この言葉について考えてみると、時代おくれのファッションとかヘアスタイルとか、遠い昔を思い出させる物とか、いろいろあると思いますが、人の生き方にも時代おくれといわれる場合があるのではないでしょうか。若い人のライフスタイル、生き方を見て、とても自分には理解できない、まるで頑固親父になったような気分になることがあります。そういう時、自分は時代おくれの人間なのかなと思ってしまいます。若い人から見れば、きっと時代おくれの人間なのでしょう。今は自由な時代です。人にどう思われようと、人の目を気にせず自分の生きたいように道を選べます。自由とは責任と犠牲を負うことだと思います。時代おくれの人間が何を言っても、聞く耳は持っていないことでしょう。
最近気に入った歌と出会いました。河島英五の「時代おくれ」です。1986年発表の作詞阿久悠、作曲森田公一のヒット曲です。三十年ほど前は、私も若かった時代です。この歌の歌詞に敏感ではありませんでした。河島英五は四十八歳で急逝していますが、ピアノの弾き語りを聞くと胸がジンとしてきます。大好きな歌になりました。時代おくれの人は生き方が不器用です。饒舌ではありません。しかしその人間性は魅力あるものです。この歌は男性を歌っていますが、人として私は大好きです。歌詞をかみしめながら聞いています。
「時代おくれ」
一日二杯の酒を飲み
さかなは特にこだわらず
マイクが来たなら微笑んで
十八番を一つ歌うだけ
妻には涙を見せないで
子供に愚痴をきかせずに
男の嘆きはほろ酔いで
酒場の隅に置いて行く
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
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