岩手県のJR釜石駅では、いろんな思い出がよみがえります。去年の秋の娘カップルの結婚パーティーに、遠いスペインから家族で来て下さった方たち、東京に住むフランス人の婿殿の友人、三重から駆けつけてくれた娘の大学時代の友人など、釜石駅で迎えました。緊張しながらもたくさんの人との出会いに感謝でした。再び釜石に来られたことを嬉しく思いました。
釜石駅のそばのホテルに泊まり、10時前に出発しました。一晩中降った雨も朝には上がりました。国道283号線を走り、途中三陸道(釜石道)に入ります。気温は14℃に下がりました。遠野インターで出て、道の駅遠野風の丘へ寄りました。去年遠野ふるさと村をみんなで観光したのですが、ここの道の駅にも遠野の観光土産がいろいろ並んでいます。代表格の河童のぬいぐるみを買いました。そのあと北上川の支流猿石ヶ川に沿って走ります。曇りがちですが桜は満開のようです。
猿石ヶ川の桜並木 |
北上川は上流でも大河の趣です |
花巻市を通り、奥州市を通り抜けて11時半頃北上市に入りました。大河北上川を渡ります。東北自動車道に入り仙台へと向かいます。去年も仙台へと向かうルートを走りましたが、去年は国道を通りました。平泉町を通り、去年宿泊した一関市を通り、12時20分宮城県に入りました。1時半仙台市に入り、そのあと東北道・山形道の分岐点から福島方向へと向かいます。雪を被った蔵王が見えています。蔵王町、白石市を通り、福島市に入ります。郡山JCで磐越道に入ります。磐梯山を見ながら会津若松市を通り、3時45分会津若松ICで出ます。会津若松へは家族四人で〇十年前に来ています。思い出がよみがえります。
会津若松の郊外の神社 |
向かっているのは、山の中にある大内宿です。国道49号線から県道23号線へと入ります。大内こぶしラインと書かれた標識を見つけたのが間違いのもととなりました。県道131号線でどんどん山を登って行きます。すれ違う車は無く、前にも後にも車はいません。4時半気温は13℃まで下がってきました。残雪があり、霧が出ています。濃霧となり視界は5mくらいになり、ライトを点滅させて、かろうじてとろとろ運転で道からはみ出ないように緊張して走ります。大内宿へは観光バスも来ているはずなのに、この道はおかしいと思いながらも、後戻りはできません。最後に峠のトンネルを抜けなんとか5時に大内宿へ着きました。
やれやれです。広い駐車場には人影もなくがらんとしています。観光案内所から男性が出てこられました。「5時に閉めたところです」と言いながら鍵を開けてくださいました。私は急いでスタンプをもらい、ポアロは観光案内の地図をもらい、恐縮の気持ちを伝えお礼を言い別れました。どうやら最後の観光客だったようです。ほとんどのお店は、5時には閉まるとのことです。夕闇迫る中を急いで歩きました。私たちの他に、一組の観光客がおられました。土産物店は二軒開いていましたが、店じまいをされていたので、慌ててポストカードを買いました。
数年前に娘たちは、東北の人たちのご厚意で大内宿へ連れてきてもらっています。「お父さんお母さんも、一度は大内宿へ行って来れば。お勧め!」と言っていたので、今回訪れることにしたのです。大内宿は、福島県南会津郡下郷町にあります。江戸時代下野街道(会津西街道)の宿場として栄えました。明治以降、交通路の変化により開発を免れ、昔の面影を今にとどめています。大内宿の伝説として、平清盛全盛期の頃、後白河天皇の第二皇子高倉宮は、源頼政のすすめで反平氏の挙兵をしました。京都宇治川で合戦となり、源頼政は討ち死にし、高倉宮は二十人ほどの供を連れて知り合いを頼り越後国を目指します。その途中大内に立ち寄りました。この里が都の風情によく似ているところから、大内村と改名したとのことです。大内宿の奥深くに高倉神社があります。
戦いに敗れた高倉宮が潜行したと伝えられています。毎年7月2日に、高倉宮ゆかりの祭「大内半夏まつり」が行われているそうです。300メートルほど続く大内宿の両側には、たくさんの店が並んでいます。土産物店、食堂、民宿もあります。そば打ち体験もできるそうです。大内宿のポスターには、箸を使わずにネギでそばを食べるという写真が載っていました。面白そうなものだと思いましたが、5時を過ぎての大内宿は何もできませんでした。
帰り道は、来た道と違い多くの人が利用する安全な道を走りました。会津鉄道湯野上温泉駅を通りました。日光方面へ行く日光街道と別れて、白河高原、那須高原を通り抜け、東北道へ入り、宇都宮へ向かいました。ホテルには8時半到着、この日の走行距離は552キロ、所要時間は10時間でした。東北桜旅もいよいよ最終日を迎えます。
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