2016年6月8日水曜日

お出かけ東京へ(8)

 旅の最終日三日目は、小雨降る中、両国にある江戸東京博物館へ行きました。一階の特別展示室で、NHK大河ドラマ「眞田丸」の展示がされており、高い視聴率が出ているようでたくさんの人で賑わっていました。


  五階、六階が常設展示室で、私達は六階の江戸ゾーンから見学することにし、日本橋を渡り江戸城と町割りのコーナーが広がっているのを順に回りました。外国の方も修学旅行生もたくさん来ていました。江戸の昔の暮らしぶりを見て回り、五階へ降りて東京ゾーンを見学しました。明治、大正、昭和、そして現代の東京まで、時代の移り変わりがよくわかります。そのあと見晴らしの良い最上階で昼食をとりました。最後にミュージアムショップで、旅の思い出の品を買いました。


江戸時代の日本橋のにぎわい

江戸時代の越後屋

昭和の民家モデルに小学生は大騒ぎ

江戸博物館の横は国技館です

 次に地下鉄で門前仲町へ移動しました。門前仲町交差点に立って地図を見ると、小津安二郎監督の足跡がよくわかります。深川は彼が生まれ育った地であり、いくつもの映画のロケ地です。陽岳寺には小津家の墓地があり、両親が眠っています。

深川の交差点

小津家の菩提寺 陽岳寺


代々伊勢松坂商人で、先祖はすべて伊勢人であり、父は江戸で大店を構える海産・肥料問屋「湯浅屋」松坂商人の大番頭で、深川に居を構えていました。深川には小津橋が今も残っており、威勢を誇る商人であったことがわかります。深川一丁目に、小津安二郎生誕の地の史蹟板がありました。明治36年12月12日生まれなので、113年前のことです。ここで幼年期を過ごし「教育は田舎で受けるべし」との父の方針で、母や兄弟とともに、三重県松坂の小学校へ転校します。九歳の時でした。私達は地図を手に、生誕地、湯浅屋跡を回りました。

 それからすぐ近くにある、もう一人の三重県出身の偉人松尾芭蕉の足跡をたどりました。途中、清澄庭園を横切りました。三菱財閥の庭園の跡を公園にしたようです。奥の細道旅立ちの地には、芭蕉像があり、芭蕉庵跡、芭蕉記念館を回りました。


堀は海が近いのでクラゲがプカプカ


すぐ横は隅田川です

清澄公園の向こうにスカイツリー





時間がなくなってきたので急いでタクシーで、日本橋にある小津和紙店へ向かいました。 小津和紙店は日本橋本町にあります。創業は1653年(承応2年)、創業から360年を迎えています。





三重県松阪市にある松坂商人の館は、小津家本宅です。江戸に大店を持つ三井家、長谷川家と並ぶ、松坂商人の豪商です。紙や木綿を手広く商いしていました。小津和紙店へ着いて、まずギャラリーを見学し、その奥に小津家の歴史を説明した小津史料館があったので見ていたところ、ハッピを着た高齢の男性が声をかけてこられました。私達が三重県松阪市から来たことを告げると、たいそう喜ばれて、小津家の歴史について丁寧に説明して下さり、特別室へ通されてお茶も頂きました。予想していなかったことで、大変恐縮しました。いろんなお話をさせて頂いた中で、その方は関宿で有名な三重県亀山市の生まれで、ふるさとを離れ東京へ出て六十年経っているとのことで、小津家とともに人生を送られました。昔小津家がピンチに陥った時には、国学者の本居宣長の曾祖父に助けられ危機を脱したと言い伝えられており、小津史料館には本居宣長の大きな写真と説明が書かれていました。松坂には小津党というほど小津家があり、本居宣長も小津安二郎監督も小津家の出身です。私の実家の菩提寺も、婚家の菩提寺も、本居宣長や小津家と同じということもあり、話が盛り上がりました。番頭さんと思われる男性と、いろんなお話ができてよい思い出となりました。思わぬ出会いがあり、一期一会を感じました。


1階は和紙の販売、和紙体験工房


長者番付のレジェンドとして行司役となっています

東京駅までは歩ける距離なので江戸博物館でみた日本橋の三井本館、三越へ寄り道しながら向かいました。

三井系のビルも超高層になっています

三越本店

現在の日本橋

  お出かけ東京への三日間の旅は、本当によく歩きました。一日目が25000歩、二日目が2万歩、三日目も2万歩でした。私は4年、ポアロは12年も東京に住みましたが、その頃は仕事、子育ての現役時代で、日々の暮らしに余裕はなく、見どころいっぱいの首都東京を散策することもありませんでした。今回は、ふるさとの偉人の足跡をたどりたいという思いにかられ、その地を訪ねましたが、これからも一年に一度くらいは、東京ふれあい町歩きをしたいと思います。

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