2020年6月30日火曜日

アサガオ2020


 2020年のアサガオが開花しました。赤紫色のアサガオが二輪開花しました。2020年6月最後の日の早朝、開花したばかりのアサガオは、しゃきっとした気持ちにさせてくれました。



 

 



園芸部員のポアロが種を蒔き、成長に合わせて植木鉢に移し、支柱を立てて世話をして2ヶ月で開花となりました。アサガオの花の色については、前もってはわからなかったのですが、いろんな色のアサガオだそうです。次から次へと開花する、いろんな色のアサガオの花が楽しみです。

2020年6月26日金曜日

いくつかの夢(5)


 東京から名古屋へ転勤となり、戸建て住宅を手に入れ、私たち家族の夢はどんどん実現していきました。まだ二年しか経っていないというのに、また東京へ戻るとは、私たち家族にとって大きな試練です。悩み、よく考えた結果、ポアロの単身赴任という選択をしました。それから週末家族の暮らしが始まりました。平日は、ポアロは東京で仕事に専念し、週末は家族とともに寛ぎます。子どもたちは、学校生活で忙しい毎日です。私は、朝早くから愛犬二匹の世話と、子どもたちのお弁当作りにフル回転です。午後はピアノ教師として、夕方まで没頭します。その後は、また愛犬二匹と散歩に走りまわり、夕食の準備です。夜はほっと一息です。ポアロからは毎日電話が入ります。大切なお互いの報告連絡通信網です。今のようにメールはできません。パソコンもまだ一般には普及されていません。貴重な電話です。家族と離れて仕事に頑張っているポアロに、余計な心配をかけないように配慮します。普段は母親であり父親でもある、一人親家族のようです。週末家族はそれなりの大変さもあります。折角の家族水入らずの大切な週末です。ポアロは留守の間の、庭の手入れや諸々の修繕をしなければなりません。夫婦喧嘩をしている暇もないほどです。妻としては、夫が機嫌よく家族と過ごす週末を作る必要があります。私の性格の忍耐強い部分が、一段と成熟に向かいました。不器用は変わりませんが、忍耐強く、寛容で、我ながら感心するほどです。古来からの日本の妻のイメージです。時代が変われば、良妻像も変わりますが、その頃の私は古い考えの妻でした。週末家族にも慣れて、子どもたちはすくすくと成長していきました。

 一年二年三年が瞬く間に過ぎていきました。子どもたちの受験なども経験し、肝っ玉母さんになりつつの私でした。ポアロも要職につき、次の転勤もいつになるのか危うくなってきました。そうこうしている間に八年が経ち、転勤となりました。名古屋を飛ばして大阪への移動です。子どもたちは、大学へ進んでいます。単身赴任の継続です。いつまで続くかの単身赴任です。愛犬一匹が旅立ち、週末家族も寂しくなってきました。

 そんな折、父から嬉しい申し出がありました。「こちらへ家を建てるなら土地を使っていいよ」とのことです。将来を考えての申し出です。すでに姉が建てているので、その隣に決めました。初めて手に入れた念願のマイホーム、戸建て住宅は、ちょうど十年が過ぎていました。夢のマイホームを、手放す気は毛頭ありません。父の申し出は、セカンドハウスです。私たちは、またまた次なる夢の実現に向けて歩き始めました。

2020年6月25日木曜日

いくつかの夢(4)


 引っ越して新居での暮らしが始まりました。家族それぞれの夢の、実現途上です。ポアロは、庭の図面を描いて、どこに何を植えるか検討を重ねました。木々としては、モミジ、キンモクセイ、ニレ、ヤマボウシ、サンシュウ、マンサク、ハナミズキを選びました。生け垣は、カイヅカイブキとサザンカです。植木屋さんに頼んでの、植栽です。美しい緑の芝生に憧れていたので、小さな庭ですが、一面に芝をはってもらいました。ポアロは、夢だった庭づくりを着々と進めています。

子どもたちは、念願の戸建て住宅であり、自分だけの部屋を独占し、部屋のレイアウトに燃えています。しばらくしてかわいい子犬が、家族になりました。そのあと縁があって、捨てられた子犬も家族となりました。私はピアノ教師として、忙しい毎日となりました。

 新居での暮らしに慣れてきた頃、忘れていたことが起こりました。引っ越して二年が過ぎています。転勤です。東京から引っ越してきたばかりなのに、また東京への移動です。いつ転勤になっても不思議ではありませんが、転勤という文字は、頭から消えていたのです。どうするべきか、どうしたらよいものか、どういう選択肢があるのか、ずいぶん悩みました。戸建て住宅に住んで荷物も増える一方です。私の仕事も、そう簡単にはやめられません。子どもたちも、思春期という難しい年頃になっています。愛犬も二匹います。これらのすべてをもって、東京暮らしができるとは思えません。悩んだ結果、ポアロの単身赴任ということになりました。毎週月曜日の早朝に出勤して、金曜日に帰宅するということが実現可能となりました。二重生活と高い交通費がかかりますが、ベストの選択のように思えました。今振り返れば若さで乗り切った感があります。まだ四十代でした。単身赴任がそう長く続くとは思っていませんでした。甘く考えていました。この単身赴任は、延々と続くことになったのです。

いくつかの夢(3)


 東京暮らしを4年ほどして名古屋へ転勤となりました。住まいは三重県ですが、名古屋のベッドタウンです。高倍率の抽選に当たり、念願のマイホームを手に入れました。結婚して初めての戸建て住宅です。小さいながらも庭があります。半地下でありながら外部に接している、16畳もの広い音楽室があります。大好きな曲、1973年に発売の大ヒット曲小坂明子の「あなた」が頭に浮かびます。



「あなた」   作詞・作曲 小坂明子



    もしも私が家を建てたなら

    小さな家を建てたでしょう

    大きな窓と小さなドアーと

    部屋には古い暖炉があるのよ

    真赤なバラと白いパンジー

    子犬のよこにはあなたあなた

    あなたがいてほしい

    それが私の夢だったのよ

    いとしいあなたは今どこに



 一戸建てに住んだら、犬を飼いたいという子どもたちの夢も実現します。庭がある家に住んだら、木々や花々を育てたいというポアロの夢も実現します。思う存分ピアノを弾けるという私の願いも叶います。家族皆が大きな夢と期待を持って、東京に別れを告げて、春休みに引っ越しました。

2020年6月23日火曜日

私の好きな花(ねむの木)


 ねむの木の花が満開になっています。三重の家のそばにあるねむの木です。いつの間にか大木となったねむの木です。かわいくて優しいねむの木の花が大好きです。




  京都、岡山間を、毎週車で走ったことを思い出します。名神高速道路から中国道へ、そして山陽道へ入ります。山陽道は山々を眺めながらの、ドライブです。四季の移り変わりを感じながらのドライブは、忙しい日々の中でも楽しいものでした。ちょうど今頃になると、ねむの木の花が咲き始めます。ねむの木の花を見ると、いつも「ねむの木の子守歌」を、口ずさんでしまいます。今は上皇后陛下になられた美智子さまの作詞です。優しいお人柄が滲み出ています。



「ねむの木の子守歌」



         ねんねの ねむの木 眠りの木

         そっとゆすった その枝に

         遠い昔の 夜の調べ

         ねんのの ねむの木 子守歌



         薄紅の 花の咲く

         ねむの木陰で ふと聞いた

         小さなささやき ねむの声

         ねんね ねんねと 歌ってた

2020年6月22日月曜日

知るを楽しむ(郷土史)


 ひょんなことから家系図に興味を持ち調べましたが、頓挫してしまいました。自分が生まれた家の歴史は、五代前までしかわかりません。戸籍に書かれていることしかわかりません。菩提寺にあるはずの過去帳が、火災によって焼失しているので、お手上げ状態です。そこで父が冗談で言っていたことを思い出しました。「北畠の子孫」という言葉です。今度は、家系図から郷土の歴史に興味が起こりました。早速本を読んでいます。

 私のふるさと三重県松阪市では、平成11年(1999)に大きな発見があり、全国的に注目を集めることになりました。古墳の発掘調査で、船形埴輪が見つかりました。現在は、宝塚古墳公園として整備され市民の公園になっています。宝塚古墳は、一号墳と二号墳からなっています。宝塚一号墳は、伊勢地方で最大の前方後円墳です。まわりから140点もの埴輪がほぼ当時の位置で見つかりました。宝塚二号墳は、「帆立貝式」と呼ばれる前方部が短い古墳です。古墳の規模や形、見つかった埴輪の特徴から、一号墳は、約1600年前(5世紀初め)につくられた伊勢地方の王の墓であると考えられています。二号墳は、その後継者の墓(5世紀前半)と考えられています。

 ふるさとの歴史が面白くなってきました。遠い遠い昔に思いを馳せたいと思います。

2020年6月19日金曜日

楽しい自然観察(2)

 我が家の野良部部長(娘)が植えた稲が、すくすく成長しています。バケツの田んぼです。水に関しては、少しの配慮が必要です。ある程度成長するまでは、しっかりと水をはらねばなりません。ある時期になると、水を抜いて根がしっかりはるのを促します。今は梅雨真っ只中で、バケツの田んぼは水があふれ出ています。何もできない私ですが、稲の成長を見ているだけで楽しみをもらっています。


 野良部部長は、大豆も育てています。小さなポットに種を蒔いて、発芽するのを待ちます。そのあとプランターに植え替えます。大豆の成長は早く、すでに15センチほどに伸びています。収穫する日が来るのを楽しみにしています。

2020年6月18日木曜日

 楽しい自然観察




 新型コロナウイルスの猛威から、感染拡大防止のため巣籠り状態を続けている私たちです。外出自粛も少しずつ緩和され、人出も戻りつつあります。そんな中、梅雨入りとなりましたが、梅雨の晴れ間もあり、我が家の小さな庭での自然観察が面白くなってきています。

 
庭の住人ケロタ


最近登場の新入り15mm極小アマガエル




昨日と一昨日は、梅雨の晴れ間となりました。美しい青空と、爽やかな風、空気はカラッとしてまるで高原へ行ったような気分になりました。青い空に浮かぶ白い雲、ハッとするほど珍しい雲でした。遊び心の気分で、筆でシャッ、シャッと描いたような雲でした。小さな雲がたくさん浮かんでいます。まるで秋になったように思いました。小さな珍しい雲を、しばし見とれてしまいました。
  
昨日は秋のようなうろこ雲

トンボも初登場



生き物係のポアロが飼育ケースで育てた青虫がサナギになり、一週間で羽化しきれいなモンシロチョウとなって旅立って行ったことは、ブログに書きました。そのあとも庭からモンシロチョウが生まれています。羽化したばかりのモンシロチョウは、飛べません。羽を乾かしているようです。そばにはサナギが残っています。色は白ではありません。クリーム色のように見えます。羽化したばかりのモンシロチョウがかわいくて、いつ飛び始めるのかと気になって見ていました。


ドアの枠横で誕生


まだうまく飛べません


2時間ほどは動きませんでしたが、近くにあるストックの花に移動しました。上手に羽を動かせません。必要以上に急がしそうに羽を動かします。園芸部員のポアロが育てている花々の上を、少しずつ移動しながら飛ぶ練習です。一日早く羽化したモンシロチョウも飛んできて、二匹が飛ぶ練習です。昨日はどこへも行かず、私たちの見える範囲で、飛ぶ練習をしていました。

2020年6月17日水曜日

かわいい来訪者


 梅雨真っ只中ですが、梅雨の晴れ間もあり青空と心地よい風が吹き気分は爽快です。嬉しいことに、新しい来訪者がありました。体長15ミリほどの、アマガエルの赤ちゃんです。どこでオタマジャクシになり、小さな体でピョンピョン飛んで我が家の小さな庭に辿り着いたのでしょう。あまり活発には、動き回りません。かわいくて小さなアマガエルの赤ちゃんは、植木鉢に植えられたホトトギスの葉の上にいました。始めにポアロが見つけた時から、静かな動きでずっとその近くにいました。人間を見ても、怖がりません。



 長い間、楽しませてくれた、ケロタ、ケロコ、ピョンタの大合唱も静かになっています。雨がたくさん降っている時には、おそらくケロタと思うのですが、大きな声でソロで歌う声が聞こえてきます。以前のような、連日のコンサートはありません。そこへ新しくアマガエルの赤ちゃんの登場です。小さな体の赤ちゃんでも、歌を歌うのでしょうか。とても楽しみです。

2020年6月16日火曜日

蝶の旅立ち


 我が家の園芸部員、ポアロはルッコラを育てていました。成長は早くて、サラダの上にのせて食べていました。ある日、ルッコラに青虫がいるのに気付いたポアロは、青虫たちに移動してもらい、少しの青虫を飼育ケースにいれて成長を観察することにしました。

園芸部員プラス生き物係です。青虫は、ルッコラの葉を食べて日ごとに大きくなりました。そしてすぐにサナギへと変身しました。


蓋の裏でサナギになっていました


それから一週間、羽化の日が来たのです。その瞬間を待ち望んでいたポアロですが、それは夜中に起こったようで、朝覗くと蝶がいたのです。モンシロチョウが誕生しました。生まれたばかりのモンシロチョウは、白色ではありません。たまご色を少し濁らせたような淡くてビロードの風合いです。狭い住まいの中で、飛んでいます。


少しクリーム色です


旅立ちの時がやってきました。名残りおしく別れは寂しいですが、蝶にとっては旅立ちの記念日です。庭で記念写真を撮り、蓋を開けました。蝶は驚いてしばらくかたまったようです。生まれて初めての太陽、風を受けて一瞬たじろいだように見えました。そして少しの間をとって、ひらりと飛び出しました。庭にある花々にとまり、最後に萩の枝にとまり、感動の様子で旅立っていきました。

蓋をとってもしばらくじっとしています

サナギの抜け殻、透明になっています。

庭の草でしばし休憩

2020年6月15日月曜日

興味・関心・好奇心


 いろんなことに興味・関心・好奇心旺盛な私ですが、野良部、園芸部、生き物係には、疎い私です。野良部や園芸部では外野に回り、おいしいところはしっかりもらいます。生き物係は、エンドレスのような人間の世話があり、家族となった愛犬たちには、全身全霊で二十年近く身を捧げました。別れはつらく悲しいものですが、後悔はありません。そして今新しく、興味・関心・好奇心の対象が頭を持ち上げました。家系図です。以前簡単なものは作りましたが、もっと昔に遡って広げられないものかと思案中です。

若い時は暮らしに追われ、家系図というものには無頓着でした。その気があれば、早い時期から親や祖母、叔父、叔母たちに、いろんな情報をもらえたのにと、残念でなりません。名主と庄屋の違いはよくわかりませんが、地域を丸く治めるために尽力した先祖です。代官所へ陳情した際には判断を仰ぎ、その書類はずっと残されてきました。はっきりと読めるもので、ずいぶん前ですが、ポアロは父から見せてもらい説明を聞いたそうです。その際には、地域の古地図も見せてもらったと言っています。きれいな色分けがあり、少しも色あせていなかったそうです。私の記憶の中にある先祖は、五代前までです。親と祖父母は、期間の長短はあるにせよ、同じ時代を生きています。しかしその上の曽祖父母や高祖父母に関しては、写真や聞いた話に登場しただけです。古い菩提寺がありますが、過去帳も火災で焼失しています。戸籍に書かれているのは、新しい時代のものばかりです。ここで頓挫です。

 NHKのファミリーヒストリーという番組では、よくここまで調べることができるものだといつも驚きます。そういう手立てがとれる道があるのでしょう。本家と分家、分家隠居についてもよくわかりません。死者と生者が交信できるのであれば、父に電話をかけて教えてもらいたいものです。歴史が大好きで、一人息子として家をしょってきた父は、知の宝庫でした。返す返すも、無関心でいたことを残念に思います。

2020年6月12日金曜日

懐かしい花・懐かしい歌


 三重と京都間を走る時には、溢れる自然の中を通ります。山あり峠あり、田畑あり、そして四季折々の草花もたくさん見ることができます。私の好きな里山も続いています。先日は懐かしい花の群生に出会いました。アザミです。赤紫のアザミは、周囲の緑の草の中で色鮮やかに映えて、私たちの目をひきました。早速ポアロは、写真撮影です。アザミはキク科の野草です。子どもの頃にはよく見た花ですが、最近はあまり見なくなりました。








アザミの花は、懐かしい郷愁を呼び寄せます。そして懐かしい歌を、思い起こさせてくれます。「あざみの歌」です。若者たちが集まる歌声喫茶では、よく歌われていました。



「あざみの歌」

      山には山の 愁いあり

      海には海の 悲しみや

      ましてこころの 花ぞのに

      咲きしあざみの 花ならば



      高嶺の百合の それよりも

      秘めたる夢を ひとすじに

      くれない燃ゆる その姿

      あざみに深き わが想い



 昭和24年に発表されました。豪華でも高貴でもなく、けなげに生きているあざみに、美と情熱の人生観が読みとれる詞と評されました。発表時は暗い世相でしたが、大衆はこの歌の叙情に、しっとりとした潤いを感じとったそうです。



 たまにしか目にしないアザミの花を見て、過ぎ去った遠い日々を懐かしく思い出しました。

2020年6月11日木曜日

梅雨入り


 昨日東海地方は梅雨入りしました。梅雨の期間は、ほぼ一カ月強、鬱陶しい日々が続きます。新型コロナウイルス感染拡大を防止するために出された緊急事態宣言は解除されましたが、まだまだ気を緩めることはできません。スーパーへ行くのも、週に一度ほどです。まとめ買いの習慣となっています。まるで買い出しです。一度にたくさん買うと、重くて買い物も大仕事です。コロナ禍による新しい生活様式が続いています。以前の暮らしがどんなものだったかを、忘れてしまったほどです。不要不急の外出自粛も身に付き、ステイホームを続けています。

緊急事態宣言の解除後は、学校に子どもたちの姿も戻り、デパートも再開され、人が集めっているそうです。潮干狩りにたくさんの人出というニュースも見ました。3密を避けるため、人出の多いところへは、怖くて出かけられません。国内旅行にも、当分の間行けません。梅雨に似合うアジサイの花が、見頃となっています。借景となっている実家の藪に咲くアジサイを眺め、しばしの間、梅雨を楽しみたいと思います。


2020年6月10日水曜日

いくつかの夢(2)


 東京暮らしが四年ほど過ぎた頃、名古屋へ転勤となりました。子どもたちの学校のこともあり、ポアロが一足先に名古屋へ向かいました。会社の単身寮で、しばらくお世話になることとなり、週末は東京へ帰っていたのです。ポアロが何気なく持ち帰った情報誌に、私は飛びつきました。名古屋勤務となればの住まいの情報です。名古屋に隣接するニュータウンの戸建て住宅です。場所は三重県ですが、高速バスで、名古屋駅まで一時間のベッドタウンです。公団住宅の分譲です。二十数軒の分譲で、モデルハウスとなっている住宅の写真には、16畳の半地下となる部屋にグランドピアノが置かれています。私は夢中になりました。あこがれの戸建て住宅です。環境は素晴らしく、大規模公園に面しての立地と、小学校や中学校もすぐ近くにあります。ニュータウンのセンター地区で、ショッピングセンターや銀行、郵便局、診療所、市役所出張所、バス停など、すべてが近くにあります。将来的には、市民ホールも建設予定とのことでした。夢のような素晴らしい物件でした。テレビにも宣伝が登場し、夢はますます膨らんでいきました。住宅は表側から見れば二階建てですが、裏側から見れば三階建てです。16畳の地下室は表側だけ地下となりますが、裏側からは三方向開放されています。外部テラスもあるので、シャッターを付ければ立派な倉庫になります。
  募集期間の期限が迫っています。急いで申し込みました。申し込んだからといっても、購入できるわけではありません。人気の物件で、抽選に当たらねばなりません。ちょうどその頃、ポアロはアメリカへ二週間ほどの出張で留守となります。私は子どもたちを連れて、抽選会場へ乗り込みました。くじには強い私です。しかし願いを成就させるためには、念力がいります。万感の思いを込めて、くじに臨みました。倍率は15倍ほどの高倍率です。念力が通じたのでしょうか、高倍率の物件を手に入れることができたのです。本当に夢心地でした。アメリカにいるポアロに、早速国際電話をかけました。当たるとは思っていなかったようで、びっくり仰天です。購入するとなれば、資金集めです。またまた住宅ローンを当てにする私たちです。諸々の必要な書類を集めて、私は一人で東京から名古屋へ何度か通いました。夢がまた一つ叶う喜びをひしひしと感じました。

2020年6月9日火曜日

 いくつかの夢


 人それぞれいつの時代も夢を持っていることと思います。ふるさとを離れてほぼ半世紀、ずいぶんと長い旅路を歩いてきました。結婚した時からの夢は、マイホームを持ちたいというものでした。それは焦りにも似たようなものでした。四人家族になって、上の娘が幼稚園へ入った頃、実現しました。三十歳で、分譲マンションを購入できたのです。何の資金もありません。全額ローンで買いました。今に比べれば、とても安いものでしたが、怖いもの知らずの若さの特権です。ニュータウンに住む同世代のニューファミリーです。環境は素晴らしく、古都奈良での暮らしを楽しみました。五年ほど住んだ頃に、東京へ転勤となりました。東京では社宅住まいです。狭いながらも環境は素晴らしく、都内とはいえ、武蔵野の面影の残る良い地域でした。
  その頃、阪神淡路大震災が起こり、関西地方は大変な状況となりました。怖いもの知らずの私たちは、マンションを買ってすぐに土地も買っていたのですが、奈良の不動産屋から連日のように電話が入りました。「大震災が起こり住宅が不足しています。奈良へもたくさんの人が住まいを求めて押し寄せています。不動産が高騰しています。東京にお住まいの今、手放されるのには良い時期かと思います」マンションも土地もローンで買った私たちです。転勤族の身では、これから先どこへ住むかはまったくわかりません。ローンを二つもしょっての暮らしは大変です。よく考えて、手放すことを選択しました。古都奈良とはお別れすることになりました。

2020年6月8日月曜日

双子の野草


 今の時期には、どこにでも咲いている野草です。我が家の小さな庭にもたくさん咲いています。ハルジオンとヒメジオンです。見た目にはそっくりで、観察眼を持って見ないと違いはわかりません。ハルジオンは、四月、五月が最盛期です。ヒメジオンは、五月中旬頃から咲き始めます。見分け方は、葉っぱにギザギザがが入っているのがヒメジオンです。シンプルなのがハルジオンです。茎の中が空洞なのがハルジオンで、茎の中に白い髄があるのがヒメジオンです。
 下の写真は5月のハルジオン。




 園芸部員のポアロが調べて解説してくれました。ヒメジオンの茎の方が強くて、90㎝ほどの高さでもまっすぐ立つています。種も苗も買わなくても、毎年その時期に咲いてくれます。野草とはいえ、ハルジオン、ヒメジオンの群生はとてもきれいです。
 下の写真は今最盛期のヒメジオン、今年はすごく背が高くなりました。




2020年6月5日金曜日

素晴らしい女性


 現役ピアニストの室井摩耶子さんは、現在九十九歳です。時々テレビで拝見していますが、いつも圧倒されます。ピアノの練習は、一日4時間、演奏会の前は一日8時間、一日も欠かさず続けてこられたそうです。一筋の道を邁進してこられました。八十五歳を過ぎてからパソコンを学び、ブログを書かれています。「長寿の秘訣は?」と質問されて、「毎日肉を食べること」と答えておられます。授かった命もさることながら、彼女のエネルギー、生きるパワーに脱帽です。
  終戦後、本格的にリサイタル活動を始められ、エリック・サティの日本初演も彼女です。1956年、「モーツァルト生誕200年記念祭」に日本代表としてウィーンに派遣され、同年、第一回ドイツ政府給費留学生に選ばれ、ベルリン音楽大学に留学されました。著名な音楽家に師事されたそうです。中でもヴィルヘルム・ケンプ教授は、晩年までピアニストとして活躍されました。日本へも何度か来られています。私の学生時代には、レコードで彼の演奏をよく聴きました。今も大切に保存しています。ピアニストケンプの名前は、遠い記憶の中に残っています。室井摩耶子さんが、ケンプに師事されたということを知り、親近感を覚えました。彼女の言葉で「天才どもが残していった曲を、後世に伝える」というのがありましたが、さばさばした人柄にも魅力を感じています。百歳を超えてのピアニストの生きざまを期待しています。

2020年6月4日木曜日

久しぶりの都会


 先日久しぶりに京都へ行ってきました。新型コロナウイルス感染拡大防止のために、緊急事態宣言が出され外出自粛が要請され、三重の家に巣籠り状態の日々が続いていました。用事ができて緊急事態宣言の解除を待ち、やっと外出できることになりました。
  久しぶりの京都は大都会でした。長年こんな大都会に住んできたことが、不思議に思えるほどの大都会でした。まず人の多さです。京都市役所の近くに住んでいるので、そのエリアは中心地です。たくさんの人がせわしそうに動いています。たくさんの車が行き交っています。そのスピード感は都会独特のものです。高齢者にとっては、目が回るスピードです。こんな都会でどんな毎日を過ごしていたのかと、数ヶ月前を思い出してしまいました。住まいは小さなマンション、部屋からは二つのお寺の借景が見えます。一歩出ると観光名所がたくさんあります。近くに鴨川が流れ、散歩するにも事欠きません。それに比べて三重の家は田舎です。近くにはたくさんの田があります。家の前を二級河川が流れ、遠くにはふるさとの山々が見えます。お城も見えます。小さいながらも庭があり、野草も含めいろんな花が咲き、メダカを飼い、アマガエルの合唱に耳を傾けます。いろんな鳥も訪ねてきてくれます。家に居ながらにして、自然界と触れ合うことができます。空気もきれいです。月や星も観察できます。爽やかな風が通り過ぎていきます。二か所暮らしは、経済的にも負担が大きく、シニアにとっては贅沢過ぎる暮らしです。今しばらくは続けようと思っています。今回は日帰りとんぼ返りでしたが、あとしばらくすれば移動も自由にできるようになると思います。