに片寄らずちょうどバランスがとれていたのだと思います。
そしてもう一つ感心したものがありました。下の娘が学校の宿題で、お母さんについて四つの項目に分けて書いてあるものです。
題名は「ピアノが大好きなお母さん」
書くこと思うことは「朝からガンバッテいるお母さんのようす」です。
ごはんをつくっている時の母
「小さな声で歌をうたいながらつくっている」
「おべんとうを作る時は、はしりまわっている」
ピアノをおしえている時の母
「月・火・水・金の日におしえている」
「小さい子が多い時は、お昼ごはんを食べていない」
「ときどきならいにくる子におこっている」
休みの日の母
「小金井公園などへいっておとうさんとテニスをしている」
「二時間ぐらいピアノをひいている」
「ときどき、本をよんでいる」
思ったこと
「朝からがんばっている母のようになりたい」
「ピアノのレッスンの日は、ふとんに入るとすぐねてしまう。とてもつかれるようだ」
担任の先生のコメントは「いいよ」はなまるが書いてありました
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毎日の暮らしの中で、子供はいろいろ親の姿を見て、いろいろ考えているということを、
改めて感じました。親の私は無我夢中で必死に毎日を過ごしていましたが。