2013年6月27日木曜日

学ぶを知る(2)


 先日、華道の家元へ第二期の勉強に行ってきました。第一期の緊張もほぐれ和気藹々と五日間の研修が終わりました。前回はみんなの様子もわからず、自分だけが落ちこぼれるのではないかと心細く心配しましたが、みんなが似たり寄ったりの経験と実力で、楽しく参加できました。

 親子以上の年齢差もある若者達からは、親世代、祖母世代と幅広い年齢の人達が集まっているので、いろんな意味でとても面白いクラスです。前回も親睦食事会がありましたが、今回はビアパ-ティーです。飲んで食べてしゃべるだけではありません。英語の歌詞で歌い踊るのです。これにはちょっと気後れがしました。若い人達についていけません。それにアルコ-ルも飲めません。参加すれば見ているだけでもきっと楽しかったと思いますが、折角出席して見ているだけではみんなが興醒めするでしょうし、今回は欠席しました。

 十二年前、五十代の私は、ホ-ムヘルパーの資格を取るために学校へ行きましたが、その時も若い人達と一緒に勉強しました。そして居酒屋での食事会にも参加しましたが、その時の私に比べやはり十二年の歳月には大きな違いを感じます。講義を受ける中で、今回は視覚聴覚の衰えを感じました。先生の声が聞き取れないという場面がありました。先生の冗談に皆が笑う時、聞き取れなかった私は意味もわからず苦笑いするだけです。恥ずかしい限りです。講義には板書がいっぱいです。メガネをかけていても小さな文字それも癖のある字は読みづらかったです。

 修了アルバムのための記念撮影が早々とありました。最前列の中央に教授陣が五人座られたのですが、私は名簿が二番なので最高齢の教授さんの隣に座りました。写真ができてきたら、私は生徒達より先生方に年齢が近いので、きっと教授と間違われるだろうなと、心の中でおかしくて噴き出してしまいました。

 いけ花をいける時、まず自分はどんないけ花をいけたいのか考えます。そしてどんな花材を選ぶのか決めます。もちろんテ-マが頭にあります。先生の話された中に「自分の好きな花を好きなようにいけて下さい」というのがありました。私はくちなしの花が大好きです。みずばしょう、カラ-も真っ白な花です。純粋無垢を思わせる花です。そのことをイメ-ジして、カラ-を「主」と決め足元に低くいけ、シマフトイを「主」に呼応する「用」とし、ナツハゼをあしらいにしました。優しい感じの自然的表現のいけ花ができあがりました。そして先生の手直しを受けました。先生は私がいけた優しい感じのナツハゼを幹の太い面白い枝振りのものに変えました。そこで手直しを見に来ていたクラスメイト達から拍手がわき起こり「感動して涙が出る」「神の手のよう」「宗教的」という言葉が出ました。先生がたった一本のナツハゼを入れ替えただけで、私のいけたいけ花は生命力あふれるものに変わりました。先生から頂いた言葉は「山の中を歩いている時、小さな湖を見つけ、そこに真っ白なみずばしょうがひっそりと清楚に咲いていたのですね」でした。私が思い描いていけたいけ花を、その通りの言葉で言ってもらって本当に嬉しかったです。

  いけ花は文化です。その時代に生きる人々と共に成長します。変わります。いろんなきまりごとがあるのはそれぞれの流派によって違いますが、根本はいける人の思いをいけ花に表現することだと思います。

 午前は九時から講義で、午後は五時まで実技です。たった五日間ですが凝縮された中身で、疲れはあるものの気持ちはとても爽快でした。

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