ふるさとを離れて早半世紀、今回まんたんの骨折でふるさとに長逗留しています。春の訪れを感じながらふるさとの町を歩いていると、懐かしいレトロな建物に出会います。毒舌のポアロは、「レトロなおばさん」と私を呼びますがそれはお互い様です。
結婚する前に少しの間ですが、洋裁を習った洋裁学校の建物が当時のままの姿で建っているのに驚きました。昭和三十年代頃と思いますが、日本では花嫁修業が盛んでした。女性のたしなみのように、茶道、華道、洋裁、編み物など花嫁修業に精を出す女性がたくさんいました。華道教授として頑張っていた母のもとへは、本当にたくさんの若い女性たちが習いに来ていました。古い時代から新しい時代へと移る、ちょうど過渡期のような私の青春時代です。花嫁修業という呪縛を引きずりながら、洋裁学校へ通い真似事のような習い事をしました。新郎新婦となる二人のパジャマを、おそろいの柄で色違いのものを作りました。新しく母となるまんたんの夏物ワンピースを何着も作りました。先生の指導のもと、手作りで服を仕上げる喜びを味わいました。その建物は木造二階建てで、教室がいくつもありました。全盛期には、多くの教師がいてたくさんの若い女性が習いに来ていたようです。
時代とともに花嫁修業という言葉が死語となり、女性も男性と同等に教育を受けて、同等に社会進出するようになりました。私が習いに行った頃には、先生は病気を理由に洋裁学校は閉じておられました。先生は母と同世代です。私は短い間ということで、個人指導で教えていただきました。御子息はふるさとを離れ、両親亡き後も戻って来られていません。立派な建物が風雪に耐え、何十年も建ち続けています。レトロなおばさんは、レトロな建物に惹かれています。