突然の訃報に驚いています。ブログにも数回登場してもらった医師が先週亡くなられました。今回三重に滞在している時にお会いできるものと考え、ポアロはお土産を用意して、電話をかけようとしていました。ところがその矢先、奥様から「先週亡くなり初七日を済ませたので連絡させて頂きました」との電話があったのです。覚悟はしていたものの大きなショックを受けました。先生は癌闘病中で最期のステージだったのです。先生は、私達より十歳上の先輩です。
30年ほど前のことですが、ポアロは病院建築時の設計担当ということで先生と出会いました。仕事から始まったおつきあいですが、数回ゴルフを一緒にしたり、時々お会いするというものでした。岡山暮らしをしている頃は、年賀状だけのごあいさつとなっていたのですが、今年の年賀状のお返事をもらったことから再び親しくさせて頂きました。絵葉書一面に書かれた文字が並び、それが五枚ほど封筒に入れられ届いたのです。医師としての人生、交友関係、趣味、余命半年との診断を受けてからの日々の暮らし、一年経ってのその想い、胸の内が綴られていました。「おいしいコーヒーを淹れますから。ぜひ遊びに来て下さい」との言葉に誘われて、ポアロは先生宅へ寄せてもらいました。物作りという趣味が一致し、地理、歴史など博学の先生の知識と豪快な人柄にひかれると同時に、二人に響き合うものがあり、話は尽きることなく、いつも四時間ほど楽しいひとときを過ごしました。そのあとも先生からの長文の絵葉書手紙は、京都へ届きました。本をお借りしたり、頂いたり、話題は広がり宇宙にまで及びます。模型飛行機を二つも下さり、ポアロが早速作って飛ばしてその様子を伝えると、今度は御自分で工夫して作られた自前のゴムも送って下さいました。先生とお会いして盛り上がった数時間のことを、帰宅したポアロは興奮気味に話してくれます。それを聞いて私は、男同士の友情というものを感じていました。お互いにひかれあい響き合う、人間同士という感じです。
町医者だったお父さんは、コツコツ真面目な医師として地域に貢献され、父親の志を引き継ぎ三人の息子さんは医師となりました。御長男は、胃腸科のパイオニアとなり、その名は全国に広まり、県外からもたくさんの人が押し寄せました。病院は大きくなり、病院の前には患者さん達のための旅館もできて大繁盛でした。その頃です。私の母は胃を切除する手術を受けました。私は高校一年生で自転車通学していたので、学校の帰りに病院へ寄りました。病院の裏は伊勢湾です。海の好きな私は、いつも海を見に行きました。遠い日の記憶です。医師となられた次男、三男の方も、御長男とともに名医となられ、病院は益々発展しました。そんな中、御長男がまだまだこれからという年齢で、病気のため亡くなられましたが、御長男の二人の息子さんも医師となり、病院は強固なものとなっていきました。私は十七年ほど前にこの病院で手術をしてもらっています。家族経営のようなあたたかい雰囲気を感じ、先生方の面白いお話に何度も笑わせてもらいました。数年前には弟さんが、続いて御長男の長男さんが、病気で亡くなられ、病院にとっては大きな痛手となりました。今回訃報が届いた次男である先生は、三十八年ほど病院長として大任を負って、病気一つせず走り続けてこられました。去年のお正月頃に、ご自身の大病が発見され、第一線を退かれましたが、医師として長い道のりを歩んでこられたのです。
訃報を知り、ポアロはお悔やみに駆けつけました。先生はポアロの訪問をいつも楽しみにされていたそうです。ポアロが先生と最後にお話ししたのは、亡くなられる三週間前です。「父が五十年前に植えたリラ(ライラック)の木が、見事な花を咲かせているんだ。見に来ないか。今どこにいるの?」とのお電話でした。その時は仕事で京都にいたので、先生のお誘いに行けませんでした。先生は、庭にマットを敷き寝転んでリラの木を眺めておられたと、奥様から聞きました。
息子さんが書かれたお礼の言葉には、胸を打つものがありました。
「人を信じ、愛し、人を知り、不器用ながらグチは言わずに、辛いことは煙草の煙でご
まかして、おどけた素振りで周りを笑顔にしてくれた、そんな父を愛おしく思います。古代史から宇宙観、常に視野を広く持つようにと努める父の姿は私達の誇りです。愛に溢れ、常に前向きに臨む事を教えてくれた父に感謝しながら、家族一同父の想いを胸に新たな気持ちで歩んで参ります」と書かれていました。
先生は、長年お酒と煙草を友とされていました。七十八歳で旅立たれましたが、これまで病気は一度もされていません。先生の最期のステージに、近しい存在として時をともに過ごさせて頂いたポアロは感無量です。「奥さんもご一緒にどうぞ来て下さい」と誘われながら、もう少し先でと先延ばしにしていたことが悔やまれます。
「今度お会いできる時には、面白いお話しの続きを聞かせて下さい。本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお眠り下さい」と、先生にお別れの言葉を捧げました。
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