ラジオから聞こえてくる「親孝行」について、私はふと立ち止まり考え始めました。自分が親になって、子供に親孝行を期待する、望むなど少しも頭にありませんでした。ただただ子供の健康と幸せを願い祈るだけでした。子供からの見返りを期待する、望むなど考えられませんでした。親の子供への愛は無償の愛だととらえていました。しかし世の中、一般的には、どちらの親が多いのでしょう。親が経済的に、あるいは健康でなくなり身体的にも困窮し、子供に余裕がある場合は、親は子供に期待し望むかもしれません。私が子供の健康と幸せを願い祈り、子供に見返りを求めないということは、現在の自分がある意味恵まれているからかもしれません。
まんたん(義母)と一緒に暮らし始めて早四ヶ月が過ぎ、少しずつ三人暮らしに慣れてきましたが、心の奥底に「私達は親の犠牲になっている」という思いが潜んでいます。まんたんは、夫が亡くなった時には、二人の息子は独立していて、その後約四十年間、独身に戻り、自分の好きなこと、したいこと、いろんな趣味を楽しみ、旅行も楽しみ、生きてきました。ところが突然初期の認知症と診断され一人暮らしができなくなり、私達と一緒に行動を共にすることになりました。私達はあと少しで定年を迎え、これから自分達のしたいこと趣味を楽しみたいと考えていましたが、現在の状況では、私達のこれから先が閉ざされたようで、暗い気持ちになります。このままでは、親の犠牲になって、私達のセカンドライフが消えてしまいそうです。今の私達は、無理をして親孝行をしているのかもしれません。無理は続きません。何かいい方策をと目下夫婦で考えているところです。
0 件のコメント:
コメントを投稿