2017年1月31日火曜日

夢を叶えた一生

 先日ある知人の訃報が飛び込んできました。もうすぐ九十七歳の誕生日を迎えるという男性です。高校を卒業し故郷四国を離れて、東京の大学へ進学し、学者になられて長い間大学で教鞭をとってこられました。退官した後も本の執筆や後進の指導にあたってこられました。東京暮らしはほぼ七十年になります。
九十歳を前にして妻に先立たれ、子供のいないその人は、身辺整理をして故郷四国へ帰るという決断をされ実行にうつされました。四国の山間部にある田舎の旧家は、住む人もなく半世紀以上空き家となっていました。長い間には、東京から親の介護に通ったり、古い家の手入れに通ったりと、大変な時もありました。故郷から遠く離れて暮らす人間に与えられた宿命を、大切な義務と捉えその責任を一人で負ってこられました。
故郷へ戻られたのは、九十歳の頃です。まず始めに先祖代々の古い家を、高齢男性の一人暮らしに適するものに内部を変えられました。旧家を取り巻く塀も立派にされました。めったに来る人もいないと思われますが、客人のためにバストイレ付きの離れを新しく造られました。庭には、バラ園を庭職人に頼んで作られました。菩提寺には御先祖のために、供養塔を建てられました。その代価は半端ではありません。超高級車が買えるほどです。建物に人の命が吹きこまれ、庭も再生できて、御先祖様にも顔向けができ、高齢の男性は満足されたと思います。しかし長い間故郷を離れていた男性とって、四国の山間部の田舎の大きな家での一人暮らしは、とても淋しく孤独なものだったのではないでしょうか。高齢独居老人ということですが、自分のことは何でもできる人です。介護は必要ありません。しかし自己負担で家政婦さんに数時間は来てもらっておられました。その家政婦さんが、カラオケの大好きな女性であったことから、仲間を呼んでのカラオケ大会と称するものに、自宅を開放されたりしておられました。賑やかに人が集まってくれるのが嬉しかったようです。
最晩年になりますが、ピアノを習いたいと言われて、ピアノを用意しピアノの先生に来てもらっていました。お近くなら私がそのお役目をさせてもらうのにと、冗談で言ったことを覚えています。

お元気で九十六歳になられたのですが、突如有料老人ホームの情報を手に入れられたのを機に、一気に入所したいとの思いにかられ、その段取りが進みました。四国の有名な高級有料老人ホームです。そして喜び勇んで入所され、一泊されたものの、次の日の未明に突然亡くなられました。急性心不全とのことです。訃報を聞いて、すぐには信じられませんでした。日本の最高齢のご長寿になられる方かもと思っていたのです。こんなにあっさりと人生の幕引きが起こるとは、なんという大往生でしょう。現世に何の未練もなく、心残りもなく、したいことはすべてやり遂げ、満足されて旅立たれたことと思います。ご冥福をお祈りします。

2017年1月30日月曜日

 レンタルビデオ(4)「ミス・ポター」

 「ピーターラビット」の著者、ビアトリクス・ポター(1866~1943)の人生を描いた作品です。115年前のイギリスを93分の中で知りました。ポターは子供の頃から絵を描くのが大好きで、お話しを作っては空想の世界に浸りました。良家の子女であるポターは、その時代の女性の生き方に反発し、結婚のみの人生を拒み、自分の生きる道を模索し、作家として歩き出します。ポターの描いた作品は、少しずつ認められ、売り上げも伸びていきます。


順風満帆の人生と思われたポターですが、作家としてスタートした時から支えてくれた大切な人を突然失います。出版社を経営する家の三男が、ポターの作品を担当してくれていて、二人は恋愛関係になり、結婚を約束していたのです。あっという間の別れでした。彼は白血病で突然世を去ったのです。悲しみに打ちひしがれるポターは、作品を描くことも危ぶまれます。悲しみを乗り越え、苦しみを乗り越え、作品を描くことによって、大切な人を失った失意のどん底から立ち直ります。子供の頃から、湖水地方の別荘で家族とともに夏を過ごしていたのですが、その湖水地方で住まいを手に入れ、大自然の中で、作品を次から次へと生み出していきます。湖水地方の美しさは素晴らしいものです。一度は行ってみたいと思うほどの、自然がそのまま残されている場所です。




当時のイギリスは、産業革命とともに、湖水地方にも近代化の波が押し寄せ、自然が破壊されていくという危機的状況の中にありました。作品は売れ、有名な作家となり、経済力を持つことができるようになったポターは、湖水地方の自然を守るために立ち上がります。売りに出された農場を次から次へと買って、湖水地方を守り続け、最終的には国に寄付するのです。弁護士になっていた幼馴染みと結婚し、たくさんの作品を世に送り出し、湖水地方の大自然を守り、七十七歳で生涯を閉じます。ポターの偉業は、世界へと羽ばたき、世界の子供達に読書の楽しみと夢を届けています。自然を守り続けて、後世へ遺していこうというポターの考え、行動は、世界に広がり「自然保護ナショナル・トラスト」となって受け継がれています。ビアトリクス・ポター生誕150周年を記念して、2016年8月に原画展が日本で初めて開催されたそうです。

2017年1月27日金曜日

救急車

 深夜、早朝に鳴り響く救急車のサイレンの音を聞くと、過ぎ去った悲しい記憶がよみがえります。心筋梗塞で倒れた母は、救急車の中で蘇生術をしてもらいましたが、戻ることなくそのまま亡くなりました。母の妹である叔母は、浴槽で突然最期を迎えました。救急車が来た時には、すでに事切れていました。私の家の近くには大きな総合病院があり、深夜、早朝には特に救急車のサイレンが響き渡ります。今頃の厳しい寒さの頃が多いように思います。母が旅立ったのも今頃でした。
 私にとって救急車は、近寄りがたく遠い存在でした。ずい分前のことになりますが、娘が三歳の頃です。遊びに行っていた近くの広場の少し高さがあるところから落ちて、泣いて帰ってきた時には、みるみる膨れてくるこぶに私は驚き動揺し、すぐ病院へ行かねばと焦りました。近くの病院は休診日だったり、午後の休診時間です。どこの病院へ行ったらよいのかわからず、119番へ電話しました。すぐ診てもらえる病院を教えてもらい、車の運転に心細さを感じながらも「母は強し、為せば成る」と自分に言い聞かせて、知らない土地の病院へ駆けつけました。その時に「救急車出しましょか」と言って下さったのですが「自分で行きますので」と答えた私には、救急車を呼ぼうという気は毛頭なかったのです。
 母は歳を重ねるごとに体の不調が起こり、何回か救急車のお世話になりました。義母も義兄も姉も、数回お世話になりました。救急車に助けてもらえるのはありがたいことです。先日救急車が家の近くに止まったので、何事が起こったのかと驚き心配しました。近所の五十歳代の女性が、助かることなく突然亡くなられました。動脈瘤破裂でした。

 今日も早朝から救急車が何度も出動しています。小さい子供、高齢者、異変が起こった身体など、要請を受けて走る救急車は、正義の味方「月光仮面」のようです。

2017年1月26日木曜日

ふるさと冬散歩

 大寒に入り寒い日が続いています。雪が降ったり、朝は-3℃になったり、さらに2日前は強い風が吹き荒れ庭のバケツが飛ばされたりと1年で一番強い冷え込みだと思います。食事のお買い物に行く以外は家にこもっていましたが今日は朝から雲もない青空が広がってきましたので昼前にお散歩に出かけました。
風がおさまり青空が広がっています。いつもの川堤を歩きます。寒いながらも春に向かって川面はキラキラと光り、山も少し明るく見えます。


 葉を落とした木々が青空の中で美しく伸びています。桜の枝は横に伸び、銀杏の木は上に上にと伸びています。高い木の上からは鳥の声が聴こえます。




黄色いくちばしはイカルでしょうか?いい声で鳴いています。

おなじみのヒヨドリ

風車が元気に回っています。高い山には少し雪が残っています。




川では水鳥達は餌を求めて水に潜る元気者、葦の陰の日だまりで日向ぼっこをしているものがいます。




川堤では水仙が満開のようです。桜のつぼみはまだまだのようです。


ビワの芽が出ています

オオイヌノフグリでしょうか?寒さの中で元気です

2017年1月25日水曜日

ネットの力

 ブログを書き始めてもうすぐ五年となり、回数も千回を超えました。ブログを更新した日は、いつも読者数と読んでもらった国を見ています。本当に驚くことですが、日本以外の国で読んで下さる方がいます。おそらくは海外で暮らしておられる日本の方と思いますが、ひょっとして日本語を勉強されている外国の方もおられるかもしれません。国名を地図で探すのも楽しいです。地理の知識も増えます。いつも読んで下さっている方は、フランス、アメリカですが、他にポルトガル、ポーランド、スペイン、ウクライナ、ロシア、ドイツ、韓国、リトアニア、チェコ、フィリピンがあります。

今月のページビューです

 先日はカザフスタンがあって驚きました。ポルトガルは一度行ってみたいと思っている国です。種子島への鉄砲伝来(1543年)や、フランシスコ・ザビエルのキリスト教布教(1549年)、南蛮貿易など、日本との深い関わりがあります。ポーランドはショパンや「乙女の祈り」を作曲したバダジェフスカの祖国です。チェコは、偉大な作曲家スメタナやドヴォルザークの祖国です。ポーランドやチェコは、私のあこがれの国です。機会があればぜひ行きたいと思います。

 今はネット社会です。ネットが世界をつないでいます。一瞬にして世界を駆け巡るネットです。私が書いたブログが、世界のあちこちで読んでもらっているというのは、本当に嬉しい驚きです。励みにもなります。地球儀を見ると、つくづく世界は広いと思います。日本に住む私が、生涯に渡って訪れることができる国はほんの少しです。しかしネットは、世界を駆け巡っているのです。そんなネットを考え出した人類は偉大であり、科学技術の進歩発展は、まだまだ未来に向けてエンドレスで進んでいきます。私はその恩恵を受けているだけですが、ありがたいことです。先日テレビでIoTInternet  of  Things  モノのインターネット) についての報道をしていました。生活の中で、あらゆるものがインターネットで動かされている、そしてこれからもっともっと、ネットとロボットが活躍する時代という内容でした。准高齢者である私達世代が、その進歩についていけるのかどうか気になるところです。

2017年1月24日火曜日

「口癖」

母はA型良妻賢母
父はB型一人息子のお坊ちゃん

私はAB気まぐれ 天真爛漫
誰に似たのかおっちょこちょい

いろんな口癖が飛び出る
探し物をする時
「探し物は何ですか 見つけにくい物ですか・・・」
井上陽水の歌を歌いながら探し回る

家族に何か聞かれてわからない時
「なんでだろう なんでだろう・・・」
得意の笑顔で愛嬌ふりまく

厳めしい顔で「賞味期限切れてるぞ!」とのお言葉に
「気にしない 気にしない」一休さんになって振り払う

博学の方々への相槌は
「ほんとう~知らんかった~すごい~」とピエロになる

せかされた時には内田百閒の真似をして
「まあだだよ!」と叫ぶ

おかしくて
面白くて
自分に笑いころげる

問題発生した時
「ケ・セ・ラ・セ・ラ なるようになる」とうそぶく

家族の中で声を大にして言う
「いいかげんは最高!」と

私は「サザエさん」が大好き

私は「一休さん」が大好き
「気にしない 気にしない」の応援歌

私は「天才バカボン」が大好き
「これでいいのだ これでいいのだ」の合い言葉

私は「スーダラ節」が大好き

私は「ウンジャラゲ」が大好き

こんな私が時には
「気合いだ! 気合いだ!」と拳を上げる

こんな私が時には
Fight! Fight!」と手を握る
親指を中へ入れて 手を握る

鏡を見て私は尋ねる
「あなたは誰?」
「どこから来たの?」

鏡を見て私は言う
「あなたはかわいい人ね」

「あなたはステキな人ね」と

2017年1月23日月曜日

「朝型・夜型」

ある人は朝型の人
起床は早く四時から五時
頭が冴えている早朝に猛勉強
子供の時からの生活習慣
弟が言う「兄は勉強ばかりしていた」と
その甲斐あって医者になった
結婚しても子供ができても
朝型人間は変わらない
シニアになってもずっとそのまま
まだ現役の医者である

ある人も朝型の人
起床は早く五時
一日は愛犬の散歩から
体を鍛える種々のトレーニング
テニスにゴルフ
野球に水泳
スキーにヨット
海原かけるヨットマン
結婚しても子供ができても
朝型人間は変わらない
シニアになってもずっとそのまま
運動万能の人

ある人も朝型の人
起床は早く五時
頭が冴えている早朝に猛勉強
子供の時からの生活習慣
勉強の成果は大きくて
いろんな資格をゲットする
気象予報士、宅建主任、建築士、耐震診断士、旅行業務、整体師
結婚しても子供ができても
朝型人間は変わらない
シニアになってもずっとそのまま
今ではスーパーおじいさん

私は農耕民族
私は朝型人間
朝食前にひと仕事

そんな私が夜型人間と生活する
寝るのは遅く零時過ぎ
テレビを友とし
本を友とし
夫は夜型人間
夜は頭が冴えている

さらば朝型人間
婦唱夫随は何処へ
私は夫唱婦随


2017年1月20日金曜日

徒然に想ううた(自由句三句)


まつり去り 心淋しき 冬籠もり



雪舞って 嬉しはしゃいだ 幼き日




気になって 頭が冴える 老いの道

2017年1月19日木曜日

 鴨川冬散歩

この1週間は雪が積もったり時雨があったりと不安定な天気が続きましたが今日は太陽が顔を見せました。買物を兼ねて鴨川沿いの散歩に出かけました。
河原に出ると芝生にたくさんのスズメが一心不乱に草むらの中をついばんでいます。虫でもいるのでしょうか? 近くによっても一生懸命です。


少し離れたところでは野生の鳩たちが同じように食事中。


近くの大木には少し大きめの鳥が何羽か飛んできました。センダンの大木です。下には実がたくさん落ちています。最頂部にとまっている鳥は実を食べているようです。


モズより少し大きいようですが?


丸太町橋周辺には水鳥達もたくさん集まっています。橋の近くで舞っているのはミヤコドリです。ミヤコドリは海にいるカモメなのですが冬には川を上ってくるようです.

パン屑をもらうため橋上を乱舞


鴨川ですから鴨の仲間がたくさんいます。いろんな色の鴨がいますがそれぞれ名前があるはずです。今度調べてみようと思います。

渋い茶色の鴨

明るい茶色の頭が雄です

丸太町橋と今出川橋の河原は広く整備されているのでジョギングやペタング、よさこい踊りの練習やバドミントンなどをする人がたくさんいます。今日は一人カラオケのおじさんもいました。

駅伝の練習か?

荒神橋上の飛び石、このワンちゃんは少し怖がっています。

荒神橋まで来て道路に戻りました。東を見ると大文字山が雪でくっきりと見えます。片道1.5kmの冬の散歩でした。




2017年1月18日水曜日

レンタルビデオ(3)「パリ3区の遺産相続人」

 マギー・スミスさんの映画三本目は「パリ3区の遺産相続人」です。


 パリ3区はパリ市のほぼ中央にあり、映画にはセーヌ川やおしゃれな雰囲気の街並みが映ります。六十歳を目前にした無一文の男性が、父からの遺産であるアパルトマンを処分しようとアメリカからパリへやってきます。





しかしそこには九十歳の老婦人(マギー・スミス)と娘が住んでいました。父が買い手、婦人が売り手の契約は、フランス独特の「ヴィアジェ」というもので、住宅ローンの代わりに売り主に毎月年金を払うというものでした。月々2400€(ほぼ30万円)を、婦人は四十年間受け取っていました。これは彼女が亡くなるまで続きます。


映画の展開とともに父親と婦人の関係がわかってきます。そのことが原因で母親は自殺しています。父親はフランスを愛し続け、家庭はうまくいっていませんでした。父親と息子の間は冷たく、疎遠になっていたのです。「ヴィアジェ」は運命のゲームであり(これは映画の中での発言)売り手がすぐ亡くなれば後を継ぐ運命ということになります。もし売り手が亡くならなければ、売り手の命を支える運命ということになり、父親の婦人への愛情が表れているように思います。アメリカから来た男性と老婦人の娘は、子供の時から傷ついて生きてきたお互いの人生を理解し合い、それが恋愛感情に変わっていきます。


 パリ3区の邸宅の運命は、次の世代へと受け継がれて、映画はハッピーエンドで終わります。父親のことを少しずつ理解していく男性の心理が、うまく描かれていました。

2017年1月17日火曜日

レンタルビデオ(2)「カルテット!人生のオペラハウス」

 先日レンタルビデオをスタートしてから、毎日映画を一本観ています。イギリスの大女優マギー・スミスさんのファンになった私は、早速彼女の映画を観ることにしました。
 二本目となる映画は「カルテット!人生のオペラハウス」です。監督は名優であるダスティン・ホフマンです。「卒業」「クレイマー、クレイマー」「レインマン」トッツィー」を観た私は、懐かしく思い出します。彼も現在は後期高齢者で、「カルテット」で描かれている人達と同世代です。この映画は引退した音楽家達が暮らす老人ホームが舞台です。以前NHKのドキュメンタリー番組「人生を奏でる家~ミラノ・老音楽家たちの日々~」で取り上げた、音楽家のための老人ホームからヒントを得ています。多くのオペラを作曲したヴェルディが、1896年にイタリア・ミラノに創設しました。音楽家たちが最期まで尊厳をもって音楽に向かい合えるようにと私費を投じて創設したのだそうです。


 この映画では財政難になっている老人ホームを存続させるために、老音楽家たちは立ち上がります。ヴェルディ生誕200周年を祝うコンサートを開き資金集めをしようというのです。かつて同じカルテットで歌っていた仲間のうち、三人(男性二人、女性一人)はすでにホームの住人になっていたのですが、そこへ新しい住人がやってきました。カルテットの一人、女性(マギー・スミス)です。



 いろんなもめごとが起こります。しかし最終的には四人でコンサートで歌うこととなりハッピーエンドになります。ホームの住人には、イギリスの老トップ音楽家たちが登場します。役者が音楽家を演じるのではなく、音楽家が演じるのです。老音楽家たちが歌い、演奏します。監督ホフマンは「年をとるとはどういうことか、そのまま見せたかった」と語ったとのことです。体の不都合も起こっています。カルテットの一人、女性歌手は認知症も始まっています。エンディングロールでは、イギリスが誇る老音楽家たちの現在と若き日の写真とともに紹介が流れます。オペラ歌手、ピアニスト、ヴァイオリニスト、ヴィオラ奏者、クラリネット、トランペット、チェロなど、交響楽団、管弦楽団、室内管弦楽団のコンサートマスターや首席奏者のオンパレードです。最期の時まで、人生の最終章があふれる音楽に包まれます。「肉体は衰えても音楽や愛が人生を彩ってくれる」という監督ホフマンからの人間賛歌のメッセージです。ホフマンも五歳からピアノを習い、演技の勉強を始める前はジャズ・ピアニストになるのが夢だったと聞いています。長年音楽に携わってきた私にとって、映画に登場された方々は偉大な音楽家であり、人生の先輩です。敬意を表します。

2017年1月16日月曜日

雪の中「皇后杯京都女子駅伝」

昨日は大雪(13cm)の中、35回都道府県対抗「皇后杯京都女子駅伝」が開催されました。土曜日からの雪で開催が心配されましたが、朝からの雪かきで道路は何とか走れる状況になりました。例年通り近くの丸太町通りまで応援に出かけました。といっても、テレビで近くまでの状況を見届けて、通過予定から15分前に家を出ます。寺町丸太町がちょうど7区から8区への中継地点です。
テレビを見ていると時折雪が降り、最北の56区の宝ヶ池方面では雪が激しく降りランナーの頭に雪が積もっています。テレビカメラも後続選手が見えづらい状況です。6区では神奈川、長崎、長野、京都、千葉が先頭グループでせりあっていました。

雪の中の首位争い(テレビ)
 京都は地元でもあり最多の優勝記録を持っていますが、前回優勝は3年前です。沿道では京都の人たちはもちろん、県人会などが各都道府県の旗を立てたりして応援しています。私のふるさと三重、ポアロ(夫)のふるさと大阪、縁あって十年暮らした岡山、現在暮らしている京都、四十七都道府県の中でもつい応援に力が入ります。一区一区全力で走る選手達の姿に、目頭が熱くなります。
観光で来られた外国の人たちも美しい京都の雪景色と突然の駅伝の交通規制で驚いたり喜んだりしておられました。
中継地点のすぐ手前なので応援の皆さんから「ラストがんばれ!」という声が飛びます。選手の皆さんも最後の力を振り絞って中継点に飛び込みます。この地点で京都は5位でした。



最後尾は富山県のランナーでしたが1段と大きな拍手がわきます。


 すべてのランナーが中継点を通過したのち急いで家に帰りテレビをつけると最終9区となっていました。2位でタスキを受けた京都の最終ランナーが1位になっていました。その後あとから追ってきた岡山のランナーが追い上げてきて競技場の中まで接戦が続きましたが最終京都が2秒差で3年ぶりの優勝となりました。京都の住民としては拍手です!選手の皆さん雪の中お疲れ様でした。