2017年2月28日火曜日

初めての体験(文旦料理)

 先日知人からもらった大きな文旦を初めて料理しました。大きな文旦は、皮と甘皮を取ると正味は小さいものです。少しの酸味のさっぱりした味です。それはそれで食べます。皮と甘皮を別々に砂糖と水で煮詰めます。砂糖は好みの量ですが、甘党の私はたくさん入れました。混ぜながら水気が無くなるまで煮詰めます。


  



皮はきれいな黄色のままで、できあがります。カリカリ、パリパリの手前で完成です。少し苦味が残っているのは残念に思いました。甘皮はフワフワのきれいな白色のままで完成です。柔らかいりんごジャムのような感じです。



皮はそのままおやつに、甘皮はジャムとしてパンにのせて食べました。いくつになっても初体験は面白いものです。大きな文旦の皮や甘皮をむく作業も面白いです。皮と甘皮を捨てるとすれば、捨てるゴミの方が多くて、食べる量は少しです。皮も甘皮も実も食べるとなると、捨てるものはありません。初めて文旦の料理をしてみて、捨てるところが無いという素晴らしさ、これはエコだと思いました。貴重なエコ体験でした。知人の家の庭の木に、こんなに大きな文旦がいくつもぶら下がっている光景は、想像しただけでも愉快な風物詩のように感じました。

2017年2月27日月曜日

思い出の中の歌「たんぽぽ」

 先日買い物に出かけた帰り道に、田んぼの畦道に咲くたんぽぽを見つけました。地面にはりついたように咲いています。雑草の中で、たった一つかわいい黄色の花を咲かせています。群生のたんぽぽはよく見ますが、たった一つ咲いているたんぽぽは珍しく、目立ちます。私は引き寄せられてしまいました。写真を撮ってもらいました。



ずい分前のことですが、娘から教えてもらった歌を思い出しました。1976年に発表された曲で、今は小学校で歌われています。作詞家のたんぽぽへの想いが、人の人生と重なり、胸にじんときます。胸が熱くなります。苦節十年、苦節何年という人生が「たんぽぽ」の中に込められているようです。この歌を知った時から、私の愛唱歌になっています。

「たんぽぽ」   作詞 門倉 
         作曲 堀越 浄

雪の下の  故郷の夜
冷たい風と 土の中で
青い空を  夢に見ながら
野原に咲いた 花だから
どんな花よりたんぽぽの 花をあなたにおくりましょう
どんな花よりたんぽぽの 花をあなたにおくりましょう

高い工場の 壁の下で
どれだけ春を 待つでしょう
数えた指を 優しく開き
空き地に咲いた 花だから
どんな花よりたんぽぽの 花をあなたにおくりましょう
どんな花よりたんぽぽの 花をあなたにおくりましょう

ガラスの部屋の ばらの花より
嵐の空を 見つめつづける
あなたの胸の 想いのように
心に咲いた 花だから
どんな花よりたんぽぽの 花をあなたにおくりましょう
どんな花よりたんぽぽの 花をあなたにおくりましょう

2017年2月24日金曜日

「思い出の中の歌(風)」


冬の朝 七時前 空が白む
吹く風の音が聞こえる
ピューピューピュー
ピューピューピュー
大木のクスノキが大きく揺れる
葉たちが飛ばされそうに踊る

子供の頃に歌った「風」がよみがえる

「誰が風を見たでしょう
 僕もあなたも見やしない
 けれど木の葉をふるわせて
 風は通りぬけてゆく」

春の足音が聞こえる
春風が吹く
そよそよそよ
そよそよそよ
大木のクスノキが静かに揺れる
葉たちが気持ちよさそうに踊る

子供の頃に歌った「風」を口ずさむ

「誰が風を見たでしょう
 あなたも僕も見やしない
 けれど樹立(こだち)が頭をさげて
 風は通りすぎてゆく」

風は見えないけれど
春も夏も秋も冬も
季節の中で風は吹く

風の音がする
ピューピューピュー
そよそよそよ
ピューピューピュー

そよそよそよ

2017年2月23日木曜日

癒やしのグッズ(まったりアニマル)

 先日、百円ショップでかわいいものを見つけました。太陽の光が当たるとゆらゆら動きます。電池は不要で、エコのものです。高さ10センチほどの小さなものです。店頭には、カエル、うさぎ、りす、くま、ねこ、パンダ、ひよこ、ハムスターなど20種類以上あります。


その中でカエルを買いました。かわいい笑顔で、両手を広げてゆらゆら動く姿に癒やされます。その姿を見ると、こちらもニッコリしてしまいます。太陽が当たると忙しくクネクネします、夜はお休みです。




この商品名も気に入りました。「まったり」という言葉は癒やしの言葉のように思います。心が温かくなり、ほっとして緊張が解け、どんなしかめ面をしていてもこの姿を見ると笑顔になります。発案者はいいところに着眼したと思います。リビングに置いて、まったりアニマルを見て、家族皆が笑顔で過ごしたいと思います。

2017年2月22日水曜日

驚きの光景(猿軍団)

 先日京都から三重へ車で移動中のことです。久しぶりに田舎道を走ろうということになり、三重県庁所在地である津市の西部を通りました。山際の県道ですが、車はたくさん走っています。住宅がかたまっている集落もあり、学校もあり、工場もありますが、田んぼが広がっています。のどかな景色を楽しみながら車を走らせている、その時です。里山に挟まれて田んぼが続いている場所の細い農道に、石仏がたくさん並んでいると思った瞬間、その物体が動くのに気づきました。たいそうな数です。猿の軍団です。小さな猿の子供たちがたくさん走り回っています。まるで猿の幼稚園のようです。写真を撮りたいと思い、すぐにUターンしました。車はたくさん通り過ぎていくのに、猿の軍団は、慣れているようで気にもしていません。しかし私たちが車から降りて、バタン、バタンとドアを閉める音に敏感に反応し、猿の軍団は一斉に里山に走り込みました。80mほど離れているのに、猿軍団の行動には驚きです。





写真を撮る行動が、自分たちに危害を加えないと理解したのか、またあちこちから出てきました。そして猿の軍団は、元通りに遊びはじめました。子ザルたちは、はしゃいで走り回っています。毛づくろいする仲良しカップルもいます。田んぼの真ん中に、大きめの猿が堂々として動きません。きっとボスに違いないと思いました。



ボスざるが睨みをきかしています
 よく見るとすぐ近くに集落があります。里山で生きている猿軍団は、畑で作られた野菜を取りに行っているかもしれません。猿の害が出ていそうです。以前私たちはドライブ中に、猿を見たことが何度かありますが、今回のように30頭ほどの軍団を近くで見たのは、初めてのことです。たくさんの子ザルたちは、とてもかわいかったです。そのあと、鹿も見ました。道路には、「鹿、イノシシ、動物に注意」と書かれた看板がありました。夜真っ暗な中を走るのは、動物との交通事故が起きそうで危険です。今回の初めての体験は、とても楽しく嬉しかったです。

2017年2月21日火曜日

生まれ変わる京都市役所(2)妙満寺遺構発掘

 京都市役所の西庁舎はすでに解体されていますが、北庁舎は分庁舎が出来次第引っ越しとなり、そのあと解体されます。北庁舎の北側、道路を挟んで駐輪場と駐車場があったところに分庁舎が新築されます。そこで、今大々的な発掘調査が行われています。買い物帰りに隙間から覗くと、発掘調査がほぼ終わりに近づいた感じで、ほうきで掃き清めたように美しく歴史の痕跡が浮き彫りになっています。

道路からみたところ、深さは3m位ありそうです

   発掘調査が終われば、新築工事が始まります。この歴史的痕跡を目にすることはもうありません。見ることはできません。そう思うと焦ってきました。これは大変、早く写真に収めないとと思い、ポアロに連絡しました。そして北庁舎の四階に上がり写真を撮ってもらいました。北側が廊下になっているので、見晴らしの良い場所から撮ってもらいました。
昨年まで駐車場でした

 
大きな穴は何でしょうか?


 この地には、かつて妙満寺がありました。豊臣秀吉が築いた御土居(おどい)の内側、寺町通の東側に沿って設けられた寺院街区にあたり、南に本能寺、北に要法寺が接していました。平安京の東京極大路東側に面する場所だったそうです。妙満寺は、1583年(天正11年)に四条堀川からこの地に移転してきました。昭和43年に京都市北部の岩倉へ移転するまでの約400年の間この地にありました。発掘調査によって妙満寺の約400年間の変遷が明らかになってきました。昨年、京都市埋蔵文化財研究所が、発掘調査現地説明会を開いたそうですが、残念なことに私達は参加できませんでした。江戸時代から明治にかけての、妙満寺の本堂跡が確認されました。本堂跡は、東西約16m、南北約10m以上ということがわかりました。柱間は約4mもあったそうです。内陣、脇陣、外陣、東西約5mの後拝、建物外周には幅約2メートルの縁がめぐらされていたという痕跡が確認されたそうです。寺町形成期の整地とそれ以前の耕作地の痕跡も確認されているそうです。出土遺物は土師器・輸入陶磁器・瓦などがあるそうです。妙満寺所蔵の「妙満寺志稿」には、江戸時代から明治時代の絵図があり、本堂の規模や構造が絵図と遺構でほぼ同じということがわかり、近世から近代へと続く妙満寺の姿を発掘調査からも明らかにすることができたということです。この地の調査面積は、約565㎡だそうです。

70m×80m位でしょうか

  自分の身近で思いもよらず良い経験をすることができました。何も知らずに過ごしているこの地には、長い歴史がありその恩恵を受けて今があるのだとつくづく思います。今自分が生きているこの瞬間も、一つの点となって過去・現在そして未来へと続いていきます。歴史が大パノラマとなって迫ってくるようです。「歴史を知る」という楽しみが少しわかった気がします。

2017年2月20日月曜日

京都マラソン2017

 昨日は良いお天気に恵まれ京都マラソン2017が行われました。東日本大震災の復興を願い、2012年から始まった京都マラソンは今年で六回目となります。

「京から明日へ・京都マラソン」というスローガンが掲げられています。参加者は16,000人を上回っています。四十代の人が全体の34%を占め、最高齢は男性が八十三歳、女性が八十二歳とのことです。29ヶ国の人達が参加されています。朝九時に右京区の西京極陸上競技場をスタートし、左京区の平安神宮前がゴールです。42.195キロを走ります。京都マラソンは、七つの世界遺産を通ることで有名です。天龍寺、龍安寺、金閣寺、仁和寺、上賀茂神社、銀閣寺、下賀茂神社を通ります。仁和寺の前では、お坊さん達が並び「復興の輪と心の和」と書かれた横断幕を持っての大声援です。府立植物園も通り抜けます。鴨川河川敷もコースとなっています。




私の家の前の河原町通りもコースとなっています。時間を見はかっらて応援に行くと少しして一位の男性が二時間を切って独走態勢で通過していきました。



そのあと京都市役所前広場に行くと水や食べ物の供給場所になっていました。おいしそうなバナナ、イチゴ、おかき、飲料が並んでいます。





大学の応援団も大きな声での応援です。総勢8,000名のボランティアが活躍しています。市長さんはじめ、警察、消防、各町内会等総動員です。
さすが応援団、大きな声が出ます!

応援の仲間にわかるように風船を付けた方もいます!

大勢の市民ランナー
優勝者のタイムは2時間20分32秒で、待っていた京都市長から冠と花束が贈られました。その方は34才で京都の大学出身で企業の陸上部に所属し、今回が現役ラストランだそうです。自分に挑むマラソンです。とても感動しました。ランナーの皆さん、スタッフの皆さん、ボランティアの方々、本当にお疲れ様でした。完走率は93.2%という立派なものです。

2017年2月17日金曜日

生まれ変わる京都市役所(1)

 ブログによく登場する京都市役所ですが、いよいよ今年から工事が着工します。耐震性の不足や老朽化、スペースの集約拡張などを理由として、本庁舎の耐震改修と西庁舎・北庁舎の建て替え、北側への分庁舎新築について、2017年度から着工です。本庁舎は1927年の竣工で政令指定都市の市役所では一番古くからあるものだそうです。本庁舎前の広場ではいろんな催し物があり、市民に開かれた親しみのある場所となっています。本庁舎は歴史的建造物として外観は残されるそうです。


  すでに西庁舎は解体され、周囲は背の高い仮囲いに囲まれています。完成予想図が掲示されていますが、ガラス張りのとてもモダンな感じの建物です。工事は、西庁舎、分庁舎、本庁舎改修と進み最後に北庁舎の完成となりますが、全部が完成するのは、平成34年9月です。京都のど真ん中の工事はいろんな規制があり、じっくり時間をかけてするしかありません。ずいぶん先のことですが、完成が楽しみです。



2017年2月16日木曜日

模型飛行機(2)

 先日ポアロが作った模型飛行機を飛ばしに公園へ出かけました。ここ数日続いていた風が少し弱まったので、飛行機を飛ばすのにちょうどよいと思いましたが、何もない公園では西風がありました。私は模型飛行機にさわるのも飛ばすのも初めてです。慎重に持ち上げました。とても軽くきゃしゃな感じです。飛行機を飛ばす動力は、ゴムを何回も巻いて、ゴムが戻る力です。私は人差し指でもっともっと、もっともっととゴムを巻きました。途中で指を放せば一瞬にしてゴムは元へと戻ってしまいます。



何度か飛ばしてみました。まっすぐ前に飛んで急降下で地面に激突したり、軽やかに弧を描くように飛んでからふわりと着地したりといろんな飛び方をしますが、時間的には一瞬です。何回か飛ばした中で、一度だけ空高く上がり、20メートルほどの大木の上を越して、100mほど先の木にひっかかりとまりました。

ぐんぐん上昇中

かなり高く上がりゴムがなくなり失速

公園の端の木にかかりました

 まずまずの飛び方でした。手作りの飛行機が気持ちよさそうに飛ぶ姿を見て、私は嬉しくて飛行機を追いかけて走りました。公園に小さな子供を連れた家族がおられたのですが、その子供が「あっ飛行機!飛行機だ!」と喜んでくれました。模型飛行機を下さった知人の方は、最長飛行時間が3分だったとの記録を聞いていたので、1分以上は飛ばせたいと思いましたが、初めてのことなのでそれはちょっと無理だと痛感しました。私は手作り飛行機を飛ばすという初体験ができて大満足です。次はもっと広い場所を見つけて飛ばしたいと思います。

2017年2月15日水曜日

図書館の力

 先日図書館で思わぬ本と出会いました。新刊コーナーに並んでいた立派な本に目がとまり、手に取りました。菱岡憲司著「小津久足(ひさたり)の文事」です。



聞いたことのない名前ですが、小津と聞いただけで興味関心好奇心がわいてきます。本をパラパラと見てみました。直感は当たり、私のふるさと伊勢の国・松坂の小津一族の出の人でした。早速借りて一気に読み上げました。以前ブログに書きましたが、映画の小津安二郎監督も小津一族の出身です。小津久足は1804年(文化元年)に生まれました。江戸店を持つ豪商三井家と同じく松坂商人湯浅屋の六代目与右衛門です。号を桂窓(けいそう)といいます。十四歳で本居宣長の息子である本居春庭に入門し、生涯で七万首の歌を詠んでいます。また小津久足の名で四十六点もの紀行文を書き残しています。滝沢馬琴と交流し、書簡も残っています。一般には知られていませんが、国文学の世界では知る人ぞ知る存在だそうです。小津久足に惚れ込んだ筆者によって、2016年11月に初版が発行されました。
 小津久足はなぜこれほどまでに知られていないのだろうか、という疑問から筆者はスタートしたのだそうです。筆者はある仮説を立てました。「素晴らしい完成度を示しながらも、無名に近い小津久足は、自ら望んで無名を志向したのではないか」と。私はこの一文で、小津久足に魅かれました。売文、売名とも縁遠く、自らのよろこびのため、純粋に文事に生きるという生き方を、自身の明確な意志によってそうしたのではと筆者は書いています。小津久足の人間像が浮かんできます。小津久足は稀有な人だと思います。
 小津久足は、詠歌作法として「歌はただ自然を第一として、さっとよむがよし。心に浮かんだ思いを、そのまま自然に、できるだけ速く多く詠み、詠んだあとは推敲しない」と書いています。また第一の行動規範として「身上さへあしくせねば、いかほど気儘にても、目うへの人までしたがふものなれば、ただ身上をあしくせぬ用心を平生すべし」と書いています。近世紀行文学史の中で、江戸時代後期の代表作として、小津久足の「陸奥日記」を上げている研究者もいます。

 過去・現在・未来と続いている人間の足跡は、小さな点のつながりですが、ふるさとを通じて知らなかった人と出会うことができました。これからももっともっと興味・関心・好奇心をもって、過ごしていきたいと思っています。

2017年2月14日火曜日

「時間が回る」

朝六時半
空が白む
西の空にまあるい月が
ゆうべ見た明るい月が
東の空から西の空へ

時間が回る
月が動く
太陽が動く
地球が動く

朝が来て
お昼になって
夜が来る

時間が回る
人が動く
人が眠る
一日が終わる

朝六時半
空が白む
西の空にまあるい月が
ゆうべ見た明るい月が
東の空から西の空へ

時間が回る
人が動く

また一日が始まる

2017年2月13日月曜日

目を見張る光景(模型飛行機)

 先日知人から頂いた模型飛行機をポアロ(夫)が作り始めました。半世紀以上もの時を経ての製作とのことです。小学生の時には、家の近くに模型屋さんがあってよく作ったと言います。私は模型飛行機を作ったことがありません。誰かが作るのをそばで見たこともありません。どういうふうに作るのか興味津々で近くで見守りました。高性能滞空競技機ライトプレーン上級者向と書かれています。機長620mm翼長580mmの模型飛行機で設計図もついています。キットなので説明を読みながら図面通りに作っていきます。細いひごを慣れた手つきで器用にしならせ形作ります。主翼を作り、尾翼を作り、プロペラ・脚を取り付け、翼紙をはります。ゴムを取り付け、重心をあわせます。機体を水平に持って、上反角は正確か、ねじれはないか、各部のゆるみ、がたつきはないか確かめて骨組みが完成です。


接着剤が固まったら紙を張ります。霧を吹いて紙がぴっしりと張るようにします。数時間で出来上がってしまいました。



 人それぞれいろんな趣味があると思いますが、少年時代に夢中になって作った模型飛行機は、シニアになっても難なく再開です。私にとっては初めて見る驚きの光景です。物作りの面白さに感動しました。日本列島がポケモンgoに踊らされている現在ですが、シンプルな楽しみを子供時代に経験することの大切さを感じました。風が静まったら青空のもと二人で模型飛行機を飛ばしに行こうと思います。

2017年2月11日土曜日

緊急報告(越冬つばめ)

連日厳しい寒さが続き大雪警報の知らせも出ています。こちら三重の家でも庭の水にも氷が張っています。それでも朝から青空が広がっているので外に出てみるとかなりの強風です。枝を切る風音がビュービューとうなっています。家の前の川を見ると寒風の中、鴨が食事中です。ふと気づくと頭の上を鳥が群れて飛び回っています。20羽くらい、黒くて飛び方はツバメ特有の反転を繰り返す飛び方です。こんなに寒いのにツバメが来るなんておかしいなと思いました。頭には森昌子の「越冬つばめ」が思い浮かびました。ヒュルリーヒュルリララーという歌詞です。でもこの鳥たちはチーと泣いているようです。夏に見る燕のようにほっぺが茶色で腹が白いというよりも全体が黒っぽくて翼が細くて長い気がします。

カモの上を飛び回っているのがヒメアマツバメです




家に帰ってネットで調べるとぴったり該当するのが見つかりました。

ヒメアマツバメ(姫雨燕)=全長13cmくらいで普通のツバメより少し大きく黒っぽい、最近日本でも見られるようになったとのこと。周年集団で住み着いているようです。特に冬の風の強い日に川の上空に現れ強風に吹き飛ばされた虫を捕食するとのこと。ぴったりの説明に納得しました。三重県での発現はめづらしいようです。

2017年2月10日金曜日

「雨の降る日は」


雨の降る日は何をしましょう
読書しましょう
歌を歌いましょう
ピアノを弾きましょう
ショパンを
ベートーヴェンを

雨の降る日は何をしましょう
手紙を書きましょう
離れて暮らすあの人に
遠い遠い所にいる
あの人に

雨の降る日は何をしましょう
静かに雨を見つめましょう
どこかで誰かが
私と同じように
雨を見つめてる

雨の降る日は何をしましょう
文筆家になりましょう
ポエム エッセイ
短歌に俳句
自分の想いを書きましょう

雨の降る日は何をしましょう
読書しましょう
歌を歌いましょう
ピアノを弾きましょう
リストを

ブラームスを

2017年2月9日木曜日

好きなテレビ番組

 2006年4月から放送が始まったNHKの「cool  japan」が好きでよく見ています。放送開始から十年が経ち、cool  japanという言葉が定着して、社会の中で認知度が上がっています。外国人の視点からクールな日本を探してきて討論する番組で、世界150の国と地域で放送されているそうです。アメリカ、アルジェリア、イギリス、イタリア、ウクライナ、オーストラリア、オランダ、カナダ、韓国、ギリシャ、ケニア、スイス、スーダン、スペイン、タイ、中国、チリ、ドイツ、トルコ、ノルウェー、フィリピン、ブラジル、フランス、ブルガリア、メキシコ、レバノン、ロシアなど、驚くほど多くの国の人が登録されています。スタジオに十人ほどの外国人が登場し、いろんな日本文化論が飛び交います。番組の終わりにベストオブクールが選ばれて、一年の中で最優秀ベストオブクールが決定されます。十年間の最優秀ベストオブクールを書き上げてみます。

2006年  100回記念番組 温水洗浄便座
2007年 宅配便
2008年 ICカード乗車券
2009年 ロボットスーツ
2010年 電子オルガン
2011年 アニメの背景画
2012年 町工場の職人
2013年 鳶職人
2014年 自動ひび卵検査装置
2015年 脳神経外科用ハサミ
2016年  300回記念番組TOP ①100円ショップ
と、日本人も納得するものばかりです。

 先日見たテーマは「日記」でした。様々な種類の日記帳が紹介されて、スタジオの外国人は「日本人はなんて日記好き!」と感嘆の声を上げていました。最近大人にも人気の絵日記ということで、簡単な絵と言葉で絵日記を描き続けている日本人女性が取材を受けておられました。私は小学校一年生の時に、担任の先生の教育の一つとしてでしょうか、二学期、三学期の毎日、絵日記を描き続けました。今も手元にあります。今は日記とまでいかなくても、家計簿の片隅にメモのようにちょこちょこと記録のようなことを書いています。頭の記憶はあやふやです。忘却防止の策ですが、日記は自分史につながるものだと思います。日記といえば、父は八十八年もの間日記を書き続けました。