2012年7月24日火曜日

やさしさについて(1)


 やさしさについて述べる時、私は、母を思わずにはいられません。慈愛に満ちあふれた母は、まるでやさしさのかたまりのような人でした。子供の頃からずっと、母のこのやさしさは、どこからくるのだろうかと、不思議に思い、どうしたら母のようになれるのかと、考えさせられたものでした。母があまりにも突然、私達に別れを告げたその日から、早四ヶ月が過ぎ、いまだに母の仏さまのような人格を、分析できないままの私です。子供とか、夫という家族に対してだけでなく、母の周りの全ての人に対して、いつも慈愛を注いでいた母。人間に対してだけでなく、花も木も草も鳥も犬も、命ある全てのものにも、愛情を持っていた母。人間として、いろんな感情があるのは当然のことなのに、怒りや悲しみ、憎しみは、どういうふうに心の中で昇華していたのでしょう。母のやさしさの根源は、どんなものだったのでしょうか。子供から、大人に成長する私の目に焼きついている母の姿は、観音さまそのものでした。

 大百姓の一人息子のところへ嫁ぎ、朝早くから夜遅くまで働き、六人の子供を産み育て、いつ体を休めるのかと思うほど働き続け、親に仕え最後を看取り、近所に病気の人がいればその世話に走り、農村新婦人の会のリーダーとして、生活改善の為に活躍し、自分を頼ってくる人の為に、自分のことは後回しにしてその人の為に全力を注ぎ、本当にがむしゃらに人生を生き抜いた人です。スーパーウーマンの如く、母は、不可能ということばを、生涯持ちませんでした。母の口癖は「成せば成る」でした。女性であり、妻であり、母であり、嫁であり、いくつもの肩書きの中でも、半世紀もの間いけ花の教授として、華道の道を邁進し、その道においても大きな功績を残した偉大な人間です。「人は、悲しみが多いほど、人にはやさしくできるから」という歌がありますが、まさに母は、いくつもの悲しみを、乗り越えて生きてきたのです。

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