先日ポアロ(夫)から言われた一言について考えています。
「ボ-ッとしている時って無いんだね」と言われて、自分でも気づいていなかったことに気づきました。
ポアロがセミリタイアして、十ヶ月が過ぎました。子供が独立し二人暮らしになってからは長いのですが、それまでの生活は一変しました。ポアロが朝家を出てから夕方帰宅するまでは、私一人の生活だったのが、四六時中二人の暮らしとなりました。今までも休日は二人で過ごしていましたが、毎日毎日二人でとなると、お互いですがいろんなことに気づくようです。お互い興味関心好奇心のあるものについては、一人で行動しますが、時間的には短いものです。
結婚して以来、私は「ボ-ッとしている時」はありませんでした。私は何をするにも没頭します。録画した映画を観る時も、編み物をする時も、ピアノを弾く時も、一つのことに集中します。何もしないでテレビの画面を追うことはありません。料理をしながら、食事をしながら情報番組は見ますが、テレビドラマはあまり見ません。連続ドラマは苦手です。二人の共通の好みの番組(報道、歴史、紀行、音楽、ドキュメンタリー)は、夜二人で観ます。一般的に「ボ-ッとしている時」とはどんな時でしょうか。結婚するまでは、レッスンの合間に太平洋を眺めながら、未来への空想に耽り「ボ-ッとしている時」がありました。それは二十代前半までのことです。出会い、結婚、家事、出産、育児、愛犬二匹育て、そしてずっと続けている仕事があり「ボ-ッとしている時」は、いつのまにか無くなりました。今、現在は、ゆとりだらけの二人暮らしと思われますが、女性にとって家事からの退職はありません。体が続けられる限り一生続きます。家事は無限大、家事はエンドレスです。ポアロは家事も苦手ではないので助かりますが、それでも私が一切手を出さないということはありません。このことに関しては、やはり古い時代の妻なのだという気がします。「生きることは食べること。食べたらできる洗い物」外食でない限り、一日の中で、朝食、昼食、夕食の調理、後片付け、そして午前、午後、夜のお茶の時間の用意、後片付けなど、私はチョコマカ動いています。家事に追われ一日があっという間に過ぎていきます。その合間に少しの時間でもあれば、ピアノを弾いたり、好きな物書きをしてしまいます。とことんの掃除、片づけは後回しとなり、そのしっぺ返しで、時には髪ふりみだしてのてんやわんやとなります。
私が傾聴ボランティアで出会った高齢の方々は「テレビの守り」をしていると、よくおっしゃっていました。 国会がある時は、ずっと国会中継を、相撲がある時は、ずっと相撲中継を観ていると言われる方も多かったです。ある高齢女性は「お迎えを待っているだけ」とおっしゃいました。私の両親は、テレビはいつもつけていましたが、好きな番組は「銭形平次」でした。深刻な中身ではありません。勧善懲悪の娯楽番組です。
私も今はバタバタした暮らしをしていますが、段々と体の不調も起こり、精神的にも集中力が落ち、やる気、意欲も無くなってきたら「ボ-ッとしている時」が増えてくると思います。若い頃は未来に想いを馳せ「ボ-ッとしている時」がありましたが、自分の体もままならなくなってきた時には、過ぎ去った時の流れを懐かしみながら「ボ-ッとしている時」を過ごしたいと思います。
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