縁もゆかりもなかった岩手県大槌町で、娘たちのためにご縁パーティーを開いて頂いて感無量の私です。たくさんの方が娘たちの結婚を祝ってくださり、たくさんの方にお世話になりました。本当にありがとうございました。出会いがあり、ご縁を頂き、絆が生まれました。個々の属する国に関係なく、地球家族を感じて心が温かくなりました。ご縁パーティーの会場で、何人かの方から難しい質問を受けて驚きました。初めて受ける質問です。今もその質問について考え続けています。
「お母さんは、どういう子育てをされたのですか」という質問です。突然のことで驚き、普段思っている言葉しか咄嗟には出てきませんでした。「どこの親も同じだと思いますが、一生懸命子育てをしました」と答え、少し謙遜して「反面教師ですが、私は箱入りで何もできなかったので、子供たちには何でもできるようにと望みました」と付け加えました。この質問はとても難しい質問です。答えも一つではありません。親がこう育てたから、子供がこうなったとは言えません。親も子も一人の人間です。それぞれの持って生まれた個性があります。東北慰霊旅を終えて日常に戻った私は、この難しい質問を受けて、私の子育てを振り返っています。
まずは胎教なのでしょうか。ピアノ教師としての仕事を持ちながら家事もそれなりにこなしていました。忙しい毎日ですが、充実した日々で子供の誕生を待ちながら、二人でその準備にも追われました。お腹にいる時から、8ヶ月頃からは父と母の声を聞いているそうです。ピアノを弾いたり、弾き歌いをしたり、ピアノとギターで合奏したり歌ったり、レコードを聞いたりと、音楽が身近にありました。胎教を考えてのことではなく、自分たちの暮らしがそうだっただけです。
誕生したその日から私は歌を歌って子供に語りかけました。私の気持ちにぴったりの歌「こんにちは赤ちゃん」です。
こんにちは赤ちゃん あなたの笑顔
こんにちは赤ちゃん あなたの泣き声
その小さな手 つぶらな瞳
はじめまして わたしががママよ
こんにちは赤ちゃん あなたの生命(いのち)
こんにちは赤ちゃん あなたの未来に
このしあわせが パパの希望(のぞみ)よ
はじめまして わたしがママよ
生まれたばかりの子供でも、一生懸命歌を聞いている様子です。病院に一週間いる間に、おしっこをしたら「あ~」と声をだしてまるで教えているかのようです。こちらのキャッチと対応が良かったのかなと思いましたが、本当に驚きました。
実家での生活が一ヶ月過ぎて、いよいよ自分たちだけの生活が始まります。近所に住む姉や義母の助けを借りて、私は仕事を再開します。
子供が幼い時には、子守り歌や童謡の絵本を見ながら歌って聞かせ、少しすると子供も一緒に歌うようになりました。お話しと歌がセットになったレコードもよく聞きました。幼い子供は、音楽に合わせて踊って歌ってとおおはしゃぎです。この頃の記憶の中で、今も鮮明に思い出されるお話しがあります。「三匹のこぶた」です。お母さんぶたは、いつも同じせりふを口癖のように言っています。「自分のことは、自分でおやり。自分の家(うち)は、自分でお建て」です。子供たちはレコードの音楽と一緒に歌も覚えて歌います。私も一緒に歌います。「三匹のこぶた」のお母さんの台詞は、いつのまにか我が家の愛唱歌になりました。今でも思い出すと笑いがこみあげてきます。
子どもが育つ過程において、影響を及ぼすのは親だけではありません。私の父は、本の虫というほどの読書家でした。子供たちが字を読めるようになった頃から、会えばいつも本をプレゼントしてくれました。その影響を受けて、子供たちも本が大好きになりました。私の母はお寺へお参りすると、お供をする子供たちに「聖徳太子」や「法然さん」などの絵本を買ってくれました。祖父や祖母からの、幅広い影響も受けていると思います。
私は、口出し手出しはあまりせず、見守るという母親でした。「自分でよく考えて、決断し行動する」というのは、常に根底にあった私の信条です。世間一般ですが、スポーツにおいても他の分野においても、親がしてきた道に進む人は多いと思います。環境が影響を与えているのだと思っています。私がピアノの道を進んできたということも、子供たちにとって環境の一つになっていたのは間違いありません。環境はどうであれ、進路は自分で決めて進みます。アドバイスを求められれば、答えられるという程度です。そういう段階を経て、娘は音楽の道に進みました。
子育てといっても、結局は親の生きる姿勢を長きにわたり見つめてきた子供たちです。親が何を考え、どう生きようとしているかが重要だと思っています。私が目指す人間像は、信念の人です。見方を変えれば頑固一徹です。そして人の心の痛みを慮れる人です。ノーベル賞を受賞された本庶佑氏は「あきらめない、とことん追求することが大切」とおっしゃっています。偉人の言葉は、胸に響きます。
娘は音楽の道に進み、大学時代からアルバイトに精を出しました。修士課程を終え、貯めた資金を基に、更なる勉学を目指してフランスへ飛び立ちました。音楽の勉学を続けながら、生活のために仕事も始めました。フランスでたくさんの人との出会いがあり、その輪はどんどん広がっていきました。音楽の仕事もどんどん広がっていきました。渡仏して8年が過ぎようとしていた時に、2011年3月の東日本大震災が起こりました。娘の人生観が開花したようです。遠いフランスで日本を想い、被災地を想い、被災者支援に向けて立ち上がりました。それから7年9ヶ月が過ぎようとしています。そんな経緯から、今回の岩手県大槌町でのご縁パーティーへとつながりました。
親の元から飛び立ち、親を超えていきました。難しい質問を受けて、自分の子育てを振り返ったのですが、ある意味では自分史を書いたように思います。こういう機会をもらったことに感謝しています。
*今回の娘たちの来日で、嬉しい発見がありました。婿殿が着ているTシャツの背中に、私の大好きな言葉が書かれていたのです。
「ぶれない ゆれない まどわされない」
みんながこのような人を目指してほしいと願っています。