終の棲み家をどこにするのか、誰にとっても難しい問題です。ある程度の年齢までは、遠い遠い先のことと漠然に頭のどこかにあった気がします。歳を重ね、確実に終焉に向けての日々を意識するようになって、現実問題として終の棲み家はクローズアップしてきます。
知り合いの八十代の女性は、最近行動を起こされました。終の棲み家探しです。ご夫婦の考えにズレがあり、七十代の御主人はまだ早いとの考えです。子どもはおられません。それぞれに体の不調は持っておられますが、どちらかというと年齢の高い奥様の方が終の棲み家探しについて切実のようです。一人でホームの見学に行っておられます。最期まで京都に住みたいとのことで、場所は京都限定で探しておられます。専業主婦だった奥様は、今まで家事すべてを一人でされてきました。御主人は仕事ひとすじの方でした。奥様から聞いたお話では、御主人は最近やっと炊飯器でご飯を炊けるようになったとのことです。私にとってはびっくりすることですが、今までの日本の夫の典型的な姿のように思います。結婚生活は、共同生活です。生きることの大切な部分は食べることです。元気な時は夫婦分業でも、体の不調が起こった時にはお互いに助け合えるような力を持っていることは大切です。掃除は手抜きで良しとします。洗濯も大雑把で良しとします。食器洗いはきれいにこまめにお願いします。妻が料理できなくなった場合は、しばらくはお弁当でも、惣菜テイクアウトでも仕方ありません。しかしそればかり続けられては困ります。毎日とは言いませんが、夫に手料理をしてもらう必要があります。食事は一日三食毎日続きます。頭を働かせて、手を使い、腕を磨いてもらわねばなりません。私は仕事を続けながら、不器用でも家事育児を頑張りました。夫婦の共同作業として、仕事家事育児を捉えていました。そのおかげで仕事を終えた夫は、現在主夫として力を発揮しています。頼もしい存在です。日本の妻たちは、なぜ夫を甘やかしてきたのでしょうか。男性も女性も、一人の人間として自立していることは当然だと思います。妻が家事をできなくなった時に慌てるのではなく、自立した夫になってほしいと願ってしまいます。
知り合いの女性は、家事すべてがしんどくなってきたのです。病気の後遺症で、味覚もなくなってきたとおっしゃいます。今までやってきた夫の世話も、つらくなってこられたのです。奥様が入院し退院されたあとは、宅配の病人食で過ごされました。御主人は買い物には行かれています。お弁当を買いに行かれます。しかし料理はできません。奥様の気持ちを考えると、ホーム入居は良い選択だと思います。奥様はすべてから解放されたいのです。これからの楽しみは、ホームに入ってゆっくりのんびりゆったりと余生を過ごしたいと思っておられるのです。終の棲み家探しで、私たちにできることがあればお手伝いをしようと思っています。
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