「設え(しつらえ)」この言葉を聞いたり、見たり、言うと、日本的なイメージが沸き起こります。日本の四季が美しく、人の心を情感たっぷりに豊かにしてくれるからではないでしょうか。いろんな設えがありますが、京都の設えが代表的なもののように思われます。テレビや新聞、雑誌など、マスコミによく取り上げられます。京都の町家では、昔から夏の設え、冬の設え、祭りの設えなど、その時々に合わせて設えをされてきました。現代人からは、面倒で大変なことと見られていますが、京都人にとっては、当たり前のことで、しなければその時を迎えられなく気持ちも落ち着かないようです。「設え」が目に見えるもののことだけでなく、目には見えない人の心に迎える心の準備をさせてくれるように思います。
私の「設え」の思い出は、父がするその時々の設えでした。夏を迎える「設え」は、家中の建具を入れ替える大ごとなものでした。玄関の衝立も籐仕立てのものに変わります。風がよく通る建具に変わると、夏を感じ涼しさを感じ移りゆく季節を感じました。軒先には風鈴がつるされ、軽やかに優しく揺れる風鈴の音に、気持ち良い風を感じました。坪庭には蹲(つくばい)があり、竹で水の流れ道が作られ、その先には手作りの鹿威し(ししおどし)が取り付けられ水が流れ滴る音と時々響く鹿威しが涼しさを感じさせます。縁先にはすだれがつけられ、真夏の日差しも和らぎます。座布団も夏座布団に変わり、部屋の隅には何本もの団扇をたてた団扇たてが置かれます。床の間の掛け軸も夏向きの涼しげな絵柄に変わります。庭には縁台や床几が出され、夏の星空を見ながら涼をとり、子供達は線香花火を楽しみます。扇風機が登場してからは、何台もの扇風機が出されます。それらすべてを父が一人で行ないます。
夏が終わると今度は冬の設えです。家中が夏物から冬物に変わります。今のような冷暖房のエアコンはありません。火鉢や石油ストーブで暖がとられます。お正月を迎える設えも、掛け軸から食器、神様へのあげものまで、本当にいろいろありました。それぞれの行事を迎える設えもいろいろありました。小さい時からずっと、結婚により実家を出るまで、設えをする父の姿を当たり前のように思っていました。今振り返ると父がこまめに行っていた設えは、日本中どこの家でもされていた設えだったと思います。時代が変わり、便利なものが次から次へと誕生し、面倒な設えは影をひそめどんどん簡素化されてきていると感じます。「設え」という言葉も昔という時代に遠ざかり、懐かしい日本の姿が思い出の中に消えていきそうです。マンション暮らしの身にとっては、エアコンの切り替えで夏冬が一瞬に変わります。「設え」について考える時、はて自分にとって「設え」とは何か、頭に浮かんできません。京都町家の設えと、長年一生懸命設えをし続けた父の姿が重なります。夏が終わり秋を感じた矢先、冬の寒さを迎えた今、私は扇風機を片付けストーブを出しました。衣類も冬物を少し出しました。これが私の「設え」かしらと心の中で笑っています。
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