激しく降る雨の中を、陸前高田から大船渡へ移動しました。ポアロの友人が、大船渡の市長をされているので、表敬訪問するのです。ポアロは何十年ぶりの再会です。私は初めてお目にかかります。大船渡駅前にあるホテルのロビーで、待ち合わせの約束をしていました。彼は、約束の時間ちょうどに来られました。海外勤務が長かった彼は、退職と同時に故郷の市長になられました。二期目が終わろうとしています。市長になってすぐに大震災が起こりました。大船渡の町も被害は大きく、犠牲者、行方不明者は多数にのぼります。
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道路には浸水想定の注意看板 |
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震災直前の大船渡駅 |
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震災直前の町の様子 |
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津波襲来時の写真 |
大船渡駅も被害を受けて、元の形はありません。ここが大船渡駅とわかる表示があり、現在も鉄道は不通で、バスが代行しているようです。私達の今回の東北行きの経緯をお話ししました。大震災が起こってからの7年7ヶ月、フランスから東北支援を続けている娘たちのことを伝えました。彼は非常に喜んでくれました。海の盆の時には、娘たちは大船渡へ来ていることなど話しました。その時娘たちは、駅前で唯一残った旅館に泊まったのですが、彼と懇意の人の旅館とのことでした。大船渡の被災状況と、現在の復興状況について、たくさんの資料を持ってきてくださいました。予測不可能な大震災が起こり、初めての市長という大役を全力投球でされてきたことがよくわかります。1時間ほどお話しして、お昼時になったのでお食事をと言われましたが、あとの予定があったので遠慮させてもらいました。駅前にある彼の知り合いの菓子店で、大船渡の銘菓を買っていただきました。貴重な時間を拝借し恐縮した私達は、町の復興を願い、またの再会を約束してお別れしました。そのあと震災後駅前に新しく造られた防災センターを見学しました。最上階は3階でしたが、大船渡の町が見渡せました。海はすぐそこです。今まで見てきた被災地と同様、広い土地が続いています。そこにぽつんぽつんと新しく建てられたものがあります。市としては順を追って、復興計画に沿って町作りをしていこうと進めていますが、個人の思惑もある中での進捗状況は厳しいとのことでした。
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復興中の駅前 |
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防災センター |
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建替えられた新しい菓子店 |
彼から聞いたお話の中に、陸前高田の奇跡の一本松と同じく、大船渡にもど根性ポプラがあるとのことだったので、寄りました。かつて入り江のそばにあった小さな集落に、1本のポプラがそびえ立つようにありました。震災後そこは住民の戻れない場所となっています。ど根性ポプラのそばには、大震災に耐え抜いたポプラを賛えるモニュメントがありました。奇跡の1本松もど根性ポプラも、すべての人の希望です。ずっとずっと後世に続いていくことを願いました。
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事業をしておられた建物の中庭に立っていたそうです |
大船渡を出てから、途中釜石を通ります。釜石は鉄鋼の町です。そしてラグビーとしても日本一になった町です。来年にはワールドカップが開かれるので、燃えている町です。
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鉄鋼の町釜石は駅前から工場が広がっています |
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ラグビーワールドカップを盛り上げる展示 |
釜石駅に寄りました。そこで思いがけずの出会いがありました。娘たちの今回のパーティーのスペインからのゲストであるファミリーと、ばったり会ったのです。ポアロがフェイスブックをしているので、顔だけ知っています。興奮して声をかけました。スペイン語もフランス語も話せませんが、拙い英語で話しました。1日早く現地入りしている娘に連絡を取りました。今回お世話になる方が、マイクロバスを運転して釜石駅へ向かっているとのことです。しばらくの時間、緊張して談笑しました。今夜のパーティーは大槌町で開かれます。大槌町からは車で30分ほどかかります。マイクロバスには、娘たちも乗ってきました。やれやれです。しかしここでハプニングです。前夜からさきほどまで激しく降った雨の影響で、鉄道が不通となり、東京から来てくれるゲストが、代行バスで釜石に向かっているとの連絡です。その二人を私達が待って、車に乗ってもらうこととなりました。娘たちは、スペインからのゲストファミリーと一緒に、マイクロバスで大槌へ向かいました。1時間ほど待つのを覚悟していましたが、少し早くバスは到着しました。娘の高校時代の友人は、三重から来てくれました。もう一人は、東京在住のフランス人男性です。日本に住んで長いので、日本語に不自由はありません。京都で開かれたフランスフェアの時にお会いしています。皆で再会を喜び、今夜のパーティーへの期待を抱き、大槌へと急ぎました。
*大船渡戸田市長さんは、先日行われた市長選で当選されて、三期目に突入されました。本当におめでとうございます。
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