縁あって夫婦となった男性と女性ですが、本当の夫婦になれたカップルは、そう多くはいないのではないかと思います。
私の母は七十五歳の誕生日を迎えたその月に、心筋梗塞であっけなくこの世を去りました。大百姓の一人息子のところへ嫁ぎ、大家族を抱え、働きづめに働き、わがままで短気な夫に苦労しながらも仕え、まるで良妻賢母を演じたかのように一生を終えました。子としての立場から父と母の夫婦を見ると、優しくおとなしい母の性格に乗じて、父は母に甘えていたのだと思います。母の強靭な精神力、寛容さ、忍耐強さなど、人間力が父を上回っていたのだと思います。腕力、力は圧倒的に男性が上ですが、人間力では母に軍配が上がります。母が良妻賢母を演じずに、自分を押し殺さず、自分の本心をさらけ出し、父とぶつかりあって、ケンカもしょっちゅうしながらの暮らしができたなら、父と母は本当の夫婦になれたかもしれません。母があまりにも自分を抑えすぎて、人間から脱した仏心を持った崇高な女性像を理想としていたのかもしれません。
そんな父と母の夫婦を見て育った私は、子供の頃から武者小路実篤の「仲良きことは美しき哉」を理想としていました。「愛情で結ばれた二人にケンカなど起こるはずはない」と、苦労知らずの箱入り娘だった私は純粋で、本当にそう思っていました。結婚し一緒に暮らし始めて日も浅いうちから、毎日の生活の中で些細なことで夫から文句が出始めました。何を言われても一方的に言われるだけで、私は口答えもせず、母そっくりの妻となっていました。母とよく似た性格(内向的?)は、良妻賢母のように夫に口答えすることなく、子供達の前でもケンカすることなく、亭主関白の夫とおとなしく従順な妻という夫婦像が、長年続きました。夫の暴言に心傷つき、結婚生活がスタ-トした時から私が考えていた「愛情で結ばれた二人にケンカなど起こるはずはない」という思いが揺らぎ始め、自分一人だけの一人相撲をしているのではないかという思いが芽生えました。
そして子供達は育ち独立し、夫婦二人きりの暮らしが始まりました。私の心の奥底でずっと燻ぶっていた思いが、少しずつ頭をもたげてきました。母そっくりのおとなしく従順な妻である私は、父がそうであったように、わがままな夫をますます増長させるのではないかということに気がついたのです。この時、私は五十歳を過ぎたところでした。夫の暴言に心傷つきながらも、まるで子羊のような妻だった私は豹変しました。「自分に素直になろう。腹が立ったら怒ろう。夫の言った事にハッキリ自分の気持ちを言うべきだ」そして夫と私のバトルは、日常茶飯事となりました。時にはプロレスのようなことも起こります。ピアノで鍛えた私の握力は夫に負けません。万が一の時には、爪も武器になります。噛むという技も発揮できます。私は人間として成長しました。これからの人生、活火山のように生きていこうと決めました。私はパワフルな妻になりました。同時に夫は恐妻家になりました。
自分の本心を剥きだすことの爽快さ、五十歳を過ぎてから知った自分への忠実さ、夫とぶつかりあい、ケンカしあい、後に拘りを残さないさわやかさ、やっと本当の夫婦になれたような気がします。母は最期まで心の奥底に夫への不満を持ち続け、父は母亡きあと母への想いに涙し、きっと後悔の念に苛まれていたのではないかと思われてなりません。
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