以前ブログに短歌として載せた作品です。
「生きるって どういうこと」と あどけなき
テレビの声に 我はドッキリ
テレビで放映されていたCMですが、この問いかけには、どういうふうに答えたらよいのか、難しくて今もまだ即答できないでいます。
先日、これによく似た質問を、まんたん(義母)が、私になげかけてきました。
「死にとうない。どうしたらええ」私はドキッとしました。咄嗟に答えねばなりません。私は苦しまぎれに答えました。「百歳まで生きた人が、もっと生きたい、あと百年生きたいと願っても、それは無理な話だものね。百年生きるってすごいことやからね」私の言ったことがわかったのかどうか、まんたんは「そうやねえ」とつぶやきました。いつもは口癖のように「早く死にたい、生きていてもしょうがない」と言っているまんたんが、突然正反対のことを言ったので、私は本当に驚きました。
ボランティアで出会った八十五歳の男性は、奥さんが二度の脳梗塞で重度の後遺症の状態にあり、夫婦で有料老人ホ-ムに入っておられました。ご主人も十年前に脳梗塞を起こし手術されたそうです。その方は、御自身の体は高齢に伴う弱りだけで、普通の生活をされていたのですが、妻の介護(そばで見守る介護)や心労で、夜は眠れないと訴えられて、心療内科へ通院し誘眠剤や導眠剤をもらって飲んでおられました。徐々にそれも効かなくなってきて、医師に「もっと眠れる薬を出してほしい」言ったところ、医師に「もうそろそろ悟ってください」と言われたと立腹され「医者が患者の訴えや気持ちを理解しないでどうするんだ」と、胸の内を吐露されていました。御子息は他県で医師をされているので、医療についていろいろ知っておられる方です。
不眠症の患者さんに出す睡眠薬や誘眠剤・導眠剤は、むやみに出すことはできなくて制限がかかることはわかりますが、医師の「そろそろ悟ってください」という言葉にはいろんな意味が含まれていると思います。人間九十年近く生きてきたらそろそろ最期も近いということ。人間として成熟するはずだ。いろんなことも長老は乗り越えられるはずだ。いつまでも同じことばかり言っていては成長がないではないか。など医師の言いたかったことは「薬だけでは改善しない。自らを受容して下さい」ということでしょうか。この方は元々お酒が好きで、眠るために薬を飲んで、それでも眠れないからアルコ-ルを飲んで、酔いつぶれて眠るようなことを繰り返されて、それが致命傷となり急死されました。妻をのこして旅立たれました。
人間がどんなに望んでも、百十五歳で世界一の長寿です。人間の手ではどうにもならないことを願うのが、人間の性(さが)というものなのでしょうか。そしてそこにまた苦しみが生まれるのだと思います。人間はいつか悟れるのでしょうか。神や仏に近づくことができるのでしょうか。まんたんの難しい質問を受けて、考えさせられました。
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