2012年7月25日水曜日

やさしさについて(2)


 母には、異母兄が二人、妹が二人、そして弟がいました。実母は、弟を産み、そのお産が原因で亡くなり、その時、母は、十歳でした。異母兄二人は、家を出て働いており、生まれたばかりの弟は、親戚に預けられ、母は、長女として父を助けて生きますが、その実父も、六年後には病死します。若くして母を、父を、亡くし、それでも悲しみを乗り越え、妹達の世話をしながら女学校へ進みます。異母兄二人は、すでに所帯を持っていて子供のある身です。母は妹達の親代わりとなって頑張ります。頑張り屋の母は、女学校を卒業する時、卒業生代表として答辞を読むほどのものでした。それから数年間銀行へ勤め、二十二歳で結婚します。幸せと思える結婚も戦争まっただ中のものです。二人目と四人目の子供を病気で亡くし、そのあと、五人目、六人目を産み、戦中戦後の激動期を、四人の子供を育てながら生ききります。家業の農業も、乳牛や鶏を飼育し事業を拡大しますが、うまく行かず失敗、そして夫の政界に出て活躍したいという願いを叶えるため、大きな支援をしそれを実現させます。そんな生活の中でも、若い時からの華道の勉強は続け、末っ子の私が小学校へ入った頃から、自宅でも教室を開き、あちこちの教室へも教えに行っていました。支部長としても活躍し、多忙な日々を過ごしていました。四人の子供も成長し、次々と結婚し、孫が一人二人と生まれ、母の人生の最も平和な時期が続きますが、それもつかの間、三番目の娘がガンを発病し、それからは必死の看護が続きます。娘を救うことに命をかけますが、四年目に又も子供を失うことになります。そんな中でも母を救ったのは、華道でした。その悲しみも乗り越え頑張っていた母は、心筋梗塞で突然亡くなる迄、現役のいけ花の教授として生きました。

 四十五歳を過ぎた私は、母の怒った顔を見たことがありません。いたずら盛りの幼い日、母が、どんぐり目を丸くして、ギュッとにらみつけるだけで事は足りたものです。七十五年の母の人生を見て、本当のやさしさというものは、己に厳しい人にしか持てないのではないだろうかと思います。今の世の中、自分の事で頭がいっぱいで、人のことなど考えるゆとりがないのではないでしょうか。日常の些細なことの中にも、なんと身勝手な人間が多いのだろうかと驚かされます。自動車の中から、信号で止まっている間に、ゴミや空き缶を、窓から投げる人。公園へ、ネコや犬の赤ちゃんを捨てる人。犬の散歩で糞の始末をしない人。本当のやさしさを持つ人は、人への思いやりがいつもあるので、人に迷惑をかけることなどとても考えられません。もっと自分に厳しく生きてほしいと、声を大にして叫びたいと思います。

                           四十五歳の記

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