2017年11月30日木曜日

現代のおばあちゃん

 先日京都へ遊びに来てくれた私の友人三人は、現代のおばあちゃんです。私は自分が時代に乗り遅れているように感じました。何がすごいかというと、三人ともスマートフォンを自由自在に使えるのです。私は不勉強で、スマートフォンについてよく知りません。いろいろ教えてくれました。スマートフォンには、いろんな機能があります。電話、カメラ、ゲーム、メール、地図、辞書、ラジオなど、なんでもできそうです。
私は携帯電話を持っていますが、ガラケーです。ガラケーという名も最近知ったところです。通話とメールに使います。カメラも付いていますが、うまく操作はできません。自分で写真を撮ることが滅多にないのです。先日も頑張ったつもりで写真を撮って、家へ帰ってから見たら自分の指が邪魔していました。おかしくて自分の不器用さにふきだしてしまいました。中学生や高校生の若い人達は、時代に敏感で何事も先取りしていると思っていましたが、若い人達だけではありませんでした。私より年上の先輩女性は、携帯電話も使いにくいからと最近解約されています。歳とともに視力が落ち、指先での操作も困難になったからとおっしゃっていました。パソコンやタブレットを使って、調べものをしたり、メールを送ったり、ブログを書いたりしていた私は、不自由を感じませんでした。携帯電話を持っていれば、いつでもどこでも通話はできます。友人三人は、行動範囲が広く活動的です。現代という時代に即して生活しているようです。

スマートフォンだけではありません。車も自分の足として乗っています。頼りにされて、孫の送り迎えにも活躍しています。ポアロの知り合いで年上の人では、唯一76歳の男性がスマートフォンを持っておられるそうです。我が家では、家族五人の中でポアロだけがスマートフォンを使っています。時代は日々進歩していきます。パソコンが使えるから今の時代のおばあさんだと思っていた私は、友人三人が現代のおばあちゃんだと知って圧倒されています。

2017年11月29日水曜日

タイムスリップ

 昨日は素晴らしいお天気に恵まれ気温も上がり穏やかな一日となりました。京都の紅葉も最終ステージとなっています。以前約束していた私の友人三人が、三重から京都へ出かけてきてくれました。お天気や気温を心配していたのですが、最高の行楽日和となり、ポアロが車で京都駅へ迎えに行き南禅寺まで送ってくれました。南禅寺周辺は、平日ということを忘れるほどのたくさんの人出です。国内外からの観光客でいっぱいです。十一月も終わりに近づき、もみじも散り始めるのではないかと思っていましたが、南禅寺のもみじの紅葉はまだ赤・黄の燃えるような見事なものでした。感嘆の声が上がります。



南禅寺の境内を散策し、写真を撮りました。そのあと南禅寺の前にある湯豆腐で有名なお店で昼食となりました。混雑を予想してあらかじめポアロが予約を取ってくれていたので、スムーズに食事となり助かりました。
  


 高校からの友人たちとは、会いたいと思いながらも幾星霜、今回ゆっくり会うことができました。卒業してから半世紀、個別には数回は会っているのですが、四人が勢揃いというのは私の行動力の低さからかなかなか実現しませんでした。それぞれの道に進み、仕事、結婚、子育て、今では孫育てと、フル活動の友人たちです。半世紀の時の流れは、ずい分と長いものです。食事しながらいろんな話しに盛り上がりました。夫の噂話にも花が咲きます。孫の数も四人の人が二人、五人の人が一人、そして孫おらずの私です。子供の数は、四人ともそれぞれ二人ずつです。一番大きい孫は、高校一年生です。「おばあちゃん」と呼ばれての暮らしぶりは、ベテランおばあちゃんという貫禄ににじみ出ています。昼食のあとは、永観堂の紅葉も見に行きました。素晴らしい紅葉です。たくさんの観光客の間をぬって、写真撮影です。




それから私の好きな場所、東山別荘群の街並みを案内しました。観光客にはあまり知られていないので、静かな通りです。そのあと平安神宮の大鳥居を背にして、神宮道を南へと歩きます。青蓮院、知恩院、八坂神社、高台寺の前を通り、清水寺を目指します。一年坂、二年坂を通り、三年坂の途中で和風茶屋へ入りました。甘党大好きな四人です。ここで相談した結果、ずい分歩いて足もそろそろ痛くなってきたので、この先の清水寺へは行かずに戻ることにしました。八坂の塔へ向かいました。この道も見ごたえのある通りです。テレビにもよく登場する名所なので、友人たちは喜んでくれました。それから花見小路を通り四条通りへ出ました。京都一番の観光名所を歩き続けて、四条河原町交差点で別れることになり、友人たちはタクシーで京都駅へ向かいました。この日の歩数は、二万歩近くありました。少し歩き過ぎたかなと、ガイド役の私は反省しました。高校を出てからそれぞれの人生が半世紀を過ぎて、これからはいろんなことから解放されて、楽しく生きていこうと話しました。今度は春に会うことを約束し、楽しい一日が終わりました。

2017年11月28日火曜日

長寿国日本

 日本が長寿国になって久しいですが、今それを実感しています。100歳以上が六万五千人を超えているそうです。十一月も残すところ二日となり、喪中はがきが続々と届いています。私の両親が存命であれば、父は101歳、母は98歳です。届いている喪中はがきは、最高齢が99歳です。親世代の方が長生きされて、百歳近くで亡くなられたことになります。今回届いた喪中はがきは、皆さん長寿の方ばかりで、95歳から99歳に集中しています。次の世代は兄や姉の年代の方たちです。70歳から80歳ぐらいが兄や姉の年齢です。昔のことを思うと、60歳は十分なご隠居さんでした。私の父方の祖父は、60歳で病気で亡くなっていますが、私の記憶をたどっても写真を見ても、立派なお年寄りです。それに比べると、今は90歳ぐらいでやっとお年寄りと感じるくらい若返っています。最近NHKで観た「健康長寿百歳」に登場した百歳の男性は、妻が先だったあとホームへ入ろうとしましたが、介護認定が出ず入れません。これには驚きです。日野原重明氏は、105歳で亡くなられました。現役の医師を最後までやり抜かれたスーパーおじいさんです。これからもっともっと寿命が延びて、医学が進歩し、人間が最期の時を迎えるのが難しくなってきそうです。

2017年11月27日月曜日

どっちがどっち(京都タワー)

 今日用事があったので、久しぶりに京都駅へ出かけました。用事を済ませての帰り道、初めての光景を目にしました。京都駅の上、駅ビルに京都タワーがきれいにうつっているのです。時間は夕方四時頃でした。夕日を浴びて、京都タワーが輝いています。本物の京都タワーを見ても美しく、駅ビルのガラスにうつっている京都タワーも美しく、どちらが本物かもわからないほどでした。道行く人もスマートホンで写真を撮っています。写真を撮らなくても、立ち止まって見上げています。



  京都タワーは、新幹線が開通し東京オリンピックが開催された昭和39年に建設され、早半世紀を超えています。建設当初は物議をかもしていましたが、今は京都のシンボルとなっています。今日はとても良いお天気となり、青空と白い雲が京都タワーを際立たせていました。帰り道、バスに揺られながら気持ちはルンルンでした。

2017年11月24日金曜日

徒然に想うこと(人間って)

人間って自分を含めていいかげんだと思います。寒さ厳しい冬になると、すさまじかった酷暑を忘れ夏を恋しく思い、猛暑の中では身も心も縮こまっていた厳しい寒さを忘れ冬を恋しく思います。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。忘却があるからこそ、人は明日に向かって生きていけるのかもしれません。記憶力は人それぞれ、千差万別ですが、記憶力が優れていれば優れているほど生きづらいかもしれません。「日にち薬」という言葉もあります。傷を負った人の身も心も、結局は時が最良の薬になるのです。苦しみ悩み、暗いトンネルがこの先ずっと続くように思っても、それは今しばらくのことです。一日一日と日は過ぎていきます。今と同じ日がずっと続くことはないのです。
先日新聞を読んでいて、素敵な言葉に出会いました。「善き人というのはストライクゾーンが広い」と書かれていました。これは寛容の精神だと思います。私の好きな言葉「寛容」です。寛容とは、「心が広くて、よく人を受け入れること」と辞書にあります。私は大雑把です。小さなことにこだわるのは好きではありません。四角い部屋を丸く掃くようなものです。勝手なもので、人に至れり尽くせりしてもらうのは好きです。「自分に厳しく人には優しく」も好きな言葉です。人に対しては寛容であってよいと思います。いいかげんに見える私ですが、生き方に関しての大切な根っこの部分は、「とことん」なのです。最近はあまり聞かない言葉ですが、「とことん」という言葉も大好きです。知り合いの女性は、「私はいつもとことん考える」と言っています。人生をとことん生きる。自分をとことん生きる。信念を持ってとことん生きる。まだまだもっともっとと、とことん努力する。人をとことん愛する。「とことん」万歳です。

2017年11月22日水曜日

「大切な人」


「おーい おーい」呼ぶ声がする
「おーい おーい」誰かが呼ぶ
「おーい おーい」誰かが私を呼んでいる

私は振り返る
誰もいない

私は気づく
気配を感じる

大切な人の気配を
ぬくもりを

大切な人は
いつも私のそばに

大切な人は

私を見守っている

2017年11月21日火曜日

初めてのこと - 喪中メール

 先日年賀状が発売されました。年賀状を買う人が年々少なくなり、発売枚数は減少しています。私達団塊の世代にとっては、年の初めのごあいさつとして、年賀状は重要な役目を果たしていると思っています。何年ぐらい前からでしょうか、若い人達が年賀状にかわってメールでの新年のあいさつとなりました。それはどんどん増えて、年賀状離れという現象を起こしています。新年のあいさつを、一斉メールで簡単に送信できるそうです。ポアロには、毎年いくつかの新年のあいさつのメールが届いています。
十一月も下旬になり、喪中はがきが届き始めました。昨日はメールでの喪中のあいさつが届きました。初めてもらいました。返信をすべきかどうか悩んでいます。

年賀状もメールにかわり、喪中はがきもメールにかわり、時代とともに人の暮らしも変化していきます。若い人は敏感です。時代の変化の波にうまく順応していきます。歳とともに時代の変化についていけず、取り残されるような錯覚を感じています。

2017年11月20日月曜日

読書の楽しみ「トットひとり」(2)

 黒柳徹子著「トットひとり」を読んでいて、笑いころげるほど面白いところがありました。徹子さんは昭和8年(1933)東京生まれです。小学校の頃は戦時中で青森へ疎開し、女学校の頃は戦後の大変な時代で、修学旅行の経験はありません。クリスチャンの家庭に生まれ、お寺へ行ったことがないそうです。京都へ行ったことのない彼女に、夢のような仕事の依頼が来ました。ファッションショーの司会です。生まれて初めての京都に大興奮した彼女は、冬の早朝、まだ暗い中を清水寺へ出かけました。観光客はまだいません。お寺へ行ったことがない彼女は、勝手がわからないまま靴を脱いで本堂へ入りました。立派な祭壇が見えて、近づくとありがたそうな仏像があったので拝もうと思いました。仏像の前にあった大きな立派な座布団に座り、心をこめて熱心にお祈りをしました。目の前に立派な鉦や木魚があったので叩きました。ありがたそうな音が出たので、あれこれ叩いてお祈りを続けました。その時です。ふいに後ろから肩を叩かれ「そこをどいて下さいませんか?」と言われたのです。派手な色の袈裟を着た年配のお坊さんです。その後ろには大勢のお坊さんがいます。彼女は「いいですよ、交代しましょう」と答えて、譲りました。そのあと参詣の人達は賽銭箱の所で鈴を鳴らしたりお祈りをしていることに気づきます。以上が徹子さんの京都初体験の顛末です。この部分は何度読んでも笑ってしまいます。子供の頃のトットちゃんがよみがえります。この時徹子さんは二十代でした。
 徹子さんは三十八歳頃しばらく仕事を休んでニューヨークに留学します。演劇を勉強するための留学です。そこでもたくさんの人と出会い、貴重な体験を積んでいきます。
 現在テレビで放送されている「トットちゃん」は、どこか懐かしく自分の子供時代を思い出します。なぜかホッとするのです。科学が進歩し、スピード、機能、便利さが重視され、世の中が慌ただしくなり、人の心もギスギスしたものに偏ってきているように感じます。「トットちゃん」の時代は、人情があつかったように思います。徹子さんは、人を疑わないと言っておられます。周りの人からは「あなたは騙されやすい」と言われるそうです。私も騙すより騙される方がよいといつも思っています。正直、素直、天真爛漫で明るく元気な「トットちゃん」は大好きです。
 この本に登場したたくさんの方が旅立たれています。どんなに悲しく寂しいことでしょう。「先輩や友人たち、好きだった人たち、理解してくれた人たちがどんどんいなくなり、寂寥感を味わうことが歳をとるということかもしれない」と徹子さんは書いておられます。最後に、徹子さんが若い時に観た映画「草原の輝き」(1961年アメリカ)のラストシーンに出てくるワーズワースの詩が登場します。徹子さんのお気に入りの詩です。

「草原の輝き」 ワーズワース

  草原の輝き
  花の栄光
  再びそれは還らずとも
  なげくなかれ
  その奥に秘められたる力を
  見出すべし

*ワーズワース(ウイリアム・ワーズワース イギリスのロマン派詩人) 
(1770~1850)


 トットちゃんは偉大な人になりました。
ファンの一人としてずっとずっと声援を送りたいと思います。

徹子さんお元気で!

2017年11月17日金曜日

読書の楽しみ「トットひとり」

 今夢中で読んでいる本があります。図書館で借りてきました。黒柳徹子著「トットひとり」です。2015年4月発行の本です。黒柳徹子さんは、明るくて面白くておしゃべりなお姉さんというイメージを持って、私が子供のころからよく知っている人です。天皇皇后御成婚の時からテレビが普及して、家にテレビが来てから彼女をテレビでよく見ました。また「世界ふしぎ発見」というテレビ番組は、家族全員がファンです。1986年4月から放送されている長寿番組です。世界各地のいろんな不思議を取り上げています。初回から出演されている彼女の幅広い知識には本当に驚きます。


 「トットひとり」を読んでの感想は、彼女の交友関係の広さです。表面だけのおつきあいではありません。異性・同性区別なく、人間対人間の心底からのおつきあいです。長い芸能生活では、たくさんの人と出会い、いろんなことを経験されてきた彼女です。たくさんの人がいる芸能界というジャンルで、名前と顔とヒット作品を知っているということはあっても、実像については何も知りません。この本を読んで、徹子さんと親交のあった人の素の人間像を知りました。驚く素の姿や、面白い人柄など、いろんなことを知ることができました。心に残る言葉ももらいました。
 向田邦子(脚本家、作家、1929~1981)
「禍福はあざなえる縄の如し」人生はいいことがあると必ずそのすぐ後によくないことがあって、幸福の縄と不幸の縄と二本で撚ってあるようなもの。
      人間はオギャーと生まれた時から、不幸はついて回るもの。不幸があっても当たり前。生まれた時に不幸を背負わない人はいない。背負ったものをどうするかが重要。
 徹子さんと向田邦子の共通点は、人生そんなに悪いことばかりでもないという健気な呑気さがあり、泣き虫のオプティミスト(楽天家)向田邦子の妹さんの談
 沢村貞子(女優、随筆家、1908~1996)
「人間ってね、一生懸命やると後悔しないものよ。だって出来るだけの事やったもの。だから未練も後悔も何もないの。これでさらりとおしまい!」
      (最愛の夫の没後二年たってあと一時間で夫の命日という時に夫の元へ旅立たれた)
 徹子さんが「母さん」と呼んでいた沢村貞子の最期に寄り添いその姿を見ながら「人間が何の治療も受けず、自分で死ぬのですと決めて、ちっとも恐れずに、退屈そうでもなく、どこも痛いとも言わずに、静かにしているのを見るのは初めてだった」
「トット」とは、アフリカで最も多く使われているスワヒリ語で「子どものこと」で、
徹子さんは、小さい時の呼び名がトットちゃんだったそうです。

日本のテレビの放送開始が1953年(昭和28年)で、徹子さんは、テレビと共に人生を歩んでこられました。「徹子の部屋」も長寿番組で、たくさんの人が出演されています。トットちゃんらしいエピソードもありますので、次回に書かせてもらいます。

2017年11月16日木曜日

お出かけ(洛北大原阿弥陀寺)

 私の好きな番組「NHK京都・京いち日」から旬の情報を得て出かけました。洛北大原にある阿弥陀寺では、もみじが見頃になっているとの情報です。映像には美しく紅葉したもみじが映っています。京都に住んで十七年ですが、山間にあるお寺、阿弥陀寺について何も知りませんでした。雨がよく降った日の翌日は、秋晴れのお出かけ日和となり早速出かけました。自宅から20kmのところにあります。大原三千院を通り過ぎてまだ少し走ります。車を駐車場に停めて600mほど坂道を登ります。駐車場横の山門周囲にも見頃となったもみじがたくさんあり、ポアロは写真を撮るのに忙しくなりました。


600mとはいえ、急な坂道を登るのは息がきれます。久しぶりのいい運動です。あと少しあと少しと自分に言い聞かせ登ります。前方に阿弥陀寺が見えてきた時には、大きな喜びにかわります。15分ほどで到着しました。


阿弥陀寺はずい分高い所に建っているので見上げるほどです。お寺の入口そばに、樹齢八百年を超えるもみじの大木があり、紅葉した葉は上のほうだけありました。老木なので何本かのつっかえの木に支えられています。


阿弥陀寺は、弾誓(たんぜい)上人が慶長14年(1609年)に開基した浄土宗のお寺です。昔から皇族諸家との由緒が深く、閑院宮、有栖川宮、両家の祈願所となっていたそうです。高松宮、秋篠宮のご参拝の写真が飾られていたので驚きました。本堂には阿弥陀如来座像があり、重要文化財に指定されています。


 本堂の他に宝物殿もあり、弾誓上人がミイラ佛となり今も眠っているという石廟は、修行僧らが掘った洞窟にありました。山から湧き出た水が静かに流れていました。


本堂に座り、周りの山や木々、そして美しい紅葉のもみじを眺めて、しばしの間、日常を離れました。そのあと境内を散策し写真を撮りました。私達のあとから何人ものシニアの方たちが来られて、静かなお寺が賑やかになりました。中にはタクシーで来られた人もおられて、阿弥陀寺は洛北の紅葉の名所となっているようです。




山野草のダイモンジソウが可憐に咲いていました。苔むした湿潤な地に適しているようです。


2017年11月14日火曜日

京都紅葉便り(2017-4)

 金戒光明寺、浄土寺真如堂を見てから東方向へ自転車を走らせました。白川通りを横切り、鹿ケ谷通りを南下すると永観堂の前に出ます。たくさんの人で賑わっています。山門のあたりからはアジアの人達でいっぱいです。中国語や韓国語が飛び交っています。とてもにぎやかです。世界中からの観光客が、京都一,二を争うもみじの名所へ集まってきているようです。山門から美しく紅葉したもみじがよく見えています。有料の庭園入口には行列ができています。永観堂のもみじは、長年ポスターにもなって、京都の紅葉を見たい人達をとりこにしています。山裾には塔も見えています。人が映らないように写真を撮るのは難しいようです。
  






この永観堂と東福寺が京都一番の紅葉を競っています。今年も永観堂のもみじの紅葉を見ることができて大満足でした。帰り道は南禅寺の中を通り抜けて山門前の紅葉を眺めながら帰途に着きました。山門にはたくさんの修学旅行生が集合していました。


2017年11月13日月曜日

京都紅葉便り(2017-3)

 金戒光明寺から隣にある真如堂へ回りました。広い境内には、たくさんのもみじがあり、ちょうど見頃となっていました。わたしたちはモミジの季節と初詣によく訪れる場所です。





本堂を囲むように庭園が続いています。もみじの紅葉を楽しみながら、庭園をひと回りしました。木々は、太陽がどのくらい当たるかで、立っている場所によって微妙に色づきが違います。人の手によるものではありません。自然が織りなす芸術です。かわいい真っ赤なものから、黄色やオレンジ、うすきみどりなど、数え切れないほどの色です。まだ青もみじもあったりして、多彩な色に感動します。色づいたもみじは、雨や風に打たれて、はらはらと散っていきそうです。





浄土寺真如堂は、京都の紅葉の名所の代表の一つです。例年23日には大勢の人が訪れます。

2017年11月10日金曜日

京都紅葉便り(2017-2)

 今日は雲一つない秋晴れの中、お天気に誘われて久しぶりのチャリダ―クラブとなりました。目指すは金戒光明寺です。平安神宮の裏、聖護院の近くにあります。黒谷と呼ばれ法然上人が草庵をむすんだところです。以前ブログに書きましたが、幕末には京都守護職会津藩の本陣がおかれました。「新選組」など大河ドラマの舞台にもなっています。

 

ちょうど隣接の幼稚園の子供達が帰る時間で、迎えのお母さんたちで賑やかでした。桜の紅葉は最高でモミジも見頃に近づいてきているので、たくさんの人が訪れていました。高台にあるので京都の街が見渡せます。私のお気に入りの場所です。




2017年11月9日木曜日

我ながら

 先日買い物に出かけて、たくさんの食料を買い込んできました。行く前に買うものをメモに書いて出かけました。大手ショッピングモールです。買い物用カートを押して広い売り場を歩きます。メモを見ながら、カートへ入れていきます。みるみるうちにカートはいっぱいになります。今年の夏フランスに一ヶ月滞在した時にスーパーで見た光景を思い出しました。ばかでかいカートに、何人家族かしら?、というほどのたくさんの食料や日用品をたくさんのせて、お客さんは買い物をしています。シニアの人達も同様です。驚く光景ですが、週一回ほどのまとめ買いのようです。あるいは月一回の買い出しかもしれません。日本では大型家電とか、ホームセンターでの買い物の時に使う大型のカートにいっぱいの買い物です。
日本では標準サイズのカートです。レジで会計を済ませると、なんと一万円も使いました。とりたてて高価なものは買っていません。食料も二日分ほどです。メモに書いていないものも、売り場をキョロキョロしながら歩くと、つい買ってしまう悪い癖があります。広告の品だからとか、残りが少なくなっているからとか、余分に買ってしまいます。
そして家へ帰ってから、ぎゃふんとする間違いに気づきます。自分が欲しいものと思って買ったものが、実は隣に並べられていた商品だったのです。食べる時になって、その間違いに気づくのです。今回はコーンのちいさな缶詰でした。シャキッとコーンを買ったつもりが、コーンクリームだったのです。外観はそっくりです。じっくり字を見ないとわかりません。缶のふたを開けてさあ食べようとした時、「えっこれ何」ということになりました。

以前デパートでワゴンセールしていた時も、同じパッケージのコーヒーをレギュラーと思って買ったら、高級品だったりして目をむいたことがあります。スーパーで棚に陳列してあっても、自分が買おうと思っている商品の中に他の客がおいた隣の商品があったりして、確かめずにつかんでしまいます。目が悪くなってきているのでしょうか、思い込みが激しいからでしょうか、我ながらあきれ返り、ふき出してしまいます。

2017年11月8日水曜日

全日本大学駅伝

 先日の三連休の最終日、11月5日に全日本大学駅伝が行われました。愛知県の熱田神宮から、三重県の伊勢神宮まで、8区間106.8kmを走ります。今回は地元三重県の大学が初出場という快挙を成し遂げたので、盛り上がりました。伊勢神宮の近くにある皇学館大学です。大学の前がコースになっているので、毎年のテレビ中継ではおなじみの参宮道です。私はテレビを観ながらの応援ですが、ポアロは自転車で国道まで応援に出かけました。






テレビ中継には、沿道で応援するたくさんの人が映っています。そして大学の名前を書いたのぼりもたくさん見られました。箱根大学駅伝と出雲大学駅伝と並ぶ大きな大学駅伝です。上位十位までは、いつもの強豪が占めています。先頭を走ってきた東海大学が、最後の8区間に入り後ろにいた神奈川大学に抜かれました。神奈川大学は20年ぶりの優勝です。初出場の皇学館大学は、大奮闘し17位でゴールしました。
テレビを観ながらの応援も、手に汗をにぎります。大学生の若者たちが、走ることへ情熱をかけて全力で取り組む姿には感動します。日頃の練習の成果を発揮する駅伝です。どの学生たちも、頑張って頑張って実力を積み上げて臨んだ駅伝です。走りきった選手の皆さんに大きな拍手を送りたいと思います。マラソンのトップランナー、メダリストの瀬古利彦さんが、優勝を果たした神奈川大学の選手の皆さんに「これからも頑張って練習を続けて、東京オリンピックで力を発揮してください」と、声援を送られていました。

2017年11月7日火曜日

「夢」


心が変わる夢を見た
あなたの心が変わる
私の心が変わる

夢の中で私は怒り狂う
夢の中で私は絶叫する

人には道がある
道を踏み外す人
踏み外すことができる人

私はしない
絶対しない
私はできない
絶対できない

巷にあふれる略奪愛
珍しくもない略奪婚

それをする人 しない人
それができる人 できない人

属する種類が二つある
善い人 悪い人

属する種類が二つある
裏切る人 裏切らない人

属する種類が二つある
誠実な人 不誠実な人

心が変わる夢を見た
あなたの心は変わる
私の心は変わる

許しを乞う人
許す人

心は変わる

進化する

2017年11月6日月曜日

十一月三日文化の日「氏郷まつり」

 十一月三日文化の日は、お天気にも恵まれ全国各地でいろんな催しが行われました。私のふるさと三重県松阪市では、「氏郷まつり」がありました。今年で56回目です。

 

 松阪市には松坂城があります。私の家の東に見えるので、子供の頃からなじみあるふるさとの城です。松坂城は1585年(天正13年)に蒲生氏郷(1556~1595)が築城に取り掛かり、松阪開府の祖と言われています。蒲生氏郷は今の滋賀県蒲生郡日野町で日野城主蒲生賢秀の子に生まれました。十三歳で織田信長の居城だった岐阜城に送られ、武将になるべく教育を受けました。織田信長の娘・冬姫と結婚しましたが、転戦に次ぐ転戦で居城に落ち着く暇もありませんでした。松坂から会津若松へ、そして豊臣秀吉による朝鮮出兵のため、九州滞在中に病にかかります。会津へ戻り、そのあと療養のため京都の蒲生屋敷へ移りますが、四十歳の短い生涯を終えることとなります。 
 蒲生氏郷公顕彰事業として始まった氏郷まつりです。私が結婚してふるさとを離れるまでの氏郷まつりは、市長が氏郷公になり馬に乗って、家来をおともにして、メインストリートをパレードしただけでした。久しぶりの氏郷まつりは、とても盛大になっています。冬姫もいます。





武者行列には、他府県からも甲冑隊が応援参加しています。福島県会津若松市、群馬県高崎市、愛知県岡崎市、京都府長岡京市、京都市、岐阜県岐阜市・郡上市・関市、滋賀県近江八幡市などです。









催しもののステージも三ケ所に設けられ、たくさんのブースが並んでいました。ふるさとの歴史を感じ、現在、そして未来への発展を皆が願うという有意義な氏郷まつりでした。

2017年11月2日木曜日

十一月の月

 十一月に入り秋も深まってきました。昨夜の月はとても明るく美しく、見とれるほどでした。



ニュースの中で、今夜の月は十三夜の月だと伝えていました。中秋の名月(十五夜)と並んで月がきれいだと言われる十三夜です。「後(のち)の名月」「栗名月」「豆名月」とも呼ばれるそうです。十五夜の約一ヶ月後に巡ってくる月のことです。十三夜の夜は晴れることが多いようで「十三夜に曇り無し」という言葉もあるそうです。日本では古くから秋の名月を鑑賞するお月見の風習があります。十五夜は中国から伝わったもので、十三夜は日本固有の風習で、秋の収穫祭の一つではないかと考えられているそうです。昔から人は月を見て想いを巡らせました。俳句、和歌、短歌など、たくさん作られました。月を見て想いを巡らすと、人は文人になるのでしょうか。名曲も生まれています。月には人を引き付ける不思議な力があるようです。ポアロは夕方散歩に出かけ、美しい月の写真を撮ってきました。ご覧下さい。







2017年11月1日水曜日

京都で和婚

 NHK京都放送局では平日の6時半から「京一日」という情報番組を放送しています。私はこの番組から京都のいろんな情報を得ています。寺社仏閣、博物館、美術館、観光名所、お花情報、などいろんなホットなトピックスを教えてもらいます。先日は「京都で和婚」と題しての情報でした。京都の伝統産業である着物を着て、京都で結婚式を挙げる「和婚」がブームになっているとのことです。
上賀茂神社には婚礼部が置かれ、日本中から、外国からも申し込みが殺到しているそうです。その数は十年前の4倍で、一年先まで予約がいっぱいと言っておられました。北海道から来たという女性は、「親や親戚の人達が京都観光を兼ねて、結婚式に列席すると喜んでいます」と、インタビューに答えていました。アメリカからのカップルは、インターネットを通じて情報を得て申し込んだそうです。新婦も新郎も和装がよく似合っています。新婦は文金高島田で白無垢の花嫁衣裳です。新郎は紋付き袴です。日本が大好き、親日家というのが伝わってきます。

ブライダル会社の多彩なアイディアとプランは、結婚市場で大成功をおさめているようです。ある大手のブライダル会社は、十五の神社や仏閣と連携して皆さんの要望にこたえ、個性的なより良い「和婚」を目指して頑張っています。あるお寺では貸し切りで提供し、宿坊に新婚さんのためのホテルも用意していました。茶道で参列者をおもてなしするという「茶婚式」や、能の主人公になって式を挙げるというユニークなものまで紹介されていました。和装に身を包み、京都で結婚式を挙げる「和婚」のブームの理由の一つに、晩婚化があげられていました。人生経験を積み、あるていどの経済力も持った年齢の人達は、自分達の人生の門出に自分達の想いを込めて、京都での「和婚」を選んだのかもしれません。結婚式も簡素化されてきているような現代ですが、この話題を知って日本回帰のイメージを持ちました。