先日サイクリングにポアロまるこで出かけました。中国地方でのサイクリングを楽しみました。二人ともタウンサイクルでのサイクリングです。
国道を南西方向へと走ります。横を車がビュンビュン走っていきます。歩道を走りましたが、ゴッテンゴッテンと段差が体に響きます。一級河川に架かる橋は、車道と別に自転車道があり、安心して美しい景色にうっとりし眺め、写真を撮りました。今は自転車道になっていますが、以前は国道だったそうです。新しく大きな立派な自動車専用の橋ができてから、古い橋は人、バイク、自転車の専用となったのです。一級河川なので橋の長さもずいぶんあります。私の好きな山々、大河、そしてもうすぐ海という地点です。
今回の目的地は、玉島です。岡山県倉敷市にあります。玉島は、江戸時代には回船問屋の土蔵が二百以上も立ち並び、海運で栄えた港町です。その面影は町のあちこちに残っていますが、高度経済成長の終わる時(ほんの少し前という気がしますが)まで、賑わっていた商店街は、全国共通となっているシャッタ-商店街の有り様でした。
町並み保存地区だけは、何とか形を留めていますが、栄枯盛衰が頭をよぎります。
歴史のある町を訪れると、自分の知らなかったことをたくさん学びます。今話題の同志社大学創設の新島襄(1843~1890)が、若かりし頃、備中松山藩の漢学塾へ勉強しに来ていて、この玉島港に寄り宿泊したという西爽亭も見学しました。備中松山藩主板倉家との関わりが、新島襄の人生の発展につながっています。西爽亭は、備中松山藩主の御座所にもなっていた柚木家の邸宅です。柚木家は、備中松山藩に仕え庄屋を務めた家です。西爽亭は、天明年間(1781~1789)に建築されたと伝えられています。御成門、式台玄関、取次の間、次の間、上の間、などがある木造平屋建てです。茶室もあり、男茶道と呼ばれる武家茶道流派とのことです。隣の棟は、西爽亭の主屋として建てられたもので、主要構造部は出来るだけ再利用することを心掛け改修され、現在は市民のための多目的利用の会議室になっています。
越後から河井継之助(1827~1868)が、備中松山藩の山田方谷(1805~1877)を訪ねる前に、宿泊した宿の碑もありました。小説「不如帰(ほととぎす)」で有名な、明治の文豪、徳冨蘆花(1868~1927)が、下宿していた家があるなど、今まで本やテレビで見聞きしたことのある歴史上の有名人物が、この玉島と関わっていたという事実を知り感動しました。
今日の走行距離は30キロ、所要時間は、途中での食事、買い物、観光を含み6時間でした。
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