東京カテドラルへ寄ったあと、目白通りを歩きました。旧細川伯爵邸が広がっています。敷地内には男子学生のための和敬塾があり、寮は500人収容するほどの大きなものです。和敬塾本館は、昭和初期の本格的な邸宅建築とのことで、結婚披露パーティー会場としても人気のスポットらしいです。知人の息子さんがここで結婚披露パーティーをされたことを思い出しました。
また敷地内に旧熊本藩主細川家伝来の美術品や歴史資料など収蔵し、展示・研究を行っている永青文庫(日本・東洋の古美術を中心とした美術館)があります。広い敷地は大木が茂る森林で、門から奥のほうに建物が見えました。中に進むとレトロな建物がありました。永青文庫は細川元総理が理事長をされています。
永青文庫前 庭園への入口(神田川へと下っていきます) |
永青文庫の入口へ戻るとその通りをはさんで広大なお屋敷がありました。蕉雨園というものでした。明治時代の田中光顕伯爵の邸宅です。1897年(明治30年)の築で、三重県桑名市の棟梁の手によって建てられたとのことです。一般公開はされていませんが、お茶会や映画のロケ地として使われています。蕉雨園という名は、芭蕉庵、五月雨庵にちなんでつけられたそうです。現在は講談社の所有になっています。
蕉雨園 |
次に田中角栄元総理邸の前を通りました。30年ほど前、東京に住んでいた頃のことですが、目白御殿の前を通った時の記憶とずい分変わっています。隣接する公園に土地が物納され、目白通りに面する所には日本女子大学の校舎が建っており、田中邸の入り口は狭くなっていました。時代の流れを感じました。
次にNHK連続テレビ小説「あさが来た」の広岡浅子女史が、女子のための大学をつくるのに奔走した、日本女子大学へ行きました。テレヒにも登場した初代学長成瀬仁蔵記念館を見学しました。彼は1858年(安政5年)現在の山口市で生まれ、宗教家であり、教育者であり、社会活動家でもあったのです。日本女子大学校は、1901年(明治34年)の創設です。テレビで展開されたストーリーが、頭に浮かびました。
成瀬仁蔵記念館 |
そのあと学習院大学の前の千登世橋からバスに乗り新宿へと向かい、旅の一日目を終えることになりました。
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