最近テレビや本、新聞でよく目にする言葉があります。就活、婚活に続く終活です。自分の人生の最期に向けての準備です。ある程度の年齢に達したら、そろそろ準備をしなければなりません。身体が人の世話になる前に、その準備に入らねばなりません。毎日の生活に追われドタバタしていると、ついそのことを忘れがちになりますが、時には足を止め、少し静かに考え、時間をそのために費やす必要があります。物品の整理には時間がかかります。家族にその作業を任せるのは、申し訳ない気がします。少しずつ整理していきたいと思っていますが、バタバタと日々を過ごしている私にはかなり難しいことです。でも少しずつやらねばなりません。そして自分の最期についても、遺言を書面に書く必要があります。
私が考えていることは、一番に「無駄な延命治療はしないでほしい」ということです。自分の意思なく機械で生かされるのは、残酷なことです。命の終わりは、天命、寿命と考えたいと思います。次に「葬儀はひっそりと静かに見送ってほしい」と思います。読経はいりません。娘達のピアノ演奏で送ってほしいのです。家族葬が人気を呼んでいますが、私も家族だけに見守られて旅立ちたいと思います。戒名もいりません。今の名前のままで結構です。お寺の檀家になっていると無理なことかもしれませんが、故人の意思を尊重してもらいたいと思います。火葬の後のお骨はお墓へ入れてもらい、眠りにつき、たくさんの先人達と再会したいと思います。
私が旅立ち三ヶ月が過ぎ、家族の気持ちも何とか落ち着いてきた頃には、私の友人達にあいさつの手紙を送ってほしいと思います。今から手紙を書いて、その準備もしなければなりません。愛する家族達への言葉は「ありがとう。またね」です。肉体は消滅しても、魂は愛する人達を見守り続けます。
「そんなに悲しまないで、そんなに嘆かないで、いつの日かまた会えることを信じて、精いっぱい自分の人生を生き抜いてほしいと願っています」
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