長いようで短く、短いようで長い人の一生ですが、人それぞれに人生の節目はいくつかあると思います。人生の折り返し地点を遥か前に通り過ぎた私は、今立ち止まり、自分の歩いてきた道を振り返っています。いくつの人生の節目を乗り越えてきたのでしょう。
日本が戦後の混乱期から少しずつ脱皮している時代に生まれた私は、親の愛情、庇護を受け、成人し社会人となりました。幼稚園から始まり、何回もの入学・卒業があり、それも人生の節目ですが、まず人生の大きな節目といえば、やはり結婚です。親の羽の下でのぬくぬくと居心地のよい暮らしから、渦巻く荒波の中へ飛び込みました。何の保証もない愛情という目に見えない絆だけを信じて、まるで薄氷の上を歩くような、人生の大きな節目をくぐり抜けました。
次の人生の大きな節目は、自分の命をかけて臨んだ新しい命の誕生です。自分の体を通して親になるという人生の大きな節目は、二度くぐり抜けました。神秘的な新しい命の誕生は、過去から現在へ、そして未来へとつながる命の連鎖です。男性には申し訳ありませんが、自分の体を通して親になるという人生の大きな節目は、まるで目に映るすべてが、今迄と違って見えたのでした。親になってからの私は、子供達がそれぞれの人生の節目をくぐり抜ける時、子供のそばにありました。そして姉や父、母、愛犬達、大切な人達との別れという人生の大きな悲しい節目もありました。
子供達が社会人となり、手の届かないところへ羽ばたいたあとは、親としてできることといえば、子供の健康と無事を願い祈ることでした。子供達が、いつか、共に生きていこうという誰かに出会い、その人生を歩き出す時は、子供にとっても私達親にとっても、人生の大きな節目だと捉えていました。いつの時代でもそうだと思いますが、時代の移り変わりは、この人生の大きな節目の捉え方も、人それぞれ違うということを、私に気づかせてくれています。人はいろいろ、人生の大きな節目の捉え方もいろいろ、一番身近な夫や子供さえ、自分という人間から見れば、己ではありません。
こんな歳になってこんなことに気づくとは、はたまた私は、世間知らず苦労知らずの箱入りおばあさんなのでしょうか。
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