先日、40年ぶりに、うちのポアロ(夫)が、生まれ育った町へ、二人で行ってきました。その町を離れるまでの、思い出がたくさんある町です。少年時代、青春時代、自転車に乗って、よく通った町です。模型屋さん、本屋さん、楽器屋さん、耳鼻科など、昔のなじみの店を探しながら歩きましたが、40年という年月は、町の面影をずい分変えています。唯一本屋さんだけは、今も健在で営業をしていましたが、模型屋さん、楽器屋さん、耳鼻科は、他の商売をしているお店に変わっていました。私は、ポアロ(夫)の説明を聞きながら「今はこんなお店だけど、40年前はそんなお店だったのね」と、町の変容に感心していました。40年前は、映画館が四つもあり、町の人々の娯楽として、映画は大きな存在でした。その四つの元映画館は、今はマンションになり、一階部分はスーパーマーケットとか、スポーツジムになっていました。
全国の商店街が、時代の流れで、衰退の一途を辿って、シャッター商店街と呼ばれ、社会問題になっていますが、ここの商店街は、中身は変わりつつも、今も地域住民の生活の基盤として活躍しています。
不思議なことがありました。第二次世界大戦中、疎開道路と呼ばれ、住民を強制的に転居させ、空襲による延焼を防止するために、広い道幅の道路を作ったのだそうです。そして戦後は、市の計画道路として都市計画はできていたものの、40年たった今も、何の進展もなくそのままの姿を留めているのです。どうしてこんな無駄なことがなされているのか、本当にあきれかえりました。
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