荷物を発送した翌日の朝八時に荷物が到着しました。発送した時もそうでしたが、運送屋のスタッフは若者です。リ-ダ-を入れて総勢三人ですが、皆二十代のようです。体育系の人達でハキハキ、テキパキ、爽やかな笑顔を見せて好感度の高い人達でした。若者のきびきびと動く姿、かけ声かけてのチ-ムプレイは、見ている私達を気持ちよいものにしてくれました。こんな若者達に日本の将来を託したいと思わせてくれました。荷入れが終了して、三人の若者は礼儀正しく挨拶し、爽やかな笑顔を残し、トラックに乗り込み手を振って去って行きました。
翌々日の九時から三時迄トラックを借り、自分達でゴミ出しゴミ運びをしなければなりません。粗大ゴミ、可燃ゴミ、不燃ゴミに分別し、袋に入れたりヒモでくくったりして、夜遅く迄準備をしました。娘も手伝ってくれました。まんたんも少しはできることがありました。翌々日の朝、夫はレンタカ-屋へ行き、予約しておいたトラックに乗り戻ってきました。それからはまた時間との闘いです。三時にはトラックを返す予定で、タンス、食器棚、本箱、大きい物からトラックに乗せます。市のゴミ処理場が山側、海側の二ヶ所に分かれているので、まずは山側の粗大ゴミ処理場へ運びます。一回で運べるかと心配しましたが、トラック満載でロ-プをかけ、夫、私、娘がトラックに乗り、粗大ゴミ処理場へ向かいました。まんたんは留守番です。二十分ほど走った山の中に、粗大ゴミ処理場はありました。
むせかえるような鼻をつく薬のにおいの中、トラックの荷台からたくさんの粗大ゴミがコンベア-に乗って落ちていきます。マスクをかけた作業員が数人いてゴミをうまく荷台から押し出してくれました。まんたんと四十年近く共にあったたくさんの物達が別れていきました。トラック一台分の粗大ゴミは六千円ほどかかりました。
急いで戻り、今度は資源ゴミと不燃ゴミをトラックに積み込み、車で十五分ほどのところにある海側の不燃ゴミ処理場へ向かいました。そこでも作業員が数人いてゴミ出しを手伝ってくれました。最後は資源ゴミです。たくさんの本とダンボール箱や紙類です。第二の勤めと思われるシルバ-人材のような男性二人が、愛想よく車の横付けを許可してゴミ出しも手伝ってくれました。こちらの方は四千円ほどかかりました。ちょうど午前の部で二つの大きなゴミ出しが終了しました。
隣に住んでいる姉が、まんたんと一緒におにぎりと豚汁を作ってくれて、姉宅でお昼を頂きました。何も飲まず食べずに必死にゴミ出しをした私達三人は、久しぶりのおにぎりがおいしくて、豚汁とおにぎりのおいしさに感動し、作ってもらったおにぎりを全部平らげました。
束の間の休憩のあと、今度は電気屋へ家電リサイクルに出すテレビ二台と冷蔵庫を運びます。トラックを借りたので一回で運べます。書類を書くので少し時間がかかりましたが、計一万二千六百円で引き取ってもらいました。
急いで帰宅し夫と私でトラックを返しに行きました。ちょうど三時前に返すことができました。レンタカ-代は八千円でした。トラックに数回乗ったことがありますが、お腹にひびく乗り心地も時には面白く、娘は「軽トラックを買おうかな」とまで言い、私達は「農家の手伝いに行くの?」と大笑いしました。
やっとのことで引っ越し、ゴミ出しが終わり、ホッとしましたが、これから荷ほどきをして、荷物の整理をして、落ち着くまでにはまだまだ時間がかかると思います。
昔から引っ越し貧乏と言われていますが、今回の引っ越しも三十万ほどかかりました。
恐れ入りました。
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